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2022年9月後半

ぐっと秋らしくなってきた。快晴の昼間は暑いし日焼けするけれど、朝晩は清々しい。サムネイルの写真は、曇った日に撮った枝についている栗。夏の終わり頃から、桃、梨、そして葡萄。これから柿、栗。嬉しい季節が続く。

20220916 Fri.

数日前、9/13に亡くなったジャン=リュック・ゴダール監督。
学生時代はフランスかぶれでフランスものには憧れがある私には、『勝手にしやがれ』などはヌーベルバーグのセンスがなかったようで、あまり好きになれなかったのだけれど、彼の亡くなり方が印象に残った。
居住地スイスで合法的に自殺ほう助してもらったとのこと。享年91歳。

法的に認められた理由は、AFP通信によると「”体の機能を失う複数の病気”に侵されていたから」だそうだ。

寿命が長くなってきて、老人になってからの時間が長くなると、不調を抱えてなんとか生きるよりも、死期を選びたいという気持ちが生じるのもわかるような気がする。安楽死や自殺ほう助には、法的な条件や、それを複数の医師確認するステップがある。その条件やステップがあることで安易な選択をしないように配慮されているが、最近だんだんと緩く適用されているという実態があるそうだ。

私は少し前まで、合法的に安楽死できる国を探していた。いま死にたいのではないが、そのときに備えるための、いわば「人生設計のひとつ」として。例えばお金が尽きたときどうするか、誰も親しい人がいなくなり自分で始末をつけないとならなくなったときの方法として。

どの場所ならできるのだろう? 
言葉は? つたない英語で何とかなるのか。フランス語だったら無理。
どのくらいお金がかかるのだろう?

安楽死・自殺ほう助が可能な国

経費は200万円くらい、渡航費・滞在費を合わせて300万円くらいあれば何とかなるかな、老人介護施設に1年入居・居住できるくらいの金額なのかな。

私にも利用できるかもしれない程度に大まかに捉えていた。
子供もいないし、親の世代までと違って誰かに看取られるわけではないだろう。一人で死んでいくこと自体は構わないけれど、その前に生きる気力が無くなったらこれも一つの手かな。

そして死を考えると、生を考えることにもなる。

生きている限りは何をしたいのか。
何を大事にしたいのか。
死ぬ前に何をしたいか。
最後どんな状態で死にたいか ~何はいやか、何がいいか。

生を受けたことは様々な偶然の積み重ねで、奇跡的…というか唯一無二のことなんじゃないかと思う。せっかくだから色々経験したい。その延長で自分がどう死ぬか、死ぬ瞬間はどうなのかにも興味が出てくる。その時が来るまでは、生を受けたことに感謝し、貪欲に経験したい。地球に・この時代に、生きてることを満喫したい。同時代に生きている人や出来事との出会いを大切にしたい。そして、生きていることがめんどうになることも経験のひとつ、と思う。死を迎えるとき、私はどうするだろう?  何かの拍子に、望まぬいきさつで殺されたりするかもしれない恐れもないわけでない。それでもいまは最後まで生き切ろうと思っている。

ゴダールさんが積極的に死を選んだ背景には、どのような考え・実際の生活・QOLがあったのだろうか。様々考えた上の選択であることは確か。だから納得した亡くなり方なのだろう。詮索するつもりはないけれど彼の訃報をきっかけに、今日は考えてしまった。どのように死ぬか、人によって考えは違い、それぞれが尊重されていいはず。そのとき、納得できる状態でありますように。そして感謝して旅立てますように。


明日から今年4度目の長野。相変わらず荷造りは今日も行っているが、いつもよりはマシ。
実家母と、今夏初長野となる妹も一緒、現地に叔父がいる。
車で都内から鎌倉、そこから長野。明日は6時間近く運転することになる。よく寝て頑張れ!

20220917 Sat.

朝8時前に家を出て、車を借りてきて妹を乗せて実家へ。母を乗せて長野県へ向かった。
実家まで1時間半。実家から談合坂まで1時間半。談合坂から諏訪で高速道を降りるまで1時間半。買い物や温泉での入浴を済ませて、叔父がいる山小屋へ。

連休初日のためか圏央道と中央道が大月あたりまで混んでいた。前を向いて注意をそらさないでいることに疲れた。頭が痛い。

高速を走りやすいと感じるときは、天気がよく、周囲に、適度な車間距離を取っている車や、合流地点の前で車線変更したい車に親切に対応する自家用車やトラックに出会うようなとき。とても気持ちがいい。自分が入れてもらったら、ハザードランプをチカチカ点灯させて感謝を伝える。これはいい習慣だなぁ。

