2023年2月前半
世の中はとても賑やか。「大雪です~/前の日と10度以上の差がある春の陽気です~/西高東低の冬型の気圧配置です~」「予算審議で・・・」「フィリピンのルフィ・・・」「リスキリングで・・・」「ウクライナは、、、ロシアは、、、」「中国の気球、、、」「マスクは個人の判断で、、、卒業式は、、、」 賑やかというより、ちょっとガサガサした空気感かな。"2月は逃げる"というが、まさにその通り。春一番はまだ吹いていない。
20230201 Wed.
結婚どうするか問題について、自分なりの整理をパワーポイントに書いているが、端的にまとまらない。愚痴りたいわけでないが単純な話でもない。お相手は長い話が苦手なので、これじゃぁ伝わらない。
読みたい本は沢山ある。
だけど読むことに集中できない。
自分の内面との対話が続かない。
ガマンできなくなり外部へ刺激を求める。
今日は映画だ。
■
映画『イニシェリン島の精霊』
アイルランドの小さな島で、穏やかな暮らしが閉鎖的で抑圧的な空気に支配されているのは、お天気のせいだけではなさそうと感じる映画冒頭。ずっと島に住み、長年友人だった二人の関係性が突如一方的に変わる。妹がいるコリン・ファレル演じる温厚な友人Aと、アイルランドの名優(らしい) ブレンダン・グリーソン演じる友人B。Bの一方的な宣言から始まったふたりの諍いが周囲を巻き込んで島の人々に影響を及ぼす。Bが勝手に決めたルールにより、Aの行動に応じてB自らを犠牲にする。訳がわからないA。Aがついに鬱憤を行動化する。
グロい。
映画カテゴリーはコメディ。
タイトルに"精霊"とあるが、これはおとぎ話なのか?
時代設定は1923年、アイルランド内戦時。
1921年 イギリス・アイルランド条約 アイルランド自由国の独立
(地図の緑部分がアイルランド。赤部分は北アイルランド;英国自治領)
1922年 アイルランド内戦ぼっ発(条約反対派vs条約賛成体制派)
1923年 内戦終結(反条約派が劣勢)
1924年 内戦で収監された人質を解放
アイルランドの内戦を友人ふたりに投影して描く、ということなのか。
ストーリー展開ののち、友人Aの妹は島から抜け出して本土で伸び伸びした生活を得る。友人同士の2人は、抑圧状態から抜け出し、少しスッキリしたようだ。もしかすると基本的に何も変わっていないのかもしれない。
カテゴリーはコメディとされているが、正確にはブラック・コメディだろう。でも観終わって一通り味わったのちに思ったことなのだけど。
ここでのグロさは、おとぎ話としてデフォルメされたもので、抑圧の構図を描くために必要だったのかな。"起こさなくてもよい諍いを仲の良いもの同士の間で行なう愚かさ"、それがテーマなのかもしれない。
よくわからなかったのは精霊。調べるとアイルランド・スコットランドで誰でも知っているバンシーという死を予言する妖精がいるらしい。その特徴が、登場していた怪しげなおばあさんにそっくりだった。
私の理解の届く範囲で思ったことは、
長年変わらぬ長い付き合いが、一体何を引き起こすのか怖いなということ。
一見何も問題がなさそうでいて、とてつもないものを抑え込んでいるのかもしれない。
変化がないと、何事もよどんでくるのかもしれない。
変化が必要。どんな変化が適切か?
だから昔はオリンピックや祭りを発明したのだろう。
つまり、戦争や喧嘩を起こせばいいというのではなく、平和な方法で力を爆発させるような機会をつくる智恵が有用なのかも。
日本の、気を入れ替える様々な習慣もその一つなのかもしれない。大晦日とお正月、昨日と今日の間に、大きく空気間が変わるではないか。旅行や記念日も同じ。習慣なイベントだと思っているが、実は深い智恵なのではないだろうか。
アイルランドか。
アイルランドのお祭りといえば、セント・パトリックデー。恒例の表参道でのパレードは今年3月12日13時から。4年ぶりだ。
■
映画と同じフロアで牧野富太郎の展示会が開かれていた。
高知にある記念館のPRも兼ねているらしい。
牧野富太郎といったら、植物図鑑の代名詞のような人。
丁寧に手書きされた図版の数々が展示されていた。
私は生物学を学びながら全く興味をそそられなかった。1980年代後半には分子生物学や動物に関するテーマのほうが面白く感じられ、植物学を選ぶ人は、よっぽど先見の明があるか、昔ながらの生物学を愛しているか、どちらかという印象。そんな私にも偉大な学者であるということは明らかだった。
それがいま、注目を集めているとはどうしてだろう。
ひとつの理由は、昔の標本を、最新のデジタル写真でよみがえらせている人がいるからかもしれない。もうひとつは、最近さまざまな角度で植物が注目されているからかもしれない。この展示は3月5日まで、渋谷PARCOにて。
最近植物にまつわる話題といえば・・・
・種子法の問題
・日本の自給率が低く、近い将来の飢餓が想定されている問題
・ナチュラルな製品を求める健康志向の高まり
・コロナ生活から、プランターや貸農園など野菜作りに目覚めた人の関心
・南方熊楠への興味関心から、植物標本ときて牧野へ到達
・植物にもある種の知性があるという研究結果
・森は種を越えてコミュニケーションをしている、菌類がつないでいる
などなど。
地味にHOTだ。
外に出たら日差しが暖かく空気が緩んでいる。春の兆し。
■
同じところをグルグル回っているだけ、と自分を突き放したくなるが、本をよみ映画を観て書いていることは、何か歩みを進めているはずと思いたい。
ずっと昔、8年も前に思い描いたことを未だできず手放そうとしている私。
片や友人は、この3,4年思い描いてきたことを今まさに実現しつつある。
この違いはどこからくるの?
