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マヤ文字覚書

 メソアメリカ、今日でいうメキシコ南東部やグアテマラを含むマヤ地域で栄えた、マヤ文明。マヤ暦をもち、高度な建築技術と特異な文化で栄えたことが知られている。

 マヤ文明は生贄の風習でもって知られ、いささかエキセントリックな遺構・遺物を残したことでも有名だ。セノーテと呼ばれる泉の周辺で繁栄した彼らは、水源であり神聖な場所であったセノーテに、絢爛な装いの人身御供を捧げた。
 近年では水中考古学の発展により、セノーテの底部の調査が行われ、数百年前の人身御供と思しき人骨も調査されている。

 とはいえ、いくぶん猟奇趣味的な関心でもって、事実以上にメソアメリカの文明が血なまぐさいもののように語られてきたことも事実である。
 ユカタン半島に位置する遺跡、チチェン・イッツァに隣接するセノーテの調査では、水底から人骨が発見されている。
 しかし、400年にわたるチチェン・イッツァの歴史に対して、2011年の調査で発見された人骨は6体。1904年にはエドワード・トンプソンによる同セノーテの調査が行われ、数十体の少女の人骨が出土していたと記録されるが(のちにこの遺物は焼失しており詳細は不明)、それを合わせても100体を上回ることはないだろう。セノーテへの生贄は、毎年毎年行われていたわけではないようだ。
 なじみの薄い生贄の儀式は、新大陸に渡ったヨーロッパ人に強烈な印象を植え付け、今日に至るまでの独特なメソアメリカ文明のイメージを形成しているのだ……いわゆる"表象"・"バイアス"の類いに含んでよいものだろう。


 マヤ文字はマヤ地域で使われた文字だ。表語文字(※ひとつの文字がひとつの意味を表現する文字。漢字など)と表音文字(※発音をあらわす文字。アルファベット、ひらがななど)を組み合わせて使われる。ひらがな・カタカナと漢字を混ぜて使う、日本語とも似通った部分がある。
 現在確認できる最古のマヤ文字は、292年の記載がある石碑に見られ、メキシコによるメソアメリカ支配がはじまるまで使われたことから、少なくとも1300年の歴史があることがわかっている。

 マヤ文字にもいくつかの種類があるが、このうち紋章文字はその名の通り、都市の紋章として機能する。下に示すのは都市 "Calakmul"(カラクムル)の紋章文字である。構成を細かく確認してみよう。

 左上に配される丸が連なった部分は、「神聖な」という意味の形容詞クフル"k'uhul"である。右上のふたつの楕円はアハウ"ajaw"と読み、王を意味する。
 メインとなる下の部分はカラクムルの象徴である蛇を表現し、邦訳すると「神聖なる蛇の王」となる。この紋章でマヤ文明中部地域の中核をなした巨大都市「カラクムル」を意味しているのだ。

 カラクムル遺跡は現在、「カンペチェ州カラクムルの古代マヤ都市と熱帯保護林」として世界遺産に登録されている。文化遺産としてマヤ文明の遺跡を、自然遺産として熱帯保護林を合わせた、複合遺産として登録された最初の事例でもある。
 ピラミッド型の巨大建築物「建造物II」のほか、チュルトゥンと呼ばれる人工地下貯水池も備えた、大都市であったことがわかっている。


【参考文献】
杓谷茂樹 2001「囲い込まれる遺跡――メキシコ、チチェン・イッツァ遺跡のイメージ形成と遺跡公園の変貌に関する一考察――」『ラテンアメリカ・カリブ研究』第8号 1-13頁
赤松啓 2021「セノーテについて」東京海洋大学大学院海洋科学技術研究科修士学位論文(https://oacis.repo.nii.ac.jp/records/2254
ナショナルジオグラフィック 2011「生贄の人骨を発見、マヤ遺跡のセノーテ」(https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/4548/




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