一方で、昨今さすがに露骨な嫌がらせは見ないけれど、姑息な車線変更をする人もいる。危ない運転をするドライバーに対して、けんか腰にならずに「あなたの運転は不評よ」と知らせる方法はない。そんなとき例えば、水鉄砲のようなもので、車の後部へゴムでも飛ばせないだろうか。車のヘッドライト横くらいから発射させて、相手の車の後ろに、飛ばしたビロビロなゴムが引っ付く。引っ付いたらすぐに固形化して時速100キロや150キロでは取れない材質。それが付いていると、あ、変な運転しちゃったんだなぁとわかるようなもの。ゴムにはピンクとか蛍光黄緑とか、ポップな色を使ったら楽しい。(的に当たらず、道路に落ちることを今は考えていない・・・(笑))

中央道に入り大月を過ぎたら道は空いているし、カンカン照りよりも楽な曇りだったし、秋らしい景色を満喫した。八ヶ岳は、頭は雲に隠れ、裾野は姿を見せていた。ほどなく諏訪へ到着。途中渋滞のため17時を回った。夕日に照らされた田んぼの稲が黄金色に輝いている。

西日を受けて田んぼが光っていた@長野県茅野市

遅くなったので、温泉で汗を流して夕飯は外食。蕎麦屋が閉まっていたので、お手頃そうな台湾料理のお店で夕飯を食べた。中国語を話す活気がある家族でまわしている美味しいお店。

20220918 Sun.

長野県茅野市。このあたりはこの週末に、小さな神社まで御柱が建てられるようだ。御柱祭として有名な諏訪大社の御柱は、4月の”山引き”、5月連休前後の”里引き”、続いて”建御柱”があり諏訪大社四社に柱が建った。

大きな神社が終わると、この地方のそれぞれの地区にある神社でも御柱が建てられる。小宮御柱祭と呼ばれているらしく、それが9月10月に行われるようで、この週末は、諏訪の手長神社、八剣神社などで行ったようだ。

お祭りに出会ってはいないものの、街を通ると御柱祭りの旗が沢山立っている。小さな祠のように見える神社までも、このあたりは四方に柱が丁寧かつ律儀に建てられている。田んぼの稲は、黄金色に輝いている。刈り取り時期を気にしつつ、御柱祭が最優先なのだろう。


『深読み! 絵本『せいめいのれきし』 岩波ライブラリー

小学生のころから好きだった絵本『せいめいのれきし』。地球が生まれる46億年前から始まり、人間が出現して現代に至るまでを、舞台の上に一場面ごと38の情景があらわれて、舞台袖にいる司会役の研究者が読み手に説明する形をとって描かれている。

絵本『せいめいのれきし』

子供にとっても面白いし、大人が読んでも生命が生まれるストーリーにロマンを掻き立てられる。何度も開いた絵本。

当時、子供向けに地球と生命の長い歴史をわかりやすく見せたこの本は、『ちいさいおうち』も知られているアメリカの絵本作家女性が描き、世界中で翻訳されて多くの子供が読んだ。日本では、児童文学に大きな貢献をした いししももこさんの訳で広く読まれた。初版が出た1964年から比べると、地球の成り立ちや考古学の進化は著しく、絵本の内容に変更を加えて2015年に第二版が出ているそうだ。
冒頭に挙げた『深読み!…』は第二版に基づき、初版を読んでいた大人も読み手として意識し、『せいめいのれきし』について愛と知識をもって深読み解説した本。

デフォルメした少々漫画チックな恐竜や生き物の絵も、実はよく考えられた内容であることが解説されている。そして最新の知見と合わせて、古生代などの時間的な区切りと、生物の盛衰を加えてある。特に恐竜や鳥については、わかってきたことが多いので詳しく書かれている。

長野の山奥へ来たら時間が沢山ありそうなので、図書館から数冊まとめて借りてきた一冊。何冊読めるだろうか。

20220919 Mon

山奥のネット環境は良くない。4Gは入るけれど、夜は弱いし、天気が悪いときほどアンテナが立たなくなるような気がする。電波とは天気に影響されるものだっただろうか?