現実の流れに乗っているか、乗っていないか。波乗りの違いか。
それでも乗りかけた船、アプローチをかけたことをもう少し手をかけてみようかと思う。自分なりにその整理をしているが、途中でいやになる。それでも整理を重ねている。でもそれが相手に通じるか、受け取ってもらえるかもわからない。
いつもなら2月上旬に味噌づくりをした。昨年は骨折していて参加できなかった。今年はどうだろう。もう参加させてもらえないだろう。
自分で作るか。
■
『働く女子と罪悪感』浜田敬子著 2018年出版
1986年、均等法1年生の新聞記者総合職がどう働いてきたか。1990年から働き始めた私にとって近い感覚がして、つい読み進めてしまった。
主な内容
・男性が築いてきた社会のなかでの常識・ルールとどう対応するか
一部従いつつも変えるところは変える
(例:当直用ベッドは既存のものでなく新設)
・子育て時期に、どうやって時間の折り合いをつけて働き続けるか
・育児休業法が発布されてから、どうやって制度を活用して仕事をしたか
・管理職になってからの醍醐味
・自分より10年後、20年後の女性社員との意識のギャップ
ギャップに気づき、理解し、アジャストした過程
彼らの働きやすさのために何ができるか・できたか
30代後半から40代前半の女性にとって、均等法当初にキャリアをスタートさせ男性社会で生き残ってきた女性が、実は大きな敵なのだ、と知人がSNSに書いていた。彼らにしてみれば「1986年~1990年代から働いているあなたのように男並みにはやれません、やりたくもありません」「あなたたちは子育てしながら働くことに理解がない、若い働く女性を深く傷つける」と感じているそうだ。がっくり来る。
少なくとも、年齢一律に区切ることは辛いなぁと感じる。敵だと私も思われていたのだろうか。おまけに私は子供がいないから、気持ちがわからないと思われていたのか。
その体験はないが、私は産休した人達・子育て中の人達と一緒に働き、カバーした部分もあるし、彼らに教えてもらったこともある。
敵を作って、そこを集中的に変えることで社会を変えようというアプローチもわからなくないけれど、敵として想定すると排除や回避しかなくなる。相手の力も使うとか、協力するという考えが生まれなくなる。それが残念だな。でもそれだけ苦しいと感じている現実があるんだよね。
■
ミャンマーの軍事支配は、2年前の2021年2月1日から始まった。
昨年はウクライナに世界の注目が集まっていたが、その前からミャンマーの都市での弾圧は問題視されていた。ウクライナが始まったのと同時期に軍による弾圧が都市から地方へ移っている。塗りつぶすように、周辺農村が焼き討ちにあうなど軍部支配が現在進行形で進んでいる。
日本にいるミャンマー人やミャンマー支援者の支援はずっと続いている。
□
岸田首相発言。2/1衆議院予算委員会において
これまずいんじゃないか。本当に本人がそう思っているのか、自民党レガシーで言っているのか。
□
宮台真司の殺傷犯人が死亡していた、昨年12月16日ごろとのこと。
いつ警察はその情報を得たのか? いままで伏せていたとしたら理由はなにか? 死亡したため実行動機は明らかにならない。何だったのだろう?
20230202 Thu.
歩数稼ぎの散歩中、
とあるカフェで、70代くらいの白髪のお爺さん同士がお喋りしていた。リタイアした年金生活者で、それなりに暮らせている人たちのようだ。だんだん友達が亡くなっていき「星を見上げて早く逝っちまったなぁと思う」と。
年金の話になったら「国会議員は10年やれば、年金が月35万円出るんだぞ」と。へぇそうなんだ~サラリーマンを30~40年やっても月35万円なんて話きいたことがない、そんな金額もらえる人がいるか?給与がどのくらいだらそうなるのだ? 70代世代がどのくらい貰っているのかよくわからないけれど限られた金額のなかでセーブしながら生活しているようだった。
2人の話はあちこちに飛び、今度はウクライナとロシアの戦争について。「武器供与すれば戦争が長引くだけだ、良くない」と。おお、私と同意見。「自分がゴルゴ13だったら、プーチンを殺りにいくんだけどな」「ええ、そんなこと出来るのか?近づけるかよ」「いや、ほんと、ゴルゴ13だったら、自分の命よりも世界平和を取る。そのために命を落としてもいい」と盛り上がっている。
ゴルゴ13ですか、かっとんでいるお爺さんだなぁ。
■
今日は結婚についてのレビューに取り組む、と決めて、
パワーポイントにまとめたものを作っている。が、芳しくない。
自分の考えがまとまったところで、これが相手に届くようには思えない。
図解したほうがいいかもしれない。
話し合うときには、ルールを作ったほうがいいかもしれない。
・片方が話すときは片方は黙る
・相手が言ったことを、否定しない。それに対する自分の立場での説明はOK
できるなら、第三者がいてくれるといいなぁ。
でも彼はそれをよしとしないだろうな。
31日に夫である人からメールが来ていたけれど、開けなかった。準備が出来ていないところで会うことになると自分がぐらつきそうだから。
ある程度レビューができたと思ったところでメールを開いてみた。あれっ、日程相談かと思ったら、遅れてきた年賀状の画像データだった。
この人は、話すことを徹底的に避けるなぁ。
嫌なんだろうなぁ。
ほっとする部分が20%、事態が進まない不満が70%、説明のつかない気持ちが10%。
今日2月2日は婚姻届けを出した日。2014年から9年目。
1年目は一緒に食事に行ったけれど、
2年目は何かの行事に彼は出かけていて、私一人でケーキを食べた。
あれこれ考えながら三軒茶屋を歩いていて、何となく、餃子を食べながら、夫と話したらうまくコミュニケーションできそうな気になった。向こうが酔っぱらう前に、肝心なことを話せるだろうか。過去何度もあったように、核心に入るまえに向こうが酔ってしまい、うわべ・きれいごとで終わり何の効果もないのだろうか。
■
寒いので、早い時間からベッドに入って本を読む。
暖かく過ごせることは幸せだなと思う。
幸せを感じるポイントは人によって違うけれど、それでも共通する基本的幸せ項目はあるはず。安心して眠れる・寝ている間は暖かい、これは必須。誰にとっても満たされていますように。
20230203 Fri.
16時から行われる神社の節分会へ行ってみた。
いや~楽しかった。
15:50頃に到着したところ、実はそこからご祈祷が始まり豆まきは16:30頃からだという。ちょっと待つなぁ。日本文化の特徴のひとつ、待つ文化・・・じゃないだろうか。
若い神主さんが「これからご祈祷をします、皆さんも参道にてご一緒にご参加ください」と声をかけてくださる。本殿の中の人達と共に、我々のお祓いやご祈祷もしてくださるというのだ。
要所要所で、頭を下げるとか、二礼二拍手一礼とか、促してもらう。
ご祈祷が終わったら、神主さんが凶の方角へ矢を射る。
そして、いよいよ豆まき。
「神楽殿の前にお集まりください」と促され、まず子供が近くに陣取る。その後方に大人が並ぶ。年男・年女20人くらいが5,6人づつ順々に豆をまいてくれるらしい。豆かと思ったら殆どはお菓子らしい。
いまどきの子供達はさすがというか「お願いですからこっちへ投げてください~」「貧しい子供に愛の手を」などアピールがすごい。親の入れ智恵で大きな紙袋を高く掲げている子も数人いる。
その後方に並ぶ大人は、あからさまに図々しくはなれなくて、私含めて遠慮がちに外側に立ってみる。でも豆は頂きたいので「こっちまで投げて~」と皆で手を振ってアピールする。知り合いでもない、その場だけのご縁でチームワークを発揮した(笑)。
男子大学生が3‐4人が右側。左には日本語も話せる外国人とみえる女性。みんなで並んで手を振る。なかなかここまで届かない。気づいて頑張って遠くまで投げてくれる人もいる。
そのうち、まず跳ねて落っこちたお菓子を拾った私。外国人の女性はまだゲットしていない。一個貰ったけれど私もまだゲットしようと手を振る。男子学生のうちの一人はキャッチできたようだ。
お菓子を投げる年女・年男たちは、ある程度まんべんなく投げてくれるようなのだが、やはり遠い場所は、力いっぱい投げないと届かないので、私らの場所は不利だった。外国人女性に「もう少し中心寄りへ移動したら?」とジェスチャーしながら声をかけたら、1個ゲットしたと見せてくれた。グッ!
