熱くなる瞬間
「病院の食器は味気ないなあ」
これが最後の入院になるかもしれないと主治医の大崎に言われて、武志は入院をしていた。
入院後、武志の体力はどんどん削られていき、支えがないと起き上がることもままならなくなっていた。
そんな病院のベッドで、食事を目の前にして、病室にいた父親の八郎に向かってなのか、ひとりごとなのか、そう呟いた。
「食べ物の味がわからへんから、せめて目で楽めればええのに」
「そやなあ。それなら家から、茶碗持ってくるか?」
八郎は即座に提案する。
「ああ、それええなあ。自分で作った茶碗、いつもつこてる茶碗使えば少しは違うかもしれへん」
少し微笑んで武志は言った。
八郎は、どんな些細な願いでも叶えてやりたい、そう思っていた。武志が願うなら、裸踊りだってやってやりたかった。
「じゃあ、夕飯の時間に間に合うように一度帰るわ。待っとってな」
武志は静かに頷いた。
そんなに無理をしなくても良いのにと思っていたが、そうしなければならないと思っている父の思いも汲み取って、言葉を発しなかった。そんな父親の愛情が素直に嬉しかった。
夕飯の時間が近づき、八郎は再び病室に帰ってきたが、何やら大きな荷物も抱えていた。
「お父ちゃん、何持ってきたん?」
「ん?これか?武志の茶碗はもちろんやけどな、これや」
八郎は、卓上コンロと、フライパンを取り出した。
「え?」
「お父ちゃんの卵焼き、食べへんか?本当は、お母ちゃんの作ったもん持ってこようと思ったんやけどな、喜美子、今京都行ってておらんから、じゃあ、お父ちゃんの味や!と思ってな」
「お父ちゃんの味って、卵焼きやったっけ?」
「そやでーー。毎日名古屋で卵焼き作る時も、これ食べたら、武志はなんていうかなー?って思いながら、毎日、毎日作ってるんや。だからな、これはお父ちゃんの勝手やけど、おふくろの味ならず、オヤジの味や」
そう言って八郎は病室の窓を開けた。
「大崎先生にも許可もらってな。煙が出ると、スプリンクラー反応するから、窓開けてやってくださいって」
冬の信楽の風は冷たかったが、幸い同室の人は皆外泊に出かけていたので武志1人だった。
八郎は、慣れた手つきで卵焼きを作る。それを武志は、ろくろを回す八郎を見つめるように、見つめた。
「なあお父ちゃん」
「ん?」
「お父ちゃん、陶芸やらんの?」
武志がフライパンを捌く姿に惚れ惚れしながら、八郎の横顔に尋ねた。
「そやなあ、少しずつ土には触っててな、工房に籠ることもある。ただ、まだ、胸が熱くなるような気持ちまではいかんなあ。そうなったらやな」
「そうなんや。いやあな、フライパン持つお父ちゃんかっこええなあと思ってな。そういえば、信楽に帰ってきた頃、初めてお父ちゃんがろくろ回すの見てな。ものすごい久しぶりやって言ってたけど、あの姿思い出したわ。うん、そやな。かっこええよ。お父ちゃん。さすがはお母ちゃんが惚れただけあるわ。立ち姿がええ。シュッとしてる」
八郎は微笑みながら、卵焼きをお皿に並べた。
「ははは、息子に褒められるとは思わんかった。武志に褒められればやってみようかなって気になるな。嬉しいわ。ありがとう」
ちょうど病院の食事も運ばれてきて、ご飯を武志の茶碗に移し替えた。
いただきます、と武志は卵焼きを食べた。
「どや?」
八郎が尋ねる。
「うん。テレビの味がするわ」
「なんや、テレビの味って」
八郎は笑いながら質問する。訳がわからなかった。
「ええねん、テレビの味や」
武志はテレビで押し通す。
八郎が出て行ってから届いたテレビジョン。来たでー!と叫ぶ母の声に反応して、八郎が帰ってきたと思った武志の目の前に現れたテレビジョン。
武志にとってテレビは、父親の喪失の象徴であり、きっかけだった。
だから、テレビの味だった。
正直なところ、味覚障害に加えて口の中に口内炎がたくさんできていて、味もそっけもなく、父親の作る卵焼きの味は分からなかった。だからこそ、テレビの味がした。武志は帰ってきた父親を改めて感じるように、噛み締めて食べていた。
食べ物の味がしない事は八郎も百も承知だったが、少しでも、武志を笑顔にしたかった。いや、自分が親子の時間を取り戻したかった。
武志がご飯を食べようと茶碗を持つ。
ごとん
茶碗を落としてしまった。
慌てて八郎が拾う。もう一度持つが、やはり、持てない。
「………ははは。俺の茶碗重くて持たれへん………その辺を理解してへんかったわ」
武志はその日、それ以上食べられなかった。
次の日、八郎が再び病室に顔を出す。ちょうどお昼時だった。
「お父ちゃん、こないすれば食べられるで!」
武志は、お茶碗をお盆に置いたまま、スプーンで食べていた。
昨日はどうなるかと思ったが、どんな時でも乗り越えようとする武志の姿勢に八郎は感動していた。
「おお!ホンマやな!そうすれば茶碗、使えるな」
食後、八郎は一つの古い図鑑を出し、武志に見せた。
「武志、卵殻手って知ってるか?」
「知ってるよ。確か、長崎の方にあった技法やろ?ただ、今は絶えてるって」
「そうや。今は絶えた技法や。だけどな、もの凄う薄くて、もの凄う軽くて丈夫なんや。きっと、武志も持てる。お父ちゃん、これ、作ろうと思う」
「作るって、そないな大変なもの……!!!」
「胸が熱うなったんや。これや!次に目指すものはこれや!って。武志、お父ちゃんはやるで。そんで、ありがとうな。お父ちゃんに熱くなるものをプレゼントしてくれて」
武志は、病床の自分がまさか、人に与えるものがあるとは思いもせず、驚き、そして、嬉しかった。
「そうかあ…何年かかるかなあ」
「わからん。10年かかるかもしれん」
「なんや、俺、それまで死ねへんやん」
「そうやで、だから武志、生きてくれや」
そう言って、2人は笑い合った。
図鑑の中は、美しい白い器の写真が載っていた。
その数ヶ月後、願いもむなしく武志は旅立った。
武志の旅立ちを見届けて、八郎は長崎に発った。
2006年、卵殻手は見事再現された。
ただ、再現したのは八郎ではない、別の人だ。
それでも構わなかった。
ここからがスタートだからだ。
卵殻手ならではの技術を使った、自分のオリジナル作品。
力のない人でもしっかりと持って、日常の食事を味わえる。また、その食事がおいしく見える、邪魔にならない色、模様。
それこそが、八郎が目指した陶芸だった。
日常の中で、自分の食器を使ってくれる、そんな人の顔を思い出して、今日も八郎は土を触る。
胸の中に、熱くなる炎を今日もしっかりと感じていた。
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