電話

はじめに
これは、朝ドラスカーレットを元にした私の妄想小説です。
今回は、八郎さんが信楽にやってくるきっかけとなったお話を喜美子視点で描いてみました。


喜美子は1人で食事を食べていた。
ただ、1人でも、それがお茶漬けでも手は抜かず、丁寧に作って背筋を伸ばしていただきます、ごちそうさま。と手を合わせて食べるのが習慣だった。

喜美子が小さい頃から食卓は賑やかだった。
常治、マツ、直子、百合子と5人で食卓を囲んだ。どんなに粗末な食卓でも、家族でいただきますをすればそれがおかずになった。
大阪にいる時も、食事は1人で食べることが多かったが、いつでも誰かのことを考えて作った。結婚してからも、八郎の健康のこと、人参が食べられない武志のことなど、いつも、いつも、食事は『誰かのために』作っていた。
それが、少しずつ食卓を囲む人が少なくなり、マツが亡くなってからは、1人の食卓になった。

最初は、この1人の食卓に慣れず、毎日緊張さえもしていた。聞こえるのは家族の声ではなく、鳥のさえずりや、時計の音。時には自分の呼吸の音でさえ、大きく聞こえる時があった。

「ああ、1人なんやなあ」

穴窯をやり出した時、八郎が出て行ってしまった事を照子が何とかしようと説得をしにきてくれた時
「1人もええなあ」
そう呟いたこともあった。
でも、あれは後ろに武志と八郎という家族が控えていたから言えた。

いまは、何をするにも1人。言葉を発しても1人で、独り言にびっくりすることもある。

これは、自分が招いたことだ。
寂しさを感じると、そう自分を戒めた。
あの時、八郎の手を離したのは自分だ。
川原喜美子という1人の女性としての感情よりも、陶芸家の川原喜美子の情熱が勝ってしまった結果だった。
結果、武志から父親を奪い、夫を去らせた。
今になれば他に解決法もあったかもしれないが、情熱を通すしかなかったあの頃の自分は、代わりに八郎の行動を飲み込むしかなかった。なので、信楽を去ったときも追わなかったし、離婚届が届いた時も、何も言わずに届を出した。
それが自分なりの愛し方だった。
悪い意味で、不器用なのだ。

ひとりになってから、時々離れから声がするような時があった。

「おとうちゃん、キャッチボールするで!」
「ちょ、待て待て、武志、足はようなったなあ」

そんな幻聴に近い思い出が、今起きているかのように喜美子に押し寄せてくることがあった。

「ハチさん…」
無意識に呟く自分に驚き、次に否定した。そういう時は、絵付けをするように心がけた。
絵付けに集中することで、喜美子は『後悔』という感情に無関心を装い、蓋をしたのだ。

そんな事を繰り返しながら、1人の時間にも慣れた頃、武志から連絡が来た。
大学を卒業したら、信楽に帰ってくる。そういった内容だったが、詳しい話は帰ってからまたな!と一方的に電話を切ってしまった。

武志からの連絡は突然で、そして滅多にない。輪をかけてこちらの話も聞かずに自分の用事が済めば切ってしまう。

大事な進路も、自分一人で決めたらしい。自立への道を歩んでいるんだな、と安心しながら、喜美子は改めて『ひとり』という、えも言われぬ感覚に襲われた。

保護者としても私もじきに不要になるんやな。そう考えた瞬間、もう一つの感情が襲ってきた。

今まで、欠かさず定期的に振り込まれていた八郎からのお金。今の喜美子の収入から考えるとそれほど困窮もしていないが、ありがたく学費に使わせてもらっていた。それも必要がなくなる。

それは八郎との繋がりが途切れる事を意味した。

喜美子は恐怖に近い感情を覚えた。

無意識のうちに毎月送られてくるお金が、通帳への記載が、細いながらも自分と八郎を繋げている糸だったんだと気付き、狼狽えた。
急に、慣れたはずのひとりの食卓が怖くなった。

「みっともない!絵付けしよう!」
食事を片付けて作業に入るが、いつものように集中できなかった。

これではいけない、と顔を洗う。顔を拭いた時鏡を見て、自分の頭に白髪を見つけた。

「なんでわかってくれへんねん!!!」

白髪を見つけると同時に、八郎が出て行く前の縁側での言い合いを、鮮明に思い出した。

「年取ったんやな…」
容易に八郎の思い出を思い出してしまう自分に対して、そう呟いた。

それから数日後、喜美子は意を決して電話の前にいた。
八郎に、お礼の電話をしよう。自分から連絡を取り、今の訳のわからない感情を終わりにしたかったのだ。

ゆっくりとダイヤルを回す。
呼び出し音が4回鳴った後、八郎ではなく、「はい、十代田です」女の人が出た。
でた!留守番電話や。3年前はこれに騙されたけど、うちも成長したで。
喜美子は深呼吸して、メッセージを残そうとする。
「どちらさまですか?」
君子の耳に飛び込んできたのは、生身の女の人の声だった。
喜美子は動揺し、息をのみ込んだ。
「か、か、川原です。喜美子です。は、は、八郎さんはご在宅でしょうか?」
息をのみ込んだせいで、声が上ずってしまっていた。

「喜美子さん?あら!久しぶり。私よ!いつ子よ!」
声の主は八郎の姉、いつ子だった。

「お義姉さん?!すいません。ご無沙汰してます、喜美子です。その節は…」
ここまで言いかけて、喜美子は言葉に詰まる。そんな空気を察して、いつ子が話し始める。

「たまにね、掃除に来るのよ。八郎はまだ帰ってきてへんのよ。何か伝えておく?」
「いえ、武志の事でご挨拶しようと思っただけなんです」

喜美子は話しながら冷静さを取り戻していた。
離婚した時、この義姉から、丁寧な手紙をもらったことがある。弟の不甲斐なさ、始末の悪さを、弟に代わって謝罪させてほしい。そういった内容だった。こちらの方が申し訳ないと思いつつ、真っ直ぐな文章に感動したのを思いだした。
八郎の親代わりのようないつ子は、自立して生活をしているからか、いつも眩しく見えて、喜美子の憧れでもあった。

「帰ってきたら伝えるわね。そうか、武志君卒業やもんねえ。いつも八郎から聞いてるわ。それじゃ、喜美子さん、お元気で」

「はい、お義姉さんもお元気で。失礼します」

喜美子は受話器を置いた。
変な緊張はまだあったが、いつ子の方から武志の話が出てきた事で、十代田家、ひいては八郎との関係は続いているのだと思い、それだけで少し心が軽くなった。

鏡を見る。

白髪がある自分が映っている。
「おばちゃんになったな」
少し笑って、夕飯の支度に取り掛かった。

夕飯を食べ終わった頃、電話が鳴った。

電話の主は八郎であろう。少し浮き足立つ気持ちを抑えながら、喜美子は電話に出た。


あとがき
本編では、突然八郎さんが信楽にやってきたので、びっくりしました。その辺りを想像しながら、書いてみました。正直、八郎さん寄りの自分なので、喜美子に心を寄せることができなくて今まで書けなかったのですが、やっと喜美子の気持ちを考えることができる様になりました。
この様に、私の妄想を掻き立ててくれる朝ドラスカーレットに改めてお礼を言いたいです。
なお、これは私の完全なる妄想です。本編とは全く関係ありませんので、あしからずです。






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