まだあと二回くらいお菓子を撒いてくれるようなので、最後まで参加しようとねばってみた。投げてくれるんだけど、なかなか届かないもんだ。そしたら、60代くらいとおぼしき貫禄のあるおばさんが、力強く、不利エリアめがけて投げてくれる。「わ~、あの人やってくれるなぁ」と男子学生からも声が上がる。そうこうするうちに、私のところにも1個飛び込んできた。うまくキャッチしたというより、飛び込んできた感じ。
隣の大学生も取れたようで「直接キャッチできると嬉しい~!」と。私も「ほんと直接は嬉しいですよね」と話しかけた。愛想よく笑顔を向けてくれて共有。
豆まきが終わったあとに、神社から本当の豆も配っていただいた。
男子大学生たちは10個以上集まったようで呑みのお供にするらしい。20個、30個と集めた小学生もいた。想像していた以上に活気のある節分会だった。
■ニュースから
ウクライナで、カザフスタンのユルタを設置
カザフスタン特有の、モンゴルのパオのようなものを張って、そのなかで暖を取ってもらおうという支援だそうだ。
自衛隊のお風呂支援をウクライナなど避難場所や戦地で行ったらどうかという私のアイディアと共通するところがある。その国の文化を深いつながりがあるもの、人々を直接支援するもの、武力と無縁なもの。支援の方法は武器以外がいい。
どういう方法なら日本はウクライナの人々を直接支援できるだろうか
どういう方法なら日本は停戦を促す外交活動を始められるだろうか
□
国民栄誉賞
パラリンピックの車いすテニス男子で4個の金メダルを獲得した国枝慎吾さん(38歳)に授与する方針を固めたとの報道。四大大会全制覇とパラ金メダルを合わせた「生涯ゴールデンスラム」を2022年7月に達成したことは偉大に違いない。
相応しいけれど、なぜ今の時期?
なにか矛先を変えたい、隠したいものがあるのだろか。
□
フィリピン収容所にルフィがいた、ひとりではなくチームプレイ
すぐに容疑者を日本へ返さないのはおかしいなと思っていたら、現地での裁判という事情のほかに、もうひとつ、職員や収容所トップの不正があったそうだ。賄賂が多い国はこうなるよね。
先週末のニュースで、タイでは、中国人高額所得の旅行者に警察が便宜を図っていることが発覚し逮捕されたという。アジア南方はまだまだ贈賄が多い。
ルフィは効率化した強奪チームをいくつも操り、リモートでお金を巻き上げていたらしい。誰でも動けるようにマニュアル化して、成果が出るようメンバーをコントロールしていた。会社組織をうまく動かすのと同じ方法。
□
すれ違いざまの切りつけ事件。
気づいたら切られていたという事件が複数発生。
護身術が必要か。すれ違いざまに身体がぶつかっても何も言わない人が増えていることがこの数年気になっているけれど、不用意に人と接しないように気を付けた方がいいかもしれない。
□
夜になって岸田首相の秘書官による同性結婚に関する発言について報道された。
国民栄誉賞がなぜいま?という疑問と、2日前に岸田さんが言っていたことと同じ趣旨のことを発言した秘書官が問題視されるって何?と脳内を巡る。
■
手袋ホルダーを自作
ネットで販売されているものは、ごっついスポーツ用かおしゃれな飾りつきが殆どで、ピッタリくるものがなかった。
アクセサリー用品販売店にて、想定とは違うがとりあえず材料を買い、できる範囲で形を作ってみた。まーいいか。鞄の中でをガサゴソ探しがちなのがスッキリ解決しそう。
暇なんだな。
20230204 Sat.
立春大吉、というお札をつくって玄関に張る。
2/1午後に出した寒中見舞いは、昨日届いたか、本日か。
春の兆しがちらほら見えるとの記述も加えておいたが、我ながらギリギリすぎるタイミングに出したものだ。
■
秘書官更迭
これ自分の発言(2/1衆議院予算委員会)を打ち消すためのいけにえではないか?トカゲのしっぽ切。唐突に感じた国民栄誉賞とセットだ、おそらく。
こういうことをする奴か。ずるいな。自分の息子も秘書官にしているが、他人を切る。秘書官は8人いるそうだ、そんなにいるのか。
ニュース報道を観ると、岸田さんも同じこと言ってたじゃない、と思えるのだが。
新井秘書官は、より具体的で生々しい言葉を使っていたという違いがあるが、これはオフレコ会話だったらしい。
一気に、岸田さんがLGBTQ無理解に対してきちっと対応したという認識が広まっている。おかしくないか。こんなにクリアに現実とズレた報道は明らかにメディアの忖度ではないか。
勝手な憶測
・岸田さんは、自分の発言の矛先を変えるために、秘書官を犠牲にしてトカゲの尻尾を切った。それも私設秘書官(息子のような)ではなく、公務員の官僚出身秘書官をだ。
・秘書官はオフレコで、岸田さん発言の悪影響を和らげるために「いや~実際私もこう思いますよ」的な文脈であの問題発言をしたのだと推測される。その内容自体は由々しきことだが、発言経緯は岸田さんをかばうため。予算審議優先するため。要は犠牲者。
・岸田さんが当初の発言をしたことは、政治や首相の質の劣化の現れ。これまでの他の首相ならば、そういうことは自分の役職では決して口にしないという規律を持っていたけれど、そこが緩い。首相が緩くなるのは、自民党の緩さ・政治に関わる人の緩さではないか。二世議員に限らず。
20230205 Sun.
朝、MBTI勉強会のあと、
映画『The Mission』をみた。映画『モリコーネ』のなかで、彼の作曲家人生のクライマックスともいえる至高体験から得たメロディ。
ソラソファソ~♪
『ガブリエルのオーボエ』という曲は、とても印象的。
この映画を観た記憶なく、アマゾンプライムにも出ていない。海外の有料映画コンテンツサイトにチャレンジしないとダメなのかなと、ちょっと諦めていたのだが、何気なくYoutubeで検索したら、字幕なしがあった!
