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普通のモツ煮

はじめに
これは、ドラマ「やんごとなき一族」のサイドストーリーです。
健太が佐都に出会う前のお話です。


俺って何者なんだろう。

それを一番最初に考えたのはいつだろう。
小さい頃から違和感があった。
自分は深山の人間であり、ただその家に生まれただけ、自分の才能ではない。
その違和感が、いつしか自分の中に小さい痼りとなってずっと疼いていた。
だが、その痼りをしっかり見ることが怖くてずっと蓋をしてきた。見ないようにしてきた。

だって、
俺は何者にも成れていないことがわかってしまうから。

仕事帰りの商店街。
健太はフラフラと歩いていた。

「分かってはいたけど、キツイなあ……」

仕事で手応えを感じて帰ろうとした所、聞こえてきた同僚の言葉。

「深山ってさ、あの深山だろ?
深山の名前であいつに仕事が回ってくるのに、わかってねえよな」

「俺、一生懸命やります!アピールがすごくない?途中でちょっと哀れにもなってきたわ」

分かってはいた。

自分は深山グループの御曹司として見られていること。それで仕事を手に入れていることも。
それでも任せられた仕事は責任を持ってやりたいと、ごまかしのききにくいエンジニアという職業を選んだつもりだったが、どこに行ってもついて回る『深山』の文字。

その深山から逃れたくて学生時代から一人暮らしをしたりして、自分という存在を信じてやってきたつもりだったが、時々こうやって突きつけられる『深山』にいつも打ちのめされていた。

ふと見ると、店先に置かれた信楽焼のたぬきの置物が目に入った。
何故か吸い寄せられるように、健太はその店に入った。

「おう!おかえり!」

店の扉を開けると聞こえてきたのは、まさかのお帰り、だった。

「え?」

思わず戸惑う。
そんな健太の様子を見て、店主とおぼしき男性が健太を見る。

「あれ?!ごめん!うちの奥さんかと思ってさ。ごめんね、あんちゃん。まあいっか!ここまできたら。
おかえり!…えっとあんちゃん名前は?」

「あ、深山です」

突然に名前を聞かれて、健太は思わず苗字を答えてしまった。

「深山ね、了解。おかえり!深山くん!」

店主は満面の笑顔とハッキリした声でお店に迎え入れてくれた。

そう言われた健太は、その場に立ち尽くしながら、何故かはらはら涙を流していた。

初めて入る店、しかも初対面の人の前で涙を流す自分に気づき、健太は我に帰る。

「す、すみません。失礼しました」

慌てて店を出ようとする。

「深山くん、モツ煮食べれるか?」

引き留めるように、低い声で店主が健太に尋ねる。
モツ煮???聞いたことも見たこともなく、想像すらできない食べ物だった。

「……モツ煮ってなんですか?」

おずおずと聞き返す。

「えええ?知らないの?モツ煮!よーし!じゃあ食ってけよ!ほら!座んな!」

先ほどとは打って変わって、また大きな声になった店主は、健太に近づき、肩をポンポン、と叩き、そのまま健太はほぼ無理やり椅子に座らされた。

見回すと、いかにも大衆食堂、と言った雰囲気の店だった。

健太はこう言った店に入ったことがなく、この古びた椅子やテーブルも、健太にとっては珍しいものだった。
もの珍しく店を見回してると、土鍋が運ばれてきた。

「ほい!まんぷく屋名物のモツ煮込み!」

蓋が開けられると、見たこともない色、見たこともない物体が土鍋の中でぐつぐつ煮えていた。

(なんなんだ、これは)

そう思ったが、同時に立ち上る匂いに誘われて、健太はいただきます、と手を合わせて食べ始める。

「うまっ」

思わず声が漏れた。
小さな頃から、美食に慣れ親しんだ健太だったが、これは味がどうのこうの、というレベルではなかった。

ホッとするのだ。
思わず笑みが漏れ、次々に口に運ぶ。

「はいよ」

そして運ばれてきたのはライスだった。

「このモツ煮と白飯、これが最高なんだよ。モツ煮をさ、白飯に乗っけて食べる。その後に、白飯食ってみ?やめらんねえから」

誘導されるがままに、健太はモツ煮とライスをかき込んだ。
こんな夢中になって食べたのは、生まれて初めてかもしれない。

あっという間にモツ煮とライスを平らげると、ビールが運ばれてきた。

「飲めるか?」

「あ、はい。頂きます」

店主も同じテーブルに座り、お互いにビールを注ぎあって乾杯をする。

「っかーーー!!!まだ仕事してるのに飲むビールは、うめえなあ!」

店主はコップのビールを飲み干す。

「深山くん、いいとこの坊ちゃんなんだろ」

ドキリとした。ここでも深山に振り回されるのか。

「いや、別に答えなくても良いんだけどさ、食べる時、しっかり挨拶したろ。すげえ躾されてるんだと思ってな、感心したんだよ。姿勢もいいしな。なにより、モツ煮知らなかったしな。がははっ。
で、どうよ、うちのモツ煮はさ」