昼間は近くにあるWiFiスポットへ出かけて、一時間ほど過ごした。

まずはYoutubeでイギリス、エリザベス女王の葬儀関連。棺を運ぶ様子やベッカムも並んで棺にお別れを告げる人々の映像を観た。
つくづく絵本のようだと思う。あるいはトランプのA、J、Q、Kのカードみたい。兵隊たちの衣装、棺にかけられた旗、王冠、バフパイプの音。
あの衣装は普段どこに入れているのだろうか。関わる人達は、実地練習したのだろうか。衣装や儀式を成す人々が大勢無駄なく動く荘厳な様子に歴史の積み重なりを感じる。
イギリスとはこういう国だ、と内外に示している。

(考えてみれば普段から、リメンバランス・デー Remembrance Day第一次世界大戦終結など定期的にパレードを行っている)

夜通し20分ごと後退しながら棺を守る BBC放送より


もうひとつこの機会にやっておきたいことは、22日に行う読書会のチャート。先週だいたい作ったのでそれで良しとするか? つくってある資料を確認して少し言葉を直しただけで、もういいや、という気になった。当日何とかなるだろう。

ニュースをチェックすると台風が九州を迷走している。日本海を台風が通るとは珍しい。九州には知人が行っているのだが、大分なのでそれほど被害はないだろうか。
長野は雨が降ったけれど、大きな災害はない模様。


『同志少女よ、敵を撃て』に取り掛かっている。496ページ。少し前、話題になっていた。昨年秋に受賞し、今年2月にロシアとウクライナの戦争が始まり、さらに注目された。主人公はウクライナの少女、狙撃兵。ロシアとドイツが戦った第二次世界大戦が舞台になっている。

ぐいぐい読ませる。ベストセラーになったのも、わかるなぁ。

雨がどしゃどしゃ降り続け、夜通し屋根を叩いている。時々、栗がいがごと落ちて、屋根をバタバタと鳴らしてベランダへ落ちる。1階建てなので、屋根を打つ音が直接聞こえてくる。音を聴きながら、読書するしかない夜。

20220920 Tue

台風に伴う雨が今日も続いている。気温がぐっと下がり空気が冷たくなった。秋が一段進んだ。

昼頃雨が上がり叔父が帰ったので、あとは3人。母と妹と私。
午後出かけて、温泉にゆっくり入り、その流れで早めの夕飯を外で食べた。インド料理のお店を出たら空がとても美しい。

蓼科湖沿いでみた夕焼け


『同志少女よ敵を撃て』読了。
男性が書いた小説。主人公は女性狙撃兵たち。狙撃兵が敵を撃つときの禅のような世界、剣道の極意のような意識。戦場での残酷な焼き払いやレイプによる傷。生きるための選択や哲学。少女の成長が縦糸ならば、戦場での様々に生じてしまう残酷な場面が横糸。
さまざまにリアルな要素が織り合され、かつテンポよく進んだ。読み応えがあった。

小説の最後のほうには『戦争は女の顔をしていない』という書籍が出てくる。著者のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ(2015ノーベル文学賞)がウクライナ侵攻に関する発言が話題になり、2020年日本で出版されたコミックもこの機に話題が高まっている。
ラジオ『高橋源一郎の飛ぶ教室』の高橋源一郎さんが『同志少女よ敵を撃て』を取り上げる際に、もうひとりのゲストに奈倉有里さん、ロシア文学研究者へ出演依頼したら実の姉弟だったとか。
このあたり、なんだか『同志少女よ敵を撃て』は”時の運”を持ってるなぁと感じる。

この本の著者、逢坂冬馬さんはこれがデビュー作。書きたいという推進力が感じられてこの先も面白い作品を読ませてもらえそう。

20220921 Wed

冴えないなぁ。今回の蓼科滞在は。
あまり手ごたえがない。
1週間いられるのは嬉しいが、この冴えなささは自分の内面からくるのだろうか。(間違いない)

近くを散歩して、栗の木をとっくり見てきた。(駄洒落か)

曇り空をバックに栗の木、落ちているイガグリ

道に沢山栗が落ちている。普段お店に並んでいる栗より、ぐっと小さいサイズだが、本当に沢山落ちている。この辺りはどんぐりよりも栗が多い。縄文時代の人達がこれを放っておくわけがない。当然、実を集めて何とか食べようとしただろう。



ここ3年の間に知った人達が、表に出てセミナーなど開くようになり、勉強してきたことが表に出るなぁと思いつつ、なんだかおもしろくない感覚。なぜだろう? その人たちは以前からの積み重ねを持っていて、ふさわしい役割であることは確か。
自分の実践が足りないことをわきへ置いて、嫉妬しているのだろうか。

『58ヘルツのくじらたち』読了


20220922 Thu

秋分の日を前に、さらに区切り感を感じる。
内面で区切りを感じつつ、現実生活に何も変化がない。
それゆえの焦り。

内面では色々変遷してきて先月後半から様々に区切りを感じているけれど、外面では3年前から静かに変化のない生活をしている。内面の動きに価値を感じているようで、ふがいない感覚をぬぐうことも出来ず、

