見出し画像

2022年3月後半

桜がほぼ開花予想通り、そしてやや長めに咲いている。
寒の戻りは厳しくコートはまだ使いそう。
戦争は長期化している。はやりの病は春の行事に連動して上昇傾向。


20220316 Wed.

深夜の地震。怖かった。東京都内は震度4.幸い停電にはならなかったけれど。

3月11日が11年前と同じ曜日だったで、今年はよりリアルに地震のことを思い出していたわけで、その5日後の揺れには、まさに肝を冷やした。

最初に、あれー揺れている?と地震を感知し、収まったと思ってから2分後、こまかい縦揺れ、そして大きな横揺れ、長い。

ギシギシ音を立てて揺れ、この間、もっとひどくなるのか、物が棚から落ちるのか、壁が崩れるなど建物が壊れるのか、怪我するのか、と怖い思いをした。

寝るのも怖い気がしたが、揺れたら目が覚めるだろうと寝ることにした。死ぬならそれもありなんだな。

11年前のあの時、生かされている有難み、これが当たり前ではないと知った。それがまた思い出される。ウクライナに重ね。ミャンマーに重ね。チベットに重ね。世界のひとりひとりと自分は同じ人間であり、たまたま今この場所で生きてる。

ならば、どうしようかと。ただ生きていることを楽しむもあり、特に考えなくても、生きているだけで何か世に返しているのであり。


20220317 Thu.

鎌倉の母は、気づかなかったと。よほど地盤が固いのか?! 
逗子の友人も気づかなかったと。同上。

都内で本棚から本が落ちた人もいた。確実に知人2人。きっと私のところは揺れの方向と本棚の向きが交わって本が飛び出さなかったのだろう。


ソニーCSL:ソニーコンピュータサイエンス研究所。オープンハウスが昨日から始まり明日まで3日間。オンラインで視聴。

ここは以前から先駆的な研究を行ってきたが、いま研究成果の社会実装に股をかけて活動している。今年からオンラインで一般公開。

所長の北野さん、副所長の暦本さん、キーパーソンと共に着想、知恵と工夫で実装化していくメンバーや企業の方々がお話された。以前一緒に合唱をしていた人の顔もあった。すごい。経験を紡ぎ道を切り開いてきたんだなぁ。

個人的に興味をひかれたこと。

VR ウクライナへ大量にVR眼鏡を持っていったらフェイクかどうかわかるのでは? 状況を世界に知らせられるのでは?というコメントがあった。同意! 衛星写真に加えた情報として、マリウポリなど状況把握できないか? あるいはドローンを使った人道支援は出来ないか。
本質的には、自分の知覚・脳だけを使うのではなく、遠隔地などの他人とつなげる技術で何が可能になるかという話。ちょっと気持ち悪い気もするが、人間ができることをまさに拡張する。

義足 パラアスリートが100m10秒を切ることを目標に据えている。このセッションでは義足開発研究をしている遠藤さん、元オリンピック選手 為末大さん、パラ100m選手の佐藤 圭太さん、妻がパラ選手で自身もパラリンピックに関わる谷さん、競技データ研究している松尾さんがパラリンピックとオリンピックの100mタイムの経年ベストタイムを並べて現状を論じ、今後の可能性を話していて大変エキサイティングだった。データがあり、関係する専門の異なる人が集まり、実際競技に使うまでの調整で何をしているか具体的な話を通じて、義足をつかいこなす身体・義足そのものの性能を論じる。そして義足で走ることがもっと一般的になれば、それも性格などの特徴のひとつとなる。そんな文化をつくる話にも至る。

そのほか興味を引いたテーマ
・茶の湯と研究
・ソニーCSLの研究員採用について:妄想する力
・共生農法
・音楽とAI
・電力発電・・・

オープンハウスHP  2022/3/16-18

上記サイト内に、Youtube動画が3日間分アップされている。


自分達のことが知られていない怖さ。ウクライナの人たちは、多くの報道がなされているからそこには希望がある。世界が注目していることの心強さ。

しかしそれでも具体的な助けがなくてやがて絶望する。いまその状況に入っている。「なすすべもない中での怒り・絶望」

ミャンマーの人々は世界