幸い込み入ったセリフは、イエズス会枢機卿やスペイン・ポルトガルの領土線引き会議の部分に限られ、先住民とロバート・デ・ニーロ、ジェレミー・アイアンズの演技によって概ねストーリーを追うことができた。
最終的には悲劇的な話なのだが、イエズス会・先住民、それぞれの人間の尊厳を感じる映画だ。歴史の過ちを経て、この映画がつくられた1986年頃には先住民に対する理解やレスペクトが増していたのではないかと思う。
私と同じように『モリコーネ』からこの映画にたどりついて観た人のレビューがあり親近感を感じた。やはり観たくなるよね~。
映画情報ご参考
https://filmarks.com/movies/29713/reviews/148666402 音楽コメント
https://movies.yahoo.co.jp/movie/22838/ 感想
https://eiga-watch.com/the-mission/ 詳しいあらすじ
↓ ソラソファソ~♪『ガブリエルのオーボエ』 2:46
↓ 『メインテーマ』5:37 3つのパートから成るメイン曲
20230206 Mon.
朝の読書会は、昨日観たThe Missionとのつながりがついて、自分の認識を改めるというか、物差しを修正する体験となった。
書籍『「わかりあえない」を越える』にて
褒めるということは、自分の価値観を相手に押し付けること。鋳型を押し付けることになる。褒めるということは、けなすことと同じだ、との趣旨が書かれていた。ちょっと驚いたが、確かに褒められると嫌だという人も居る。自分も褒められて嬉しくないときがある。
その理由は、褒める側の価値観で褒めていて、それは当人の認識や可能性と一致しないから。
褒めるポイントがズレていると、それ以外の要素が抜け落ちる感じが生じる。「そこじゃないのに」という感じ。褒める対象が絵や音楽など言語化しきれていない創作物の場合、言葉によって、ある方向から規定されてしまって当人にとってつまらなくなる感じ、価値下げが起きる。
その感覚は、朝目覚めたときに、夢をコトバにすると抜け落ちるものが多い感覚と似ているかもしれない。
The Missionは、南米の先住民族と、イエズス会の修道士の出会いから始まる映画。イエズス会修道士と先住民族とが、融和的にお互いを尊重しながら交流すれば関係性が続くが、一方的かつ専制的に接すれば、関係が壊れてしまう。その最たるものが、スペインとポルトガルによるあたらしい国境線引きであり、映画ではそのために先住民族が戦い壊滅的に死者を出す(数人残った人がいて、この民族はいまも続いている)。ここでは、西欧の宗教が正しいものとして相手に価値観を教育している。素晴らしいことを教えて、貧しい生活をしている先住民族を導いているつもりかもしれないが、それは彼らの尊厳を奪う場合が多い、という見方が書籍と共通する。(簡単にいえば上から目線)
確かに。子供を育てるのだって同じだ。
言葉を使えるようになる頃までは、問答無用に善悪を教える。トイレトレーニングとか、食卓で食べるとか、危険を教えるなど。それは必要なことで、そのままでいい。
ただ乳児期を超えて、言葉がわかるようになると、子供も自分で感じて考え始めるのだ。それを「褒めて」親にとって、社会にとって、都合の良い、或いは、理想的に育てることは、その子を「けなす」のと同等だというのだ。
ちょっと激しくも感じるが、本質的にそうなのだろうな。
それが本人を尊重するということになる。
私自身は、対人コミュニケーションにおいて、相手の良いところが比較的見えやすいとこれまでの人生のなかで思っていて(ホントは傲慢なのかもしれない)、すぐそれを当人に伝えたくなってしまう。あるいは、自分が感じたその人の美点を御礼の気持ちで伝えたくなってしまう。(上から目線ではないつもり)
そのときに、決めつけるような、限定するような言葉を使うと、鋳型にはめることになり、当人はちっとも嬉しくない、というのだ。良かれと思って褒めても、相手の受け止め方は別だという現実を私は正しく認識しなくてはならない。
感じたことは伝えてもいい。「私はいまこう感じた(親切だ、素晴らしいなど)。あなたは、そう言われるとどう思う?」という感じかな。要は、自分の感覚を伝えて、つぎに相手の感覚を教えて貰う。決めつけでなく、相互の対話にすることが必要なのだ。
時々、考え方をバージョンアップしたり、自分の偏った認識を変える必要が生じる。
違和感に会い、認識を変えるチャンスがあるのは有難いことだ。
■
夕方、渋谷SKYへ行ってみた。
今日は満月だし。
17時に行ってみると、平日にも関わらず混雑して本日のチケットは完売という札を持った係員がいた。
多くの外国人観光客が来館し、昼間のうちにチケット完売となっているという。これがインバウンド復活ということなのね。中国人だけでなく、東南アジア各国(マレーシア・タイ・インドネシア・ベトナム…)の方も多い。
4月から1年間有効な年間パスポートを持ち、振り返ると11月と1月は1度も来なかった。冬は空気が澄んでいるのでもっと利用しよう。
■
トルコの地震
現地時間6日午前4時17分(日本時間10時17分)ごろ、マグニチュード7.8の地震が発生。被害者数を明らかにすることはとても難しそう。
20230207 Tue.
一日おもいっきりだらだら過ごした。
3年寝太郎になるかと思った3年前。ほとんど実現しているようなものだ。
お金の不安を抱えつつ、まだ解脱しないらしい。
私はダラダラするために生まれてきたのかもしれない。
■
今年秋の松本キネンフェスティバルに登場する指揮者と演目が発表された。
なんとジョン・ウィリアムズ。
彼は映画音楽の作曲家であり指揮者だ。
フェスティバルの正式名称はセイジ・オザワ松本フェスティバル、指揮者小澤征爾が始めたクラシック音楽イベントで、長野県松本市を中心として1か月ほど、オーケストラによるコンサートが開催される。
毎年異なるクラシック音楽の指揮者が呼ばれてきたが、小澤征爾の盟友という位置づけでジョン・ウィリアムズが登場するとは、大きな転換点だ。クラシック音楽と映画音楽の垣根が無くなったというか、"映画音楽は現代のクラシック音楽だ"ということになるのかもしれない。
モーツァルトやベートーベンの曲は、1780~1820年代当時から現代までずっと演奏され聴き続けられてクラシック音楽となった。20世紀・21世紀に作曲されて、100年経過しても残るもののなかに、映画音楽は必ず入りそう。というか、映画音楽はきっと残るだろうと思う。モリコーネの『ニュー・シネマ・パラダイス』『ワン・サポナ・タイム・イン・アメリカ』のデボラのテーマ、『ミッション』のガブリエルのオーボエなど。
↑ 『ニュー・シネマ・パラダイス』より『愛のテーマ』
↓ 『ワン・サポナ・タイム・イン・アメリカ』より『デボラのテーマ』
20230208 Wed.
トルコ地震から40時間以上経過。
当初死者2000人前後と初期報道され、増えると予想されたが、現時点2万人とも言われている。おびただしい人数。
日本から救助に向かう人々、現地で赤ちゃんや子供を救い出して歓声をあげる映像をみて、少し気持ちがやわらぐが、やるせなさは変わらない。
とにかく不条理だ。
いま置かれているところで、
精いっぱい生きなくては。生を楽しまなくては。
いやいや、もっと積極的にポジティブに!