朝の読書会。『禅と日本文化』
秋になったけれど、今日の朝6時は案外明るくて空がきれいだった。WiFiスポットへ車で15分。青空にウロコ雲。そんな景色を眺めながらの読書会。起きられるか不安だったけれど、起きてよかった。

自分たちもその一人だが、最近、鈴木大拙や禅にあらためて注目が集まっているようだ。それは自分たちの文化を見直すためにいい面もあるし、わかりやすい部分だけを取り上げると危険もある。4人でそのような話になった。禅は、鎌倉時代から日本で取り入れられてきた。ことに武家では重んじられた。それは生死を分かつ場面に、とても強力な枠組みを与えてくれるからだ。
でも、鈴木大拙の記述にもあるように、それはどのような前提にも適用できるというのだ。共産主義でも、独裁主義でも、民主主義でも。。。なぜなら、その前提を問わず、言語を介さず、ただ経験あるのみ。

朝7時頃の空

夜の読書会。『進化の構造』
WiFiスポットとなっている建物のベランダ部分で19時半から21時まで。雨のお陰で気温がそれほど下がらなかった。腰から下は毛布をまいて、上は風よけの防寒着。

もやが出ていて、幻想的な雰囲気だった。

屋根付きベランダスペースでWiFiを使わせてもらった


本の内容は、私にはなかなか説明できない。わかったようでわからない世界。もやのなかにいるのとまさに同じ。

帰りの道が濃霧で危なかった。くねくねした道を、ここ数日何度も通ったからわかるけれど、10m先も見えにくい危険な状態。でも対向車はいないし、鹿もいない。道を外れないようにさえすれば大丈夫。

20220923 Fri

茅野市 白樺湖の気象データ
年間降水量 1,784.5ミリメートル
年間降水日数 133.8日間 (1年のうち36%)  9月は降雨量が年間最大
年間日照時間 1,952.7時間 (1年のうち22%)

今回はずっと雨だったなぁ。台風14号が近づく期間は雨か曇り、東北から太平洋へ抜けた日には、昼間曇りで夕方晴れ。私を含めてここには晴れ女はいないこと確定。雨女ではないと思いたいが、滞在中今日までの7日間、雨が降らなかった日はない。昼間降らなかったのは1日だけ。

母や妹が休養を取るために来たと思えば、この雨は恵みとなる。
本来、山や木、裾野の畑や水田にとって雨は恵。
私は、モヤモヤ感を雨にぶつけて不満。不満であることを自覚する。

しかしこれだけ降っても山が水を吸っていくのだからすごいものだと感心する。都内なら冠水して大騒ぎだろう。山の保水力、木の保水力、その大きさを感じる。

そして水がいいから、作物が美味しい。長野県はいま葡萄が最盛期、ピーマンや茄子なども瑞々しい。

昔、昔というのは縄文時代、他で稲作が行われてもこの地域は豊かな森の恵みがあり、採集生活からなかなか離れなかったそうだ。いまは稲作をしている場所も広くあり、黄金色に輝いている。


あまりに手ごたえがなくて、祖父の写真や手帳を引っ張り出してみた。ここは昔、祖父が借地権を得て建てた山小屋。50年くらい前に数百万円かけたもので、いまやボロ屋に見えるけれど、内側はそれなりに手を入れて、祖母が祖父亡き後、まとめたアルバムなどが置いてある。

いや、本当は、今回は写真を見てみようと思って来たのだ。沢山あるアルバムの中から中国へ行ったときのアルバム4冊を見つけた。そして手帳が20年分くらいあった。おばあちゃん、やるなぁ。

戦争で一度中国へ行った祖父。1970年代に3回行っていたことがわかった。1回目の民間訪中団の団長で行ったときは、出発時、私も羽田空港へ行ったので覚えている。2回目、3回目があったのか。2回目は1回目より大勢で貨物関連の日本企業による訪中団、3回目は航空会社による訪中団。

祖父は、真面目な表情か笑顔で写っていて、久々に笑顔をみて嬉しくなった。

なにか大きなエネルギーを貰った。

夜は雨や止み、屋根を打つ音は、たまに栗が落ちるだけで静かな夜になった。

20220924 Sat

晴れ。木々の間から光が差してくる。朝から掃除して昼前に長野を出発。とはいえ、高速に乗る前に、お土産を買い、蕎麦屋で腹ごしらえをして14時頃に実質出発。

毎回、この場所に来るときと帰るときに、いつも「芹ヶ沢子ノ社のケヤキ」に挨拶をする。何となくそうするようになったのだけれど、「来ましたよ、今回もよろしく」「これで帰ります、ありがとう」とあいさつするような感覚だ。