「はい。美味しくて夢中で食べました」

「だろ?うめえんだよ、うちのモツ煮は、普通に。でな、この普通が大切なんだよ。
この普通に美味いを毎日変わらずお客さんに提供する。どんな時もだ。それが、まんぷく屋の名物たるゆえんだよ」

「普通……」

「そう、普通」

「…普通ってなんですかね」

健太は、ずっと自分が『普通ではない』と思っていた。
そう思っていたので、普通に憧れ、普通になりたくてずっともがいて来た。
その普通がわからなくなっていたのだ。

「普通ってのは、そうだな。いつもそこにあって当たり前のことだな」

「当たり前…」

「そう。だって、深山くんだって、いつも当たり前のように『頂きます』ってやってんだろ?それが、普通ってやつだ。
あれだぞ?平均的ってことじゃないからな。うちのモツ煮は、平均的に美味いんじゃないんだよ。
普通に、美味い。違い、わかるか?」

健太は、店主の言葉にハッとした。
そうか、俺はこの『普通』っていうものに、振り回されていたのか。

俺の思う普通ってなんだろう。

今まで『普通』を意識しすぎて、もがいて来た。
でも、もがけばもがくほど、自分が思う普通は離れていき、むしろ、弱さ、醜さばかりに目がいくようになってしまっていた。

でも、俺も『いただきます』を普通にする人間。
任せられた仕事は『普通に』頑張りたい人間。
ただ、何も持っていないだけ。
深山という家を外したら、モツ煮も知らなかったような、ただの人間。

この、何も持っていない、ただのちっぽけな存在だということを認めるのが怖かった。
何よりも、深山にしがみついていたのは自分自身なんだ。
わかってはいた。小さい頃から痼りのように自分の深いところで疼いていた。でも、それを認めるのが怖くて、小さい頃からそこには蓋をして生きて来た。

そっか……俺も、普通の人間なんだな。深山であろうが、関係ない。こんなちっぽけな事にずっとこだわって来た、何も持っていない人間なんだ。

そう思ったら、また涙が溢れて来た。

「おいおいおい、大丈夫か?」

店主が健太の肩を叩く。

「はい…あの、モツ煮とライス、おかわりもらっていいですか?」

健太は泣きながら、店主にお願いする。

「え?おかわり?もちろんだ。なんだよ、そんなに泣くほど上手かったのか?」

「はい。泣くほど美味しいです」

「はははは!そっか。深山くん、ありがとな!!!」

店主は健太の背中を強めに叩いてテーブルを立つ。健太の涙は号泣に変わっていた。

これだ。

俺は普通に憧れて、何が欲しかったのか。

「ありがとう」

と言われたい。
そうだ、俺は、必要とされたいんだ。

必要とされる人間になりたくてもがいて来たけど、だから空回りをしてしまって同僚からもあんなふうに言われてしまう。
それは、自分が深山にしがみついているから。
こだわっているから。
だから、店主の「深山くん、おかえり」が嬉しかったんだ。
深山でいいと思えたから。

だから、ここの普通に美味いというモツ煮がこんなに美味しくて、ほっとしたんだ。
だって、普通に美味いんだから。

そう思ったら、普通に、深山健太として仕事をすればいいんだ。
人と接すれば良いんだ。
体の奥底にあった痼りの蓋が取れて、小さくなるのがわかった。
すとんと、自分の中に、深山健太が座ったように思えた。

おかわりしたモツ煮を泣きながら平らげ、「ごちそうさまでした」と手を合わせる。

「はははは!泣きながらでも、ご馳走様は欠かさないんだな。さすがだな。深山君。でも、嬉しいよ、ありがとう」

「本当にご馳走様でした。」

「おう、また来いな」

「はい。来ます、絶対来ます。ありがとうございました」

「まあなんだ、色々あると思うけど、ここのモツ煮は変わらず待ってっからよ、普通に」

「はい、それが一番嬉しいです」

「じゃあ、待ってからな。そんときは、おかえり、だな。深山君」

健太はそう言われて、笑顔で返した。

「おかえり」そう言ってもらえるよう、この店に通おう。
そして、「ただいま」と言って、普通に美味いモツ煮を、普通の俺が食べよう。
健太は店を出る。
先程とは違う空気を感じていた。
商店街の明かりが先ほどよりも少なくなっていて、空に星が見えていた。
一歩を踏み出す。

深山健太として、歩き出した。

あとがき
「やんごとなき一族」が始まりました。
大富豪の一族でありながら、その家から距離を置いて、庶民の暮らしに憧れた健太。
佐都の家である「まんぷく屋」に通うようになったきっかけも、きっとなにかあったんじゃないか、そう思ってこのお話を思いつきました。
なお、このお話は私の完全なる妄想であり、本編とは全く関係がありませんのであしからずです。
また、私は原作を読んでいないので、そちらとの乖離があるかもしれませんが、それもご了承ください。

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