「精一杯生きよう」「生を楽しもう」「生を味わいつくそう」
その一方で気になっていること:
・お金のこと
死ぬまで持つか
ケチケチしないで思いっきり使いたい
・老後の生活場所 地方拠点がよいか、都会か、ほどよい場所はどこか
・神宮外苑再開発のこと
・私自身がいかに生き切るか
・今日はとても寒くて、家を暖房したほうがよいのか、カフェや図書館などを渡り歩くのが良いか問題w ちっちぇえ
自分の範疇を越えたこと、予測できないことを気にしてもしょうがない。この条件に上記を照らし合わせれば、いくつかが消える。
■
『精神と物質』を読了。
1990年発行の本。ノーベル賞を受けた利根川進の免疫遺伝子の研究について、立花隆が本人へインタビューした本。
かなり昔の本だが今読んだ理由は、利根川進が精神についてどう捉えていたか、その片鱗を知りたいと思ったから。
その話は最後にあった。
本の95%は、免疫の遺伝子がどのように出来ているか、どのように調べたかが述べられている。最後の最後に精神の話が出てきた。
その95%の部分から、科学的に捉えるとはどういうことか、はっきりわからないことがあったら、それをどのように位置づけることが科学的立場なのか、をおぼろげながら捉えることができた。だから全体を読んで良かった。立花さんほどのファクトや数字を追いかけた人であっても、精神とか臨死体験のような、実験でも体験でも書きあらわせないものを、利根川さんがどう考えているのか。その議論の最終段階が引用部分だ。
■
朝、
身体が暖かい状態で寝床を離れる
からだが冷たかったら温まるまで二度寝したい
白湯を飲んで、飲み物、そののち食べ物でお腹を満たす
洗濯か料理か体操か、手足を動かす
お手洗いで快便
そうしたら、外に出られるような気がする。
会社で仕事しているとき、30分かせいぜい45分で家を出ていて、快便はなかなか果たせなかった。会社のお手洗いで頑張るか、週末までため込んでいた。身体が冷えていてそれどころでなかった。
一生懸命働きつつ、身体に負担を強いていたなぁ。
身体を大事にすることの重要性は、深く強く理解していたけれど、現実とうまく整合させることが私には困難だった。
20230209 Thu.
読書会2本。
今日も午前中はゆっくりした。
春めいてきたけれど、私はのろいままだ。
世の中、行動してなんぼ、行動したところから学びが起きる、と言われているし、自分の体験からもそう思うけれど。
■
午後また昼間の渋谷SKYに上ってみる。青空に薄く雲がかかっている。富士山は見えない。
11月と1月にはここへ来ていない。残念なことをした。強風で上がれなかった日もあったのだが、空気が澄んでいる時期に2か月も空白をつくったのは勿体ないなぁ。
12月頃まで有料エリアとして区切られていた東側スペース(東京タワー・スカイツリーが見える場所。ソファがあり、夕方は街が徐々に夜景に移り変わるさまが美しい)を、いまは無料で開放している。
オープン時は無料だった。夏頃から飲み物を買った人だけが入れる有料スペースに変更された。アルコールなどの値段が高めということと、paypayなどのスマホ決済しか使えないため、利用者は少なかった模様。
要は、ここは無料でオープンしておけばいいのだ!
せこい稼ぎ方をするな!
■
夜、オンラインに参加。SDG’sを考え実行するチームが主催し、テーマは『スイス 修理する権利』、スイス在住の方が話をしてくれる。
参加してみると、EUにおけるスマホ修理を題材とした話だった。私にはスマホやPCのような半導体チップや電気回路を修理することはハードルが高くて、ちょっと当てが外れた。しかし日本でも壊れた場合、メーカーや通信業者に依存しなければならないシステムの不便さは私も感じる。バッテリーが弱くなっただけで、旧世代のスマホを使えなくなるなんて通信業者の罠みたいだ。
私が期待していたのは、"使い捨てではなく修理が当たり前のスイスでは、こんな仕組みがある、こんなお店がある、人々はこう考えている"などの情報だった。いまブーツの靴底を修理するかどうか迷っていて、それが直接の参加動機だったから。
生活していて感じるのは、100均や断捨離や、ゴミを捨てる文化が旺盛だということ。ゴミをつくっている、ともいえるかも。他の国もそうなのだろうか?
・掃除機は20年以上使用していて壊れない。不織布モップと併用。
・靴底は、木の靴底であれば修理して使う。最長選手は30年のものがある。先ほどのブーツは10年選手で気に入っている。しかしスニーカーは2-3年でウレタン部分がダメになり、交換や修理が不能。
・本日聞いた話だと、日本企業にとって修理部品は10年までは在庫扱いだが、それ以降は課税条件が厳しくなり保有しておくメリットがない。
・産業全般としては、儲けるためには新製品を買ってもらいたい。そのためのモデルチェンジや新機能追加。
それはわかる・・・
そのうえで、どうするか。
・修理して使えるものは使う。
ゴミ処理における3R(リデュースごみ削減・リユース再利用・リサイクル再資源化)+Repair(修理) つまり4R!
・企業は既存製品を回収・再利用して、新製品を使うサイクルを作ることで資源活用と利益を両方成立させる
・上記を主流にしていくために、一般の人々から望ましい製品サイクルについて投票してもらい、社会の動きやニーズを見える化したらどうか
などの話が出た後半は面白くなった。
https://www.3r-suishinkyogikai.jp/intro/3rs/
3R推進協議会公式サイト
20230210 Fri.
雪? 雨? 天気はどうなる?
朝から雨。11時頃、雪が混じってきた。朝から気温が下がり続けているそうで12時頃は気温が0.4℃。反対に、午後は夜に向かって4℃くらいまで徐々に上がるらしく、東京はこのまま雨模様で終わりそうだ。
同じ東京都内でも八王子や、神奈川県相模原市、箱根町など積雪が多かった。高校の入学試験があったそうだ。受験生は気をもんだだろう。
積もった雪は踏み固められ、夜にかけて凍る。滑らないよう気を付けよう。
新橋駅前でのTVインタビューでフィンランド人が「私たちには春のようです」とコートの前を開けて笑っている。東京は雪で大騒ぎです。
20230211 Sat.
今年も文旦の季節がやってきた。
日銀総裁人事が報道された。国会承認前で、これはリークなのか?