このケヤキの大木は、数年前まで、ブリキの看板が、うろにはめ込まれていたけれど、あるときから外されて、幾分木が元気になったような気がする。

樹木医になって、このような木を巡ってみたいものだと思うけれど、植物のことをよく知らないから、そうできるわけではない。


初日行きたかった蕎麦屋さんが開いていた。先週の三連休に休業していたので、もしやご主人が病気だったりして?と心配した。一方でこのあたりの御柱祭のために休業していたのかしらとも思っていた。思いがけず開いていて嬉しい。

舞茸の天ぷらセット。十割蕎麦で。
新鮮な舞茸は香り豊か。。

舞茸天ぷらセット @長寿更科

最終日にして晴天。残念ではある。
快適なドライブをして山梨県大月近くまできた。大型台風に続く、小型台風の影響で雨になるかと心配していたけれど、晴れか曇りで走れて助かった。渋滞が始まった上野原あたりから雨が降り出した。


数時間のうちに、長野の広々した場所から、東京の車が激しく往来する場所へ。ずいぶん不思議な感じだ。

東京は本当に車が強い場所だなぁ、と改めて思う。
瀬田交差点などは、長野で1日に会う台数の何十倍もの車が一回の信号で走り去っていく。車最優先の空間で、私鉄沿線駅の周辺は、横断歩道を渡る人も大勢いて、車でもあり人でもある自由に行き来する自転車もいて、このあたりはカオス。

長野県は、県民教育が徹底しているらしく、横断歩道に歩行者がいると、ほぼ必ず車が止まってくれる。以前松本へ旅行した時など、まだ横断歩道の数m手前にいても、明らかに旅行者風な私たちがここで渡るであろうと、車が徐行して横断歩道手前で静かに止まるのだ。私たちは半ば急ぎながら、笑顔で渡らせてもらう。

最近は東京でも歩行者優先を実践するドライバーが増えているように感じるけれど、まったく意に介さない人も多い。明らかに車が優先だと主張している大通りが多い。

20220925 Sun.

朝、車を返しに行き、徒歩で最寄り駅まで30分ほど歩いた。天気よく、じりじりするくらいだが、この1週間、雨降り・車移動が多くて大して歩いていないから、罪滅ぼしのようなもの。途中、ヒガンバナが咲いていたし、空は広く、なかなか気持ちよかった。

これまで学んだり身に着けたことはそれなりにあるなかで、最もコスパが良いのは運転免許だと思う。学生時代に取得して、これほど役立っていることはない。実践経験が直接運転技術の向上に繋がる。マネジメントや、人の成長や、事務的能力や、思考力などより、ずっと効率がいいもんだなぁ。

昨日は中央道から静岡へ抜ける道について、東名での通行止めを表示していた。中央道では大した雨に会わなかったけれど、静岡では集中的に降ったのだろうか? 台風14号は日本海側への降雨が多かったのに、その次の小型台風の影響? 長野県や山梨県に降った雨が静岡側へ流れているのだろうか・・・?

9/23 夜 記録的短時間大雨情報を後日確認。




20220926 Mon

朝読書会。『「分かりあえない』を越える』

内面で充実しているけれど、外面は冴えない私。
読書会にて「外面で好きなことを力強くやり続けている、世の中のシステムや植民地化に捉えられずに自分を生きている人がうらやましい」という話をしたら、自分を生きている人が100%迷いがない、100%Happyでとの思い込みが透けて見えると言われた。確かに!

人生は、100%OKなんて感覚でいるときの方が危ないものなんだ。

平均台の上をバランスを取りながら歩くように、ぐらぐらしたり、恐る恐るだったり、することもある、(それがすべてではなく、、満喫しているときもある)それが人生ってものかもしれない。

自分の認知次第ともいえるけれど。(つまり幸せだと思えば幸せ。)
そうは簡単ではないのが現実。
グラグラしながら、リアルタイムに調整しながら生きていくのが人生だと思えば現状肯定しやすい。


イタリアで極右政党が与党となった。ヨーロッパの安定性は、大丈夫かなぁ。動くだろうなぁ。(だから人生はグラグラしてるもんなんだって!)

