月の裏側(2)
僕は狩野さんの言葉で混乱していた上に、動揺が加わった。
狩野さんの口から孝介の名前が出るとは思わなかったし、僕と孝介が繋がっている事もわかっている口ぶりだったからだ。
「井上…孝介?誰ですか?それ」
僕は知らないフリを通すことに決めた。
だが、声はうわずっていて、明らかに動揺が態度に出ていた。
久しぶりに口にする孝介の名前。
しかも、復讐をすると決めた狩野さんの目の前で孝介の名前を出すことに動揺を隠せなかった。
それと同時に、孝介の名前を口に出した途端に、身体中が震え出し、涙が溢れた。
孝介、孝介、僕の大事な孝介。
なんで死んだ。なんで僕を置いて行った。なんで何も言ってくれなかった。
なんで、なんで
なんで殺した!!!!!
気がつくと僕は、狩野さんの襟元に掴みかかっていた。
「なんで…なんで…!!」
絞り出すように、その言葉を繰り返した。
なんで僕と孝介のことを知っているのか?
なんで孝介を殺したのか?
なんで僕はこんなにも狩野さんに憧れているのか?
なんで狩野さんは病気なんだ?
なんで会社を僕に預けるのか?
僕の復讐心は?
なんで!なんで!なんで!なんで!なんで!
身体中の熱が僕から奔出され、涙として現れ、それでもいろんな『なんで』が僕の中で渦巻きすぎて何をどうして良いのかわからなくなった。
ただ、ただ『なんで』しか、思い付かなくなった。
突然あれ程までに熱かった身体が、いきなりスーッと寒くなり、瞬間、目の前が真っ暗になった。
遠くで狩野さんが僕の名前を呼ぶのが聞こえた。
気がつくと、知らない天井の下で僕は横になっていた。
むくりと起き上がると、まだフラフラしているが、動くことはできた。
「大丈夫か?!どっか痛くないか?」
僕が目を覚ました事がわかったのか、狩野さんは駆け寄って僕の目の前に来た。
「大丈夫です…ここ、どこですか?僕…」
「ごめんな。目の前で倒れるからびっくりして病院運んじまった。特に脳には異常ないから、一過性のものだろうって。待っててな、目が覚めたら看護師さん呼ぶように言われてるんだ」
狩野さんはその場を離れた。
病院の外来なのか、カーテンで仕切られただけのベッドで僕は1人になった。
狩野さん、心配してたな。
その心配が心に突き刺さるくらい本気であると伝わってきて、僕はそれが単純に嬉しかった。
それが僕の知っている狩野さんだからだ。
狩野さんは誰にでも真摯に接する。優しいだけじゃない。だめな意見にはしっかりと自分の考えを伝えて、その上でその意見を否定する。
だから、狩野さんの周りには狩野さんを慕う人でいっぱいだった。
僕は、そんな狩野さんのもとで働く事ができて本当に誇らしかった。
そんな自分の思いを再確認した所で、狩野さんが看護師さんを連れて帰ってきた。
その後もう一度診察を受けて問題ない事が証明され、僕は家に帰って良いことになり、病院の外のベンチで2人でタクシーを待った。
もう夜になっていて、月が浮かんでいた。
「どうして、僕と孝介のことを知ってたんですか?」
狩野さんが買ってきてくれたお茶のペットボトルを開けた所で、僕が口火を切った。
狩野さんは缶コーヒーを一口飲んで、大きく息を吐き、僕の方に向き直った。
「聞いてたんだよ、お前らの関係。孝介から」
狩野さんが覚悟を決めたのがわかった。
僕も、覚悟を決めないといけないな。
そう思った。
「どういうことですか?」
「孝介は優秀でな、人懐っこくもあって、俺は孝介をものすごく可愛がったんだ。そしたらある日、スマホに晶から電話がかかってきて、すごい優しい顔で話をするから、恋人なんだなって思った。何気なく聞いたら、晶のこと教えてくれて、写真も見せてくれた」
少し驚いた。
僕らの関係は、世間一般には浸透しにくい関係なので、秘密にしておこう。そう言ったのは孝介だったからだ。
それだけ狩野さんのことを信頼していたんだろう。そう思った。
「秘密を教えてもらったことで、尚更孝介が可愛くなってな。こいつにいろんなことを教えよう、そう思ったんだ。
それから俺は、いろんなことを教えた。孝介に成長してほしかったから。
でも、教えてた気になってたのは俺だけで、あれはいじめだったんだ。厳しくしすぎて、孝介を追い詰めた。追い詰めて、孝介を壊したんだ」
狩野さんは両手にコーヒーを握りしめて、握り潰しそうな程力を込めていた。
「俺が、孝介を殺したんだ。俺は、人殺しなんだよ」
狩野さんは僕を見つめていた。でも、その目は僕を見ていなかった。
僕の奥にいる、孝介を見ているのか。
「違うんです」
僕は狩野さんの目を振り払うように話し出した。
「狩野さんは、孝介を殺していないんです」
僕は空に浮かぶ月を見た。
見慣れた月だった。
「僕、孝介が亡くなった後、家に行ったんです。そこで、孝介のお母さんから色々聞きました。
僕の知らないことばかりでした」
「知らないこと?」
「はい。孝介は元々心臓が弱かったんです。それこそ、難病に部類される病気でした。
孝介は、その病気による脳梗塞で亡くなったんです。だから、自殺じゃないし、狩野さんの事とはなんの関係もないんです」
「まさか」
「僕もまさかと思いました。でもそれが真実です。狩野さんは、関係ないんです」
「そんなこと…え?でも…」
狩野さんは到底受け入れられない。
そんな表情だった。
わかる。
それは僕も一緒だからだ。
もう一度月を見る。
先程と何も変わりがない月だった。
「僕は、孝介が病気なのも、仕事で悩みを抱えていることも何も知りませんでした。大切な存在だったのに、孝介は何も教えてくれなかった。
僕は、何も知らされなかった自分を認めたくなくて………。
僕は僕の真実を見つめる事ができず、狩野さんを恨む事で、生きてきたんです。認めたくなかったんです。孝介にとって自分はそれほどまでの存在じゃなかったってことを。
それを誤魔化すために、ただ、それだけの為に、狩野さんを敵にしてたんです。
自分の都合のために、真実に蓋をしたんです。敵がいる方が楽だったから」
僕は大きく息を吐き、ペットボトルのお茶をごくごく飲んだ。
お茶が吸い込まれるように僕の中に入ってきた。
まるで、今までの真実をやっと受け入れたかのように、お茶を飲み込んだ。
「それで俺に近づいたのか…」
狩野さんがつぶやいた。
それさえもお見通しだったのか。
僕は自分が嘆かわしくなるのと同時に、可笑しくなってきた。
「わかってたんですか?」
「うん。まあ、何となくな」
「良くそれで僕をそばに置きましたね」
僕は笑いながら言った。
その笑顔に狩野さんがホッとするのがわかった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?