植田さん:東大理系卒から日銀
内田さん:東大・日銀一筋 金融政策の申し子
氷見野さん:富山 バーゼル 国際派
氷見野さんだけが、日銀育ちではない。
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映画『茶飲友達』
もともとは『うまくいきますように』を観にいく話だったのだが途中で、先方が観たい映画に変更。仲間内で話題に出た作品だ。どちらも高齢化というテーマは共通している。
知らなかったけれど、実際摘発された事件を題材にしているらしい。
高齢者を対象とした売春・買春あっせん会社という場の物語。
違法だが、そこには人間的な関わりがある。
人間的な関わりが希薄なために感じる飢餓感。それを放っておいていいのか。世の中で日陰に置きがちな性というテーマ。
そのあたりがセンセーショナル。
年取るほど、新しく出会う人と性的な時間を持つのはハードル高い。代替え策で猫や犬を撫でていればいいのかというと、そうではない。
触覚も大事な要素だが、異性への憧れ・投影などもあり、それでなくては満たされないという空白がある。満たされない人達はいる。
さて、映画について
一緒にみた友人とお茶しながら話したこと:
・法律的に正しいことが、人の幸せに結びつかない
・人は居場所を求めている(若い人も、老人も)
・家族はひとつのつながり、それでなくてはいけないことはないが、満たされるものは大きい。何があっても、この繋がりは強い。
・家族以外のつながりがあっていい。むしろ積極的につくったほうがいい。何かあったときに脆さはある。(だから色々なつながりを持てるとさらにいい)
映画全般的に、
・誰のセリフにも嘘がない
(そのときの自分に嘘をついているセリフがなかった)
・誰もが傷ついている (当たり前か、誰もそれぞれ傷は持っている)
ということが印象的。
予期せず、監督外山文治さんと女優磯西真喜さんがアフタートークをするという。プロデューサー市橋浩治さんが司会。
それを聞いて、丁寧に作られた作品だということがよくわかった。だからこそ、タブー視されがちな性というテーマを映画一本で描ききることができたのだろう。
この女優さんは主に舞台で活躍していた方。監督のワークショップに3回応募して2回は年齢で撥ねられていたとのこと。この作品を撮影するにあたって初めてワークショップに参加してもらって、実力もよくわかったし、その場でつくりあげながら撮影するスタイルのもと、いい演技をしてもらえたと監督さんがコメントしていた。
演劇世界も年齢で落とされるんだな。演技は、経験で味が深まる性質のものなのに。年齢が上の役は、有名な人ばかり出てくるのは、そういうシステムだからかもしれない。
性のタブー視も問題だけど、年齢で切ることも、そろそろ終了していいんじゃないかな? 若手と一緒にワークショップをすれば、お互い学ぶことが増えて刺激になるだろう。
ただし年配者は偉ぶらないという条件が必須。(多くの人はわかっているが、まだ勘違いしている人がいる)ちなみにこの女優さんは61歳。
20230212 Sun.
実家へ帰るつもりが、今日は明治神宮外苑の再開発見直しを求める集まりがあり、結局参加した。13時から15時半。国立競技場近くに集合し、外苑を見学しながら銀杏並木を通過する。途中道行く方にビラを配布した。
主催者の発表では150人。これまでからすれば100人越えて良く集まった。
神宮外苑再開発について、私たちは表にでてくる情報や確認した事実においてしか行動できないが、背後にあるものを憶測することはできる。贈賄はきっとある。私たちは都民として、一般庶民の資産である神宮外苑を活かすことに責任も義務もあると思っている。
マスコミはテレビ朝日、外国通信社向けの2社が来てくれた。
ICOMOS石川幹子先生(東京大学名誉教授・ランドスケープ・アーキテクト)、原科幸彦先生(東京工業大学名誉教授・環境工学)、活動をリードしているロッシェル・カップさん、Tunoiさん。
外国人は少なくとも5人。アメリカなどの白人。
アメリカ人の若い男性は、「自然は美しい。外苑は美しい。
みんなカワイイが好きだけれど、カワイイものは美しくないよ。
自然はカワイイではない。」 妙な納得感があった。
「署名活動したときに、日本人は署名しません。外国人のほうが署名しました。どうしてでしょう?」 これはアメリカ人らしき大学教授の問題意識。
私にとっては、木(すだじい、なんじゃもんじゃ)を教えてもらったり、参加者と話して考えが刺激された。インタビューを受けて、伝えもしたが課題も感じた。どれも意味あることだった。
しかし外苑再開発を止めるような力にはなっていない。全く。
市民の活動は散発的で、情報公開が遅かったこともありタイミングが遅くなりがち。行政や事業者は、通常プロセスに従い粛々と自分たちの計画を実行している。環境アセスメントは形ばかりで、実質的な効果を出せていない。環境アセスメントの内容に虚偽がある。虚偽があると指摘しても、それは十分な考慮も再計測も行われずに、行政も事業者も進めようとしている。それが現状だ。
散発的にメディアから記事が出る。
これは憶測が外れていないことを示唆する記事。やはり貴方達ですね。
帰りに、外苑銀杏並木に近い青山通りのお店へ寄って、ビラを読んでもらえないか渡してきた。土産物店の店主は「ずっと住んでいる地元民だが外苑の再開発について詳しいことを知らない。どうなるんですか」と聞かれた。
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岸田さんについて
保坂さんの論考 前後編。面白いというか的を得ている。
せっかく今年広島でG7が行われ、議長国として関わるタイミングに恵まれているのに、日本の立ち位置を変えたり世界の平和に貢献することは、どうも実現できそうにない感じが色濃い。既定路線に従属しているだけで、国民全体よりも自分たち政治家や一部の企業の利益を追っていくだけで、国民のためや将来のためになっている気がしない。
「反撃能力」(やむをえない必要最小限度の自衛の措置として相手の領域でわが国が有効な反撃を加える自衛隊の能力)を持つと決めるならば、それに掛けるエネルギー以上のエネルギーを投入して、平和的解決のための下地づくりとなる外交による戦略的な国家間関係構築に力をいれるべきだ。もっと仕事してもらえないだろうか。