20220927 Tue

はぁ。
先月、駐車禁止のシールを貼られたのは、それで終わりではなかった。借りた車の持ち主に罰金18,000円支払う通知が来たそうだ。申し訳ない。迷惑をかけてしまった。

22時から翌朝8時までの割安時間帯だけ停めようと、22時までの駐車料金をケチって19時頃から路上駐車していたのが原因。20時前後にシールを張られた。8月に長野から鎌倉経由で都内まで帰ってきて、休憩してから21時頃には動かして22時までの間、運転するつもりだった。でもそんな私の事情は、交通違反の理由にはならない。

節約しようとして、かえって支払いが多くなる、という最も馬鹿らしい事態。あほだなぁ。


映画『イーグル・アイ』視聴

1ヶ月U-NEXTのトライアル期間のうちに(←『ニュー・アムステルダム』シーズン3見たさに加入)、勧められた映画にアクセス。スティーブン・スピルバーグ監督、AIにコントロールされる話。アメリカで突然市井の人間がとある指令に支配され、行動せざるを得ないという映画。
現在の監視社会は、十分にリアルタイム個人コントロールができるわけだ。個人でこの状況に追い込まれたら怖い。孤立を避けよう。


20220928 Wed

パラパラと目を通した本。
『僕らはいつも旅の途中』

40代、5人の実体験と、それを近くで見ている20代がともに対談して思うこと・体験していることをまとめた本。日本各地に溶け込んで、障がい福祉の分野で各人各様に生活支援を行っている。いまの日本を生きる姿として、とても参考になるように思う。


上記の本を読んでみて思ったこと。
それは私は何か手を動かしたいのだな、何かやりたいのだなということ。
ちんまりと生きていることに変わりはないのだけれど、今行っている範疇よりも、もう少し広げて何かしたがっているということ。

だんだんそのことを無視できなくなってきた。

何をするのかわらかない。
こう思い出してから、さらに、もっと、何もしない時間を過ごすのかもしれない。

私は感じるセンスはあると思うし、様々に感じることが好きだ。
考えることはするのだけれど「下手な考え休みに似たり」という状況もよくある。
行動することは、やるのだけれど、ここは問題が多い。考えなしな行動だったり、稚拙な行動だったりして、情けない結果に至ることもしばしば。

感じたセンスに基づいて、行動する、というシンプルなことは概ね問題ないのだけれど、感じて・考えて・行動することが少ないし、そうしたときに問題が生じているように思う。
とにかく今の行動範囲は狭すぎる。
人生半ば以上を過ぎてしまったけれど、行動する精進がもっと必要だ。

ああ、ここに書いていること=頭の中でのつぶやきに過ぎない。
だけど、文字にすることで何か1ミリでも1ミクロンでも進むことを期待する。


遅ればせながら国葬のLIVE動画を観た(YoutubeでFNNプライムオンライン)。

静かにみていたのだが・・・黙祷のところで批判精神が黙っていられなくなった。

何で黙祷の時に音楽流すの?
自衛隊の隊員が大勢入ってきて、号令を出し、銃剣を号令に合わせて前に掲げるとは・・・ 音楽は『悠遠なる皇御国』だそうだ。国家神道の曲。すめらみこと 天皇の治める国・・・戦前状態の歌ではないか。なんでこれを演奏するのだろう?
そして黙祷するのに、照明を落とす必要があるだろうか。
しかも黙祷のときだけ自衛隊が入ってきて出ていく。なんて騒がしい。大勢の来賓、海外からの方々、皇室の方々を待たせるだけの意味を持とうとしている。

これには違和感だなぁ。

国葬反対を国葬の日に行う人達もわけわかんない。
それ以前に意見表明しているでしょ? それが通じないで国葬が行われている。どこで声を上げていたのか知らないけれど、式典の邪魔をするのは趣味が悪い。

葬儀は、7/12増上寺で葬儀が営まれ、一般献花も設けられ、永田町を棺を乗せて別れを惜しんだ。

生前のビデオは良くて来ていてレガシーを伝えるものだった。突っ込みどころあれこれ。「戦争に何ら関係のない子供たち。謝罪を背負わせるような宿命を背負わせてはいけない。」とのコメント。そうだろうか。これはドイツならば違う表現にするだろうな。私たちは前の戦争と関係ない世代になるわけではないと思うから。

菅さんの弔辞は、心がこもっていて確かに心を打つ。友人代表としてのスピーチ。正反対な、その前の岸田首相の言葉は形式に則ったもので、よそよそしく感じた。役割が違うから当たり前だけれど。

安倍さんが銃弾に倒れたことは一人の人生として残念なことだし、銃撃や殺傷は許されることではないけれど、山上さんがかなり詰んだ状態になったことに対して、安倍さんが何のかかわりもないとは言えない。国葬に法的根拠はないので、今回のやり方には納得していない。

こんな風にNHKの国葬中継を分析している人もいる。分析している対象は国葬そのものであり、かつ、安倍勢力とNHKの力関係のようだけれど。

海外での報道をちらっと見ると、

While an official tally has not been disclosed by the UK government, the Queen’s funeral was expected to have cost about $8.5 million. Abe’s was about $12 million, according to a Japanese government spokesperson.
Yahoo news.

