バトン4
喜美子は、ちや子と一緒に同行して、骨髄バンク設立の協力を仰ぐため、自分の体験を交えて講演をする事もあった。その日も、集まってくれた人たちの前で講演をした。
講演が終わり、質疑応答の時、一人の男性が語気を強めて発言した。
「人の命をもらってまで、生かしたいのか?!」
喜美子は思いもよらない言葉に頭に血が上るのを感じた。
確かに、骨髄移植は型が合えば、その人の骨髄液を採取して行うもので、つまり、健康な人の体に「メス」を入れる事になる。
だが『生かしたいのか』と言う言葉が許せなかった。
喜美子は落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせるのに必死で、言葉が出て来なかった。
「ちょっとよろしいですか?」
2人の間に入ったのは草間だった。
「ご質問の通り、骨髄移植は、健康な人の体にメスを入れる事になるので、恐ろしいな、そこまでして…と思われるかもしれません」
草間はにっこりと笑い、言葉を続ける。
「どうでしょう、一旦骨髄バンクと、骨髄移植を分けて考えて頂けませんか?骨髄移植はすでに治療法として確立されたものです。今回の講演の内容は、その選択をするかどうかの提起ではありません。骨髄移植に必要なドナーを探す、という点で考えて下さい」
草間はそのまま、穏やかな口調で話し続けた。
「現状では、個人が個人の伝手を頼ってドナーを探すしかありません。それは、何万分の一の確率の人を、自分の手で探すことになります。藁を掴む思いになります。
そうすると、中には『幾らか払ってくれれば探してあげましょう』と言う人も現れます。でも、それは、命に値段が付くことになります。
そうなると、あなたが懸念されている『人の命をもらってまで』という事が起きてしまいます。
人の命を預かるからこそ、中正・公立に行わなければならない。
だから、その機関を作る為の運動を行っているんです。その辺りをご理解いただいたうえで、もう一度ご質問を頂けるとありがたいのですが、いかがでしょう」
会場の空気が草間の説明で一気に変わるのが分かった。先ほど質問した男性も、それ以上は何も言わなかった。
喜美子は先ほどの怒りを落ち着かせにこやかに再度話し始めた。
「今日が、愛する人との一日なら、あなたは何をしますか?病気があっても無くても平等にそういう日はやってきます。その日が少しでも豊かな日になる様、ご協力をお願いします」
武志が大切にしていたこの言葉を、いつも締めくくりで言っていた。
今回も、いつもと同じく、想いを込めて、集まった人に伝えた。先程の男性にも届きますように。そう祈りながら、伝えた。
講演会終了後の帰り道。車の中で草間が話し始めた。
「今日のはひどかったね」
「ああ、すんません。わたし、黙り込んでしまって、すんません。頭に血が昇ってしもて…」
何故か喜美子は反射的に謝った。
「いや、あの人。あの男の人、ひどかったねえ。
ああいう人が、ずっと世の中を支えてきた人たちだと思うと、同じ男として僕は切なくなるな」
「あれ?」
「ん?どうした喜美ちゃん」
「いや、てっきり叱られるのかと思って。昔を思い出しました」
「昔?」
「はい、あの、慶乃川さんの作品を初めて見た時のこと。私が、お金にならない作品なんてつまらないみたいなことを言ったあとに、私を叱ってくれたこと」
「そんなことあったん?」
ちや子が間に入る。
「ええ、慶乃川さんていう人の作品を見たときに、当時のウチには不格好に見えて、けなしてしもたんですよ。そしたら、『子どもだからと言って、ああいう態度はいけない。一生懸命作った人に失礼だ』って叱ってくれたんです」
「うわ、子ども相手にえげつな~」
ちや子は草間相手に言葉を放つ。
「いやいやいや、ウチはその時すごくうれしくて。この人は私のことを子供ではなく、一人の人間として対峙してくれているんだ、そう思ったら、一気に好きになったんです。
だから、今日も同じ言葉が出てきたから、その時の感覚が蘇って、てっきり叱られるのかと思いました」
草間がその言葉を聞いてふふふと笑う。
「今日の喜美ちゃんは、ちゃんとその人の言葉を飲み込んで、でもそのうえで許せない言葉があったけど、それをしっかり自分の中で消化しようとしているのはよくわかったから。僕が口を出してしまったことが正解なのかはわからないけどね」
「いえいえ、ホンマ、助かりました。頭真っ白になりかけてましたから。そう考えたら、ウチはずっと草間さんに助けられてばっかりや」
草間は、遠くの記憶を思い出すように、少し間をおいてしゃべりだした。
「僕は、常治さんに命を救われたんだよ。彼がいなかったら、僕は大阪の街の中で野垂れ死んでいた。常治さんは『助けてやろう』なんて気持ちは一つもなかったと思う。目の前に死にそうな男が転がっていたから、手を差し伸べた。それだけだったと思う。それがうれしかった。
信楽に行ってからは、喜美ちゃんが僕を支えてくれた。たった9歳の女の子が僕を救ってくれた。
だから、僕は一生この一家に恩返しをしたい、そう思っているんだ。そんなこと、常治さんは望んでいない、ってこともわかってはいるんだけどね。でも、僕はそうしたいから、そうしてる。それだけだよ」
「ありがとうございます」
喜美子は父、常治から続く縁に感謝をした。
「まあ、飲んだくれのとんでもない父親でしたけどね」
わはは、と喜美子の笑い声が車内に響いた。
その後、署名は目標の100万人集めることができ、様々な人の協力が実を結び1991年日本骨髄バンクが設立された。
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