20230213 Mon.
1日雨。
実家で庭仕事も出来ず、つまらないので炭をおこして七輪に火をつけ、普段人が入らない部屋で古本整理を行った。写真を撮って古本屋に見積もりを出したけれど値が付かなかった書籍。
絶対に誰も引き取らないだろう本を束ねて捨てる準備をした。巾80センチ、10段くらいある本棚の半分にあたる量。今日はそれだけで終わりにしよう。
書籍のなかに、祖父のメモが入った戦争仲間の冊子があった。『スメルの月』。1946年、復員するときスメルという場所から船に乗ったそうだ。スメルは、ジャワ島の東側にあった。
中学生・高校生だった頃の私が、祖父の戦争体験について教えて貰いたいと言っても、絶対に話してくれなかった祖父。南方のどこに行っていたのか、定かに記憶していなかったのだけれど、これでハッキリした。いまはインドネシアとなっているジャワ島にいたんだ。ここはオランダ植民地であったところで、第二次世界大戦(太平洋戦争)で日本がオランダから奪い取った場所。わりとあっさり奪い取り、その後、この地を日本が統治した。ジャワ島の人は、日本の歌を歌えたりして、それなりに仲良くやっていたところもあるようだ。戦争状態だけではなかったらしい。
冊子には祖父の文章は入っていない。
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今日13時から小池百合子都知事が、RCCJ日本外国特派員協会で記者会見をする。The Challenges Facing Tokyo in 2023; Achieving a Sustainable City. 持続可能で強靭な未来を確保するための都市計画について。そのとき、記者から外苑再開発について質問が出るだろう。どんなコメントをするだろうか。
骨子
新築住宅へのソーラーパネル設置の義務付け
ゼロエミッション車の導入
水素発電の新たなインフラ整備
グリーンファイナンスやESG(環境・社会・ガバナンス)投資の誘致
ロンドン市と連携したグローバルな金融センター、などを目指す。
子供First
卵子保存サポート
20230214 Tue.
2/13外国員記者クラブでの小池都知事との質疑応答。
馬鹿にされた気がしてくる。
いや、これは人を馬鹿にしている。
神宮外苑再開発に関心を持ち、見直しを求める活動をするこのグループをはじめ、署名した11万筆以上の都民と国民がいるにもかかわらず。「排除いたします」発言が記憶に残る小池さんだが、無謀な計画に反対する声、私たちも「排除」するのか。
東京新聞の都民意識調査によれば都民の7割が「反対をする方々」だ。
住民を無視した状態は、都政も県政も十分ありうることではある。
しかし、あれだけの広さの、大正時代から育てた智恵と自然の合作を、このSDG'sを掲げ緑化を進めようとする時代にぶち壊すとは心が痛む。
大罪でなく何なのだろうか。
愚策でなく何なのだろうか。
クレージーでなく何なのだろうか。
外国から見て、東京はアタマおかしいんじゃないかと思うだろう。
下記動画にて小池さんはこちらの数字を質疑応答で使っていた。
1)木の本数 1904本 → 1998本
2)緑の比率 25% → 30%
3)オープンエリア面積比 21% → 44%
私自身は1)2)について異論がある。
1)本数:100年以上の木で保存されるものもすべて残すのではなく一部を残し、殆どは伐採後、若木に置き換えられる
2)緑比率:何をもって算出しているのか不明
伐採により日陰スペースは減少すると考えられる。樹木が若くなる分、樹形が小さく、葉っぱがつくる空間は減るのではないか。
3)オープンエリア面積比:Beforeでは施設に使われる部分をオープンエリアとしてカウントしていない。その点、数字が不正確なのではないか。Afterでは第二球場を無くした分を中心にオープンエリアが増える。全体として増加することはその通りと考えられる。
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昨日の雨で、庭の土はちょうど草取りに相応しい状態。
寒いけれど時々暖を取りながら、芝生の主だった雑草を取り、ハナニラの集団と格闘した。わずかだが、ハナニラの楽園の真ん中に空白地帯を作ったので、ここから両側へ広げていくつもりだ。
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世の中はバレンタインデー。
中学女子は、友チョコや本命チョコの手作りにやっきになっているらしい。完成度にこだわり、両親は失敗作を食べさせられるらしい。
もはや私には無縁となったので、職場でのバレンタインデーを思い返してみると、コミュニケーションのバロメーターだった。
昭和の余韻:平成当初1990年代前半、上司・職場の男性にプレゼントした。上司に余裕があれば、それなりのお返しが帰ってきた。また部署が違っても、素敵な斜め上司のような人・仕事でお世話になっている人には差し上げた。やはり先方が余裕がある部長さんだったりすると、それなりにお返しを頂いた。その人の秘書が手配する場合あるし、奥様の手作りという場合もあり、どちらの場合も、仕事とは別なコミュニケーションが起きる楽しい出来事だった。
もうひとつの狙いとして、力のある男性役職者とコミュニケーションを太くするための手段として使う人もいた。まだまだ男性社会で、そこに女性が適応しようとあらゆる手段を使っていた。
会社の中で、付き合う人や結婚相手を探そうとしている人にとっては本気のイベントだったかもしれない。本気度が増すと値段の高いチョコレートになる。手作り・・・当時あまり聞いたことがなかったが、あったのだろうか。
思い返せば、個人から個人へが主流だった。
平成中頃:21世紀、2000年代になるころには、誰しも平等に上げるのではなく、あげたいひとだけに差し上げようという風潮が出てきた。義理チョコはもうやめよう、ということ。そして自分のために買ったり、友チョコも徐々に始まったように思う。
バレンタインデー最盛期から少し下火になり始めたころと重なるかもしれない。私の身の回りでは、バレンタインデーの時期に、社内送達便(社内で書類をやりとりするA4サイズの封筒)の分量がとても増えたため「気持ちは手渡しで渡しましょう」的なアナウンスがあった。
職場での女性から男性に贈る行事はそれなりに続いていて、女性がとりまとめて購入し、男性ひとりひとりに上げるorBOXで職場に置くという渡し方のバリエーションが出てきた。気の利いた女性上司は海外出張先で珍しいチョコレートを買って職場においてくれたりもした。
この頃、集団から集団、という渡し方が始まったように思う。
当たり前のように定着してきた派遣社員の人については、一緒に参加してもらっていいのか?という問題が起きた。派遣社員は女子ばかりだ。その人たちに職場の行事に強制的に参加させるのは筋が違う。でも一緒にやりたいかもしれない。私たちの職場でもちょっと考えて、参加したいかどうか選択肢をつくり、参加してくれる時には金額の差をつけた。
この頃は、ご褒美チョコが出てきたころでもあり、女子同士で交換して楽しんでいた。チョコレートの好みを話したり、仕事でのつながりを感じる、これもコミュニケーションの中身を高める出来事だった。そんないきさつでいただいた素敵な引出付きチョコレートケースは、いまだに私のアクセサリーボックスとなっている。
デパートの大きな催事(サロン・ド・ショコラ)は2003年に始まったということなので、この頃から珍しいチョコレートにアクセスしやすくなった。
2010年を過ぎると職場の人員が減り、一人当たりの仕事量が増え、忙しさが増した。その頃は誰に上げるかを考えるよりも、行事を効率的にこなす方にシフトした。ネットで男性の人数分を購入し、それを上げるスタイルが入ってきたのだ。お返しもまた、男性ひとりが代表して人数分を購入して女性に渡すようになった。
平成終盤:2015年頃は、もう形骸化したイベントはやらなくていい、という声がありつつ、私がいた職場はどこも結局続けていた。皆でお金を集めて、女子2-3人が仕事帰りにお店で、その人らしいチョコレートを選んで、みんなでカードを付けてあげたら結構喜んでくれた。そしてホワイトデーには、やはり気の利く男子が、お礼の品を準備して女子を会議室に呼んで、贈呈してくれたこともあった。その品がおしゃれだったりすると、誰が選んだのか、本人か奥さんか、など一通り話が盛り上がり、その人の株が上がるという楽しい出来事だった。2月という特に忙しい時期の潤いにもなった。こういう職場は雰囲気が良かった。
恐ろしく評判の悪いマネージャー陣だったときは、やらなくていいと皆が思っていた。あのときはやったっけ? 覚えていないなぁ。
令和に入ってリモートが多くなった今、この行事はすっかり職場から消えているのだろうか?