BBBC

費用詳細がわからないから、この金額がapple to apple なのかわからない。

カナダ、トルドー首相がG7最後に外れてしまい、外交のチャンスとしても少し見劣りがすることになったけれど、この機会を活かすことが幾分でもできれば、外交面で功績があったとされる安倍さんにちなんで集まる意義が深まるというもの。どんな話をしたのだろうか。


20代、30代が弔意を表すことを重視し、シンパシーを感じている。国葬反対の立場をとることを忌諱しているらしい。実際私が一緒に働いていたその世代が、全身黒い服装で出社したそうだ。私からすれば個人の死に対して弔意を表すことと、国葬に反対することは両立するし、葬儀はすでに終わっていると思う。

なぜその世代が個人の死として、過大とも感じられる弔意を持っているのだろうか。

安倍さん在位期間は2回あった。 
①2006年9月 期間1年足らず 
②2012年12月~2020年9月16日 体調不良により辞任

12歳 2010年生 2歳~10歳
22歳 2000年生 12歳~20歳
32歳 1990年生 22歳~30歳
42歳 1980年生 32歳~40歳
52歳 1970年生 42歳~50歳

平成以降の首相は16人で、うち12人は在任期間が2年未満。
20代から30代前半までは、物心ついてから社会に出る頃までほとんどが安倍首相だった。今回の訃報に接して、追悼の意を強くする世代であって不思議はない。私は佐藤栄作首相が長く、その後の田中角栄首相はずいぶん毛色が違うし、子供ながら戸惑った感覚を持った。

だれかがSNSで語っていたが、「それしか知らない」から「好きだ、大事だ」と思っているのだという。それは当たっているのかもしれない。

それと、彼らにとってこの機に乗じて、個人を罵倒するような物言いをする人をみて、その人の中にある攻撃性や冷静でない負の感情を理なくぶつけていることを見抜いていて、とても不快感を持っているのかもしれない。

会場近くで国葬反対を大声で叫ぶ人と、
故人を崇め偉大な人を失ったとことさら嘆く人は
実は似ている。


平成以降の首相は16人で、うち12人は在任期間が2年未満、との記述があったので、実際どうなのか調べてみた。平成最初の時期、郵政改革など行った小泉首相がリストには入っていない。

第90代~100代 内閣総理大臣

7月8日の事件後すぐに「これはテロだ」と声を上げ、国葬が終わってすぐに「事前の説明が不十分だったことは問題だ」と主張しマスコミが取り上げている女性政治家は、かなりエグイと感じる。

国葬のイベントを受注し実施した会社「ムラヤマ」は2020年に行われた中曽根康弘元総理大臣の内閣・自民党合同葬も4790万円で落札。桜を見る会もこの会社。

20220929 Thu


日中国交正常化から50年。

日中の長い歴史のなかで、とても悪い状況にあるが、元寇ほどではない。
元寇のような戦いまで至らない方向へ転じることを願いつつ。
漢民族が中国を全面支配していた時期は4000年の歴史のなかで半分くらいのことで、いまの漢民族が周辺含めて自分たちの方法をいきわたらせようとする流れは、当面変わらないのかもしれないとも思う。

1972年 9月25日 に、 田中角栄 内閣総理大臣が現職の総理大臣として中華人民共和国の 北京 を初めて訪問して、北京空港で出迎えの 周恩来 国務院総理と握手した後、人民大会堂で数回に渡って首脳会談を行い、 9月29日 に「 日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明 」(日中共同声明)の調印式において、 田中角栄 、 周恩来 両首相が署名したことにより成立した。

https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02190/

1971年7月キッシンジャーが訪中した。この動きを受けて、日本も国交回復へ向けて動いていいと受け取り、徐々に下地作りが始まったそうだ。民間がいくつか訪問して感触を探るフェーズがあり、佐藤首相の後、就任間もない田中首相が調印するに至った。


祖父は1971年に中国へビジネス団体の団長として訪問している。中途入社した船舶会社の一役員だった祖父は、時々先遣隊のような役割を持たされていて、1950年代にニューヨークへ赴任したこともあった。1971年も恐らく、国交が途切れたまま色濃く反日感情が漂う時期に、船舶会社のビジネス拡大のため・隣国中国との関係修復のため、訪問しだのだろう。それが単に船舶会社数社の希望だけで実現したとは思えない。しかし政府肝入りとも考えにくい。事情はいまやわからない。

<1回目> 1971年3月31日(水)出発 4月17日(土)帰国
国交回復 1972年9月29日
<2回目>または<3回目> 
      1973年10月24日(水)出発 11月12日(月)帰国 *11/8集合写真
 おそらく1回目との間にもう1回。(日程未確認)

