鍵の音
歩くたびにチャリンチャリンと小さな音を立てて、ポケットの中で鍵が所在無いように泳いでいた。
まるで自分のようだと、健太はその音が聞こえる度にイライラしていくのがわかった。
同時に、足は自然とまんぷく屋に向いていた。
こんな気持ちの日は、ビールとモツ煮を胃の中に入れたほうがいい。
健太は、まだ店にも入っていないのに、モツ煮の匂いを思い出すだけで、気持ちが上向いていた。
ふらりと立ち寄ったまんぷく屋で普通のモツ煮を食べてから、健太は足繁くお店に通い、既に常連になりかけていた。
「こんばんは」
開店したてと思われる時間なのを確認して、健太は店に入る。
「ああ!健太!ちょうどよかった!お前さ、ちょっと買いもんしてきてくれよ」
店主にいきなりお遣いを頼まれる。
勢いに押されて健太は「はい」と返事をする。
「で、なにを買ってくるんですか?」
「商店街の一番奥の八百屋行って、苺買ってきてくれよ。話は付けてあるし、金も払ってあるから、受け取って貰えばいいんだ」
「あ、わかりました」
一度踏み入れた足を翻して、健太はおつかいに出かけた。商店街は夕飯前だったのでそれぞれのお店が活気に溢れていた。
一番奥の八百屋に行き、まんぷく屋の名前を出すと「ああ、毎年のやつね」と、苺を箱ごと渡してくれた。
苺を出すようなメニューはまんぷく屋には無いはずなんだけど、あたらしいメニューなのかな?でも、毎年のやつって言ってたから、恒例なんだろう。箱を抱えながら健太は、この苺の行く末の想像を膨らませていた。
ふと、ケーキ屋さんが目に入る。
ショーケースにはいろんなスイーツが陳列されていた。
「たまにはケーキでも差し入れるか」
果物を運んでいる特別感からか、まんぷく屋にフルーツがたっぷり載ったタルトを買っていこう。そう思い、健太は寄り道をしてまんぷく屋に再度向かった。
「ただいま戻りましたー」
「佐都ちゃん、おめでとーー!!!!」
健太がお店に入ると、そんな掛け声とともに、クラッカーの音が鳴り響き、健太にクラッカーのテープが大量に飛んできた。
「うわ!」
気がつくと、健太はテープまみれになっていた。
見ると、店主をはじめ、常連のお客さんがみんなでクラッカーを持っていた。
その中心には、1人の女性がいた。
「わはははは!すごいな健太!お前自体がプレゼントみたいだ。
おお、そうだ佐都!誕生日おめでとう!」
佐都と呼ばれて、小柄な髪の長い女性が健太に近づいてきた。ニコニコと笑うその顔にはまだあどけなさが残っている。
「わあ!苺だ!今年も食べ放題していいの?!ありがとう、お父さん!」
「おう、約束だからな」
健太はなんとなく流れで、おめでとうございます。と小さく呟きながら、苺の箱を目の前の佐都に渡した。
自分の手元から苺が離れて、ようやく話の流れが掴めてきた。
「え?あ!誕生日?!え?!苺?!」
健太は驚いたように声を挙げる。
健太の世界の誕生日といえば、高価な車や宝飾品などが常識で、苺を誕生日のプレゼントにするなんてことは考えたこともなかったからだ。
「はい。だって、大好きな苺を好きなだけ食べられるなんて、こんな贅沢素敵過ぎるー!」
そう笑う佐都に、健太は心が一瞬にして重くなった。
ポケットの中の鍵が、所在なさげにチャリンと音を立てた。
今日は、健太も誕生日だった。
義務のように実家で食事を食べ、父親からプレゼントを貰った。
今年のプレゼントはマンションだった。
『深山の人間なんだから、マンションの一つも運用してみろ』
そう言うことなのだろう。
プレゼントと言う名の、父からの強制的な挑戦状だった。
このマンションを運用しなければ、父親に存在を否定され、ひいては、その否定が母親に向いてしまう。
それが分かっていたので、否が応でもこのマンションは運用せざるを得なかった。
健太は、自分を支配し続ける深山から逃れたくて、距離を置いていた。
だが、離れたいのに、離れられない。
まるで、沼地に足を絡め取られているように、いつでも深山が自分を支配していた。
身動きが取れず、反抗することもできず、結局は従うことしかできない自分が嫌だった。
まるで、所在なくポケットの中で揺れる鍵のようだ、と歯噛みしながら、ポケットに手を突っ込んで鍵をギュッと握った。
健太は今までもらって嬉しかった誕生日プレゼントなんて一つもなかった。
同じ誕生日なのに、自分はこんなに心が重くて、目の前の佐都は苺をもらって本当に嬉しそうにしている。
健太は自分を呪った。
ふと、自分がもう一つの荷物を抱えていることに気がついた。
「あ、そうだ。あの、これ…よかったら」
健太がおずおずと佐都に先程買ったケーキを渡す。
「え?なんですか?これ」
佐都が大きな目をもっと大きくさせてキラキラとこちらを見た。
「あ、いや、誕生日だなんて知らなくて買ってきたんだけど、これどうぞ。みなさんで」
「わあ!タルトだー!良いんですか?ありがとうございます。後で切り分けますね。一緒に食べましょう!」
そう笑いかけてくれる佐都の笑顔につられるように、健太も少し笑顔になった。
「悪かったな、健太。お遣い頼んじゃって。反対に気を使わせちまったな。
今日は娘の誕生日でな。もう大人なんだけど、こうやってみんながお祝いしてくれるから、ありがてえや。ロクなプレゼントも買ってやれねえけどな」
「欲しいものは自分で買うから、良いの〜」
このセリフは毎年繰り返されているんだろう。
佐都は気にも留めず、お皿をお客さんたちに配っていた。そのまま、健太の前に来る。
「え……と、健太さん???