いまや職場を持たない私としては、最近の事情を知りたくなっている。
ヨーロッパでは、1年中で最も花が売れる日はバレンタインデーだそうだ。カップル、友達、様々な間柄で花を贈る。
実家から帰る途上、珍しく男性が列を作って花屋のレジに並んでいた。
日本人男性やるなぁ!
20230215 Wed.
トルコ・シリア大地震から1週間。
がれきのなかから掘り出された赤ちゃんの映像を観ると本当にほっとする。でもこの背後に1000倍、2000倍の無くなった人がいるという現実。
映像から伝わってくるものが沢山ある。
トルコ・シリアで救助する人たちは本当によくやっている。夜を徹して救助作業を続けているようだし、まさに”手で”掘り出している。
そして生存者が救出されると、みんなが拍手して笑顔になる。
濃い眉毛で、褐色の大きな瞳を輝かせている髭を生やしたおじさん達。
その映像も赤ちゃんの笑顔と同じく、目にして嬉しくなる。
人間がそこで生きている、活き活きと命を燃やしていると、そのエネルギーがこちらまで伝わってくるような気がする。
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冬型の西高東低が続くとのこと。
夕方16:30頃、渋谷スカイ屋上にあがってみた。日没まで約1時間。
ほぼ快晴。しかし一部に雲、南西方向、丹沢から相模湾だろうか、海側にかけて雲がかかっていて富士山は見えない。すでに太陽は雲の中へ。
空の色の変化を楽しもう。
東側は、宵闇に街のネオンサインが増えていく様子が美しい。
つまらん。
素晴らしい景色を見ていることは清々しいのだが、
わたしが日々やっていることはつまらん。
高橋弘樹『都会の異界』を、たまたま読んでいる。
ここ数ヶ月、Youtube日経テレ東大学で面白いなぁと観ていたら、この高橋プロデューサーは退職して、テレ東大学は中止になるみたい。どんな人だろうとちょっと興味が湧き、図書館にあったこの人の本を借りてみた。
書籍は、東京都の島について体験エッセイ。東京の島といえば、八丈島・式根島・父島・母島など、フェリーで行くような島を思い浮かべるが、この書籍に書かれている島は、台東区、大田区、墨田区など23区にある島。自然の島や埋立地。わざわざ非日常感を味わいにいく様子を読者も一緒になって楽しむ本。
気楽に読み始められて、浅いようでいて時々ふと深い世界を味わえる本。
・・・自分の内面や、時の流れや、川の流れの行く末・・・
この人、頭回りすぎて通常生活がつまらなくならないかな。
目の前の情景を感受性抜群のアンテナがバンバン受け止めるし、そこに紐づく知識を沢山内蔵しているし、感じよく人と話せて、その人から何か引き出しすことが得意。頭いいし、リア充だし、アイディアマンだし、普通にいって幸せで恵まれている。
常に新しいことがないと、力を持て余しちゃうんじゃないかな。
思い切って新しいことにチャレンジするか、
反対に情報遮断する趣味や時間を強制的に持つとか。
そうじゃないと、今を消費して疲れ切ってしまうんじゃないか。
この著者が取り組んでいたテレ東大学終了・退職?という話を聞いたので、そんな風に思ったけど大きなお世話だな。
私のつまらなさの正体はなんだろう?
時間を持て余しているわけではない。
やる気?チャレンジ?何か手ごたえのようなもの。
めんどくさいことを避けて、人に評価されることも終了にしている。
詐欺とかに遭いたくなくて
幸せに生き切りたいだけなんだけど。
手ごたえが欲しくなるのは
なにか罪悪感からだろうか、
キリギリスだからな、いま。
散々アリしてきたからだけど。
それともなにか自分の欲望を見ないことにしているのかもしれない。自分が大事にしたいことにフタをして見ぬふりをしているのかもしれない。
蓋をしているとしたら、どんなものがあるだろう。
・英語は話せるようになりたいな、考えを伝えたい
・日本語で意見を効果的に言いたい
・気持ちを伝えるのか、論理や事実を伝えるのかを明確にして、適時にアウトプットしたい
本を読んで、もやもや頭のなかでお喋りしていた30分程の時間。
私と同じように椅子に座ってエレベータ待ちをしている中国人3人家族が脇にいる。何をしゃべっているのだろう。英語以上に全くわからない。
天気がよくて、日没後の屋上は寒かった。スマホを操作するために手袋を外すと、かじかんでくる。この時間に下界へ帰る観光客がほとんどなのでエレベーター待ちが軽く20-30分。46階室内フロアでだいぶ時間を潰したけど、まだまだ下界直行エレベーターの待ち時間は長かった。中国語、英語、どこかわからない(インドネシア語?)コトバが聞こえる。
外は風が強くて、ビル風に身体が持って行かれそうになる。
最後まで読んでくださって、どうもありがとうございました。ちなみにこの文章は人間が作成していまして、Chat GPTは使用していません(笑) 使ったらどうなるだろう。。。
梅やロウバイ、水仙、そして河津桜が咲きだした写真を目にする今日この頃、皆様の周りはどんな春の兆しがありますか。
学校の入学試験、年度末が近づき業務多忙・異動などで忙しい時期。そんなときいは知らぬ間に負担を抱えがち。季節の変わり目は、深呼吸して、身体を温めて、よく寝ましょう、そうすれば元気に過ごせるはず♪
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