地方で暮らすことは息苦しい?
まんトレ@心理学で人生を変える社長です!
コロナをきっかけに多くの方の目が地方に向いているのを感じます。
東京の一極集中による弊害を感じつつも仕事を理由に出来なかったことが
リモートワークの推進で今までより一層様々な働き方が出来ることで地方での暮らしにもっとフォーカスが当たりそうです。
では実際に地方の暮らしはどうなのでしょうか?
UターンなのかIターンなのかによっても違いそうですが、地方に関わる人の話を少し見てみましょう。
ある友人は、学生時代から大阪に暮らしています。
実家は四国にあるのですが、実家には帰りたくないといいます。
なぜか?と問うと「人の目が多くて窮屈だ」といいます。
ある歯科医師がいます。
岐阜県の町はずれに住んでいるのですが、フェラーリを所有されています
しかし、それを地元の人に知られないよう、少し離れた場所に駐車場を借りています。
わざわざ隣町の駐車場までセカンドカーで走っていき、フェラーリに乗り換えるそうです。
なぜか?と問うと「近所の人に見られると面倒だ」と言います。
地方の良さは、わりと人同士がつながっていて、独特の安心感があります。
たとえば、車にキーをつけっぱなしでも盗難されることはなく、家のカギを締めたことなどないという人もいまだに多いようです。
誰もが顔見知りであることと少し語弊がありますが監視しあうことで、安全な「場」となっているのかもしれません。
しかしそこには弊害もあるようです。
仲間意識というのは厄介なもので、仲間とそうでない人に線を引くことです。
だからよそ者が来ると警戒する。
また仲間の中から、その輪を飛び出そうとした人には白い目を向ける。
皆が同じであることが仲間の中では重要なようです。
少数民族が多数存在する地では、言語も民族の数だけあるといいます。
使う言葉で、仲間かそうでないかを見分けるためです。
日本の地方に伝わる方言も、もしかしたらそんな機能があるのかもしれません。
仲間意識というのは、一歩間違うと、異質なものを排除するコミュニティになります。
その結果が地方でフェラーリに乗ってはまずいとか、目立った行動をすると変な噂が立つとか、そんなことを気にしながら生きていくことになります。
それでも不自由がないからと、その中で身を置き、仲間の外の世界を見ようとしない。
なぜなら外が見えると自分の生活がどこか物足りないものに見えそうで怖いからではないでしょうか。
NLPでは、人と自分を比較することはあまりお勧めしていません。
誰かがフェラーリに乗っているとか、豪遊しているとか、贅沢をしているとかを気にかける必要はありません。
しかし、気を付けたいのは、日々自分が成長しているのか?という問いは必要だと考えています。
なぜならば、自らの成長は、人間が本来持っている重要な欲求だからです。
思い出してみてください。
初めて自転車に乗れたとき。
難しい試験に合格した時。
自動車の免許を取った時。
会社で大きな業績を上げたとき。
きっと、湧き上がる喜びをかみしめたのではないでしょうか?
こういった目に見える成果だけではありません。
人にやさしくできたとき、頑張っている自分を感じたとき、いつもより早起きできたとき、人は気分が爽快なのではないでしょうか。
大人になると成長を感じる機会はだんだんと減ってきます。
子どものころは無理やりでもチャレンジさせられてきたことも、大人になれば自分でやろう。と思わなければチャレンジは起こりません。
その時に足を引っ張るのが、いわゆる「仲間」だったりすることではないでしょうか?
仲間からつまはじき者にされるのでは?というあなた自身の恐れではないでしょうか。
だとしたらとてももったいない事をしているのかもしれません。
なにしろ人生の喜びを感じる機会を捨ててしまっているのですから。
かなり損をしている。というのがとまんトレの認識。
たくさんの体験とたくさんの刺激の中で、日々成長する人生を実感する。
もしそんな希望が少しでもあるとしたら、NLPの門をたたいてみてください。
質問は何でも受け付けます。
ぜひ自分の人生を考えてみてください。
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