その………ふふふ。えっと………くくく。
その紙テープずっと被ったままでいるんですか?」
佐都は笑いを一生懸命堪えながら、健太に問いかけた。
「あっ!」
どおりで視界が悪かったなと健太は思い、慌ててテープを取り払う。
そんな事に気付かないくらい、自分と佐都の誕生日の差に打ちのめされていたのだ。
佐都は、一緒にテープを丁寧に取り払ってくれた。
「そっか、健太さんって、うちのモツ煮食べて泣いてくれた人だ」
なんと恥ずかしい思い出話を言ってくれるんだ、この人は。そう思ったのも束の間
「今日も美味しいの出すから待っててくださいね!」
佐都は、健太の肩を強く叩いてと厨房に入っていった。
そんな彼女の姿は、まるで夏の風のようだった。
その後は常連のお客さんと一緒にいつも通り食事とビールを楽しんだ。
「健太さん持ってきてくれたタルト、食べよう!」
佐都が先程のタルトを運んでくる。
「じゃあ、もう一回!佐都ちゃん、誕生日ー…」
「待って!」
常連さんの合図に佐都が口を挟む。
「どうした?佐都ちゃん」
「もしかしたらさ、私と同じ月の誕生日の人いるかもしれないじゃない?そしたら、一緒にお祝いできるもん。1人より、みんなの方が楽しい!」
「佐都ちゃんらしいなあ。誰か、今月誕生日の人いるか?はい!俺、来月ー」
「俺、半年後ー」
「俺は先月ー」
常連さんが次々リレーのように自分の誕生日を伝えていく。
健太の番がきた。
「あ………俺、今月…です」
「おおお!!!今月!今月のいつ?!」
常連客が声を合わせて健太に聞く。
「…今日」
「きょおおおおおお!」
その場にいた人全員が声を合わせた。
「なんだよ健太も今日誕生日なのか。先に言えよ!」
「いや、なんか、すみません」
健太は申し訳なさそうに呟く。
「じゃあさ、健太さん来て!」
佐都に手招きされる。誘われるがまま、健太は佐都に近づく。
「これでさ、一緒にケーキカットしようよ」
ナイフを持った佐都が笑顔で言う。
「な、な、な、な、何言ってんだよ!佐都!それは結婚式の時にするもんだろ?!」
店主が慌てて佐都を止める。
「お父さん、今時ねえ、結婚式でケーキカットなんてしないよ?だから、気にしないで良いの。ほら、健太さん、一緒に切ろう!」
「良いじゃん、健太くん切っちゃえ切っちゃえ!」
「やめろやめろって止められると、やりたくなるのが性だよなあ!」
常連さんたちが囃し立てる。
健太は店主を見る。店主は諦めたようで、良いよ。という顔をしていた。
健太は佐都の隣に立ち、そっと手を重ねる。
自分の手で覆うと何て華奢なんだ。そう思ったが、華奢な中に一本芯が通っているような気もして頼もしかった。
そして、手を重ねているのが、当たり前のようで不思議だった。
ふと見ると、佐都が笑顔で自分を見つめていた。
健太も笑顔で返し、2人でタルトにナイフを入れる。
「おめでとうございます」
お互い、改めて言い合って頭を下げた所で、堪えきれず笑い転げた。
「あーー!!面白かった!健太さん、ごめんなさい。でも、思いついちゃったんです」
「いや、俺も面白かった。なにこれ。俺、誕生日なんだね。気持ちいい」
健太は、こんな誕生日の祝い方があるなんて思いもしなかったし、おめでとうの一言が、雰囲気がこんなに伝わってくる事が初めてだった。
「佐都ちゃん、ありがとう。俺、今日の誕生日一生忘れないわ」
「ええ?!そんな大袈裟な……。あ、そうだ」
そう言って佐都は一旦奥に入っていき、何やら手に持って出てきた。
「はい。誕生日プレゼントです。おめでとうございます」
手渡されたのは、小さな動物のマスコットだった。
「え?あ、ありがとう。えーと……」
「アリクイです」
「アリクイ?!」
「可愛いでしょ?」
「あ、まあ…可愛いけどなんで?」
「健太さんに似てません?ホラ」
と、健太の隣にアリクイのぬいぐるみを近づける。
「いや、俺から見えないし」
そう言うと健太は大きな声で笑い出した。
「あははは!今日は面白いことばかり起きるなあ。素敵な日だった。俺、アリクイ、アリクイかあ」
「さっきから何かに似てると思ってて、あ!私の持ってるアリクイちゃんだ!って思ったんです。
そんなに嫌なら、あげませんけど?」
「いや、もらう。ください。ありがとうございます。大切にします」
そう言って大切そうに佐都から、自分に似ていると言うアリクイのぬいぐるみを受け取った。
健太はいつの間にか、お店に入る前のため息しか出ない気持ちから、身体全体が温かくなるような気持ちに包まれていた。
そうだ。
家に帰ったら、アリクイにこの鍵を持たせて飾っておこう。
運用の事は、またゆっくり考えればいい。
佐都の笑顔を胸に、アリクイと鍵をポケットにしまった。
チャリン
ポケットの中で鍵の音がする。
今度は、楽しげな音がした。
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