約束

これは、朝ドラスカーレットを元にした私の妄想小説です。今回は、窯業研究所の柴田さんの話を書いてみました。


「川原喜美子さん、個展、やってみませんか?」
窯業研究所所長の柴田は、喜美子にそう持ちかけた。
個展をやるなんて思いもやらなかった喜美子は、たじろいで「私なんてとても」と一度は断った。
だが、柴田は何度も喜美子のところに通い、説得をした。ある男との約束が柴田を突き動かしていた。


「柴田さん、紹介していただいた京都の陶磁器研究所、行こうと思います」

彼の境遇を見兼ねて自分が勧めたのだが、武志君のそばにいたい、という彼の気持ちもあり、なかなか良い返事をもらえていなかった。
折しも、彼の妻が穴窯での自然釉に成功したと聞いた直後だった。

「ええんか?ハチ、勧めたわたしが言うのも何やけど、このまま京都に行ってしもたら、奥さんに負けた、そう言われるで」

それまで、私に何を言われても言い返したりすることがなかった八郎君が、私の目をキッと見つめ返し、芯の通った声で言った。

「柴田さん、奥さんやありません。陶芸家の川原喜美子です」

私は彼の言葉、姿勢、声に雷に打たれたような感覚になった。そうだ、穴窯をやりたいと言ったのは喜美子さんで、それを完成させたのも喜美子さん。その穴窯で自然釉を成功させたのも紛れもなく陶芸家の川原喜美子だ。今までは『川原八郎の奥さん』というフィルターでしか物を見ていなかったのでしっかりと理解していなかった。それに今、気付かされた。

「ハチ、もしかして奥さん、いや、喜美子さんの為に信楽を出るんか?」

「……そんなカッコええもんじゃ、ありません」

彼の中にもいろんな感情が渦巻いているのは見てとれた。女性に負けてしまう、負けてしまうと言う表現が合っているのかは定かではないが、彼が必死に止めたことを彼女は、自分のやり方で成功させたのだ。彼のプライドもかなり傷つけられただろう。だけども、それを上回る、陶芸家の川原喜美子への憧憬があった。
その憧憬を抱えて同じ信楽にいる事は今の彼には耐えられないのだろう。そう思った。
それと同時に、彼女の足枷になってはいけないと言う決心も汲み取れた。

陶芸家川原八郎の優しさであり、夫の川原八郎の決心のように思えた。

「わかった。京都の研究所には話をつけておくな。発つのはいつでもええのか?」

「はい、お任せします」

彼は、いつものように丁寧に頭を下げた。数秒しっかり頭を下げた後、頭を上げ、再び私の顔をしっかりと見据えた。

「陶芸家の川原喜美子のこと、応援したってください。彼女がこれから活躍するには、柴田さんみたいな方が絶対必要なんです」

そう言うと、彼は再び頭を下げた、さっきより深く、頭を下げていた。
私は、彼の姿勢に胸が熱くなっていた。

「わかった、約束するよ」

突き動かされるようにそう言うと、彼は安心したように笑っていた。
彼は、宣言通り1週間後には京都に旅立った。

その後、喜美子さんは順調に作品を作って行き、当時は女性の陶芸家自体が少なかったので話題になる事も多かった。

その頃、八郎君は四国に居を移していた。陶芸から離れた生活をしている事は、彼からくる手紙で知っていた。

 彼のことを思い出すたびに、自分のことを真っ直ぐに見つめ、『奥さんやありません。陶芸家の川原喜美子です』と言った彼の目を思い出す。
 自分の、作家に対する姿勢の甘さ、愚かさを突きつけられるような、そんな戒めに似た感覚があった。
 喜美子さんの作品は本当に素晴らしく、『奥さん』というフィルターを外すことができて良かったと心の底から思うようになり、表立って応援できない八郎君のかわりに喜美子さんを応援しよう。そう思うようになっていた。

いわば、八郎君への恩返しということか。

ついさっき、喜美子さんから個展開催の良い返事を頂いた。
私はまず、八郎君にその事を手紙に書くことにした。彼との約束の一つを守ることができたから。


あとがき
本編では、柴田さんがだいぶ長い間八郎さんのことを気にかけてくれている描写がありました。それのきっかけになったエピソードを想像して書いてみました。
この様に、私の妄想を掻き立てくれる朝ドラスカーレットにお礼を改めていいたいです。
なお、これは、私の完全なる妄想です。本編とは全く関係がありませんので悪しからずです。




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