日時がわからない訪問については、冊子があり参加した日本側メンバーの氏名・会社・顔写真が残っているが、いかんせん日時の記載なく、中国側の情報がない。誰と会ったのだろうか、どこを見学したのだろうか。

1回目については、資料がないかわりに、祖父の手帳にほかの回よりも詳しくメモしてある。中国の方のお名前とか、どこを見学したとか(公式会談の写真、全体写真、万里の長城、絨毯工場、学校見学など)。しかし資料として確認できる状態ではなく、調査を加えないと確実な物として扱ってもらえなさそう。

1回目 訪中写真

事実として認定するためには、どうしたらいいのだろうか?
どのような情報があれば記録として残せるのだろうか。

祖父は、1980年代や90年代に、私や妹が中国に行くことを強く進めていた。自転車で周ったらいいと何度か話していた。ついに私は行かなかったことがいまとなっては残念。おそらく民間レベルでの交流を期待していたのだろう。
その後、天安門事件があり、祖父はなんとも理解しがたかったようだ。毛沢東の時代に中国を見聞し、その後、経済的にも開放され、欧米で学ぶ若い中国人が増える方向が進みつつあるこの時期になぜこれが起きたのか理解に苦しみ。1996年に亡くなっていまの中国を知らない。

生きていたら何と言うだろうか。どんな思いを抱えているだろうか。

日中の長い歴史のなかで、いまはとても悪い関係性だ。
中国に支配されるリスクも見え隠れしている。
日本がアメリカから自立して、一国として尊厳を持って中国と関係を築いていけることを祈る。

過去の文化的な交流をみると、中国と日本は、それぞれの国で独自の文化を成熟・発達させていて、それら文化がお互い影響を与えあってきている。どちらかが飲み込むのでは決してない。

その認識を前提としたうえで、中国は2010年にGDPで日本を抜き、大きなビジネスを動かして世界的なインパクトを持つ国となった。そのことを尊重して、いつまでも上から目線ではなく、したたかに付き合うフェーズに入ったのではないか。

祖父が生きていたら、時代や環境に応じて変化を付けつつ、交流が続くことを願うだろう。


用事を済ませようと明治通りを歩いていて、ふと気になったお店の看板に惹かれて入ったカフェが面白かった。

郷土菓子研究社

チュルチヘラという、ジョージアのお菓子を選んでみた。
ブドウジュースを固めて作る「チュルチヘラ」という郷土菓子だ。くるみなどのナッツに糸を通し、小麦粉と一緒に炊いたブドウジュースに漬けては冷やし、固めるのを繰りかえしたもの。

地味な感じ。
今日食べたものは、あまりブドウの味はしない、クルミと、味があまりないモチャモチャしたもの・・・だったけど。Web検索すると現地オリジナルは、もっとカラフルなものもあるらしい。味はもっと濃いのかもしれない。

いずれにせよ、こういうお店はわくわくする。
店主の魂のエネルギーが感じられる。

・・・それなのに、まもなく閉店するとの掲示。残念。
でもこういったお店があることを知ったことは良かった。

看板を見て、寄り道したわけで直観に従ってよかった。
この看板、ナイス!

わくわくするホームページ。
各国のケーキを、その地の人の笑顔をともに写した写真がいい!
三軒茶屋に販売店舗があるそうで、そちらへ行ってみたい。


20220930 Fri

明日は、『禅と日本文化』を読んでいる読書会メンバーと鎌倉散策。
化粧坂切通しなど自然が多いハイキングコースを歩いて鎌倉を体感し、円覚寺で座禅会に参加して、夜は地元の魚を刺身にしてもらって食べる。途中、東慶寺にも寄る時間がありそうだ。ここは鈴木大拙のお墓がある。

時間を組みながらWebサイトを見ていたら、なんと、東慶寺では2年前に山崎智徳さん(NPO法人 杜の会)に手入れをしていただいたそうだ。映画『壮人』の主人公。里山や寺社の木々を蘇らせる人。

東慶寺では、山崎さんの手入れから、お寺の木々が生き生きとして空気が明らかに変わったと、お寺の人々も実感しているとのこと。2年経過した今年6月に東慶寺は”撮影禁止”を打ち出した。その理由は、写真を撮ることに熱中になり、いまここにあるものに心を向けられなくなっているからだ、と伝え聞いたことがある。お寺の人達が、この空気を、この木々のありざまを、目で見て感じてほしいと、心底思ったのだろう。そこに、壮人 山崎さんの手が入っているのだと知り、その場へ立てることがさらに楽しみになった。

明日が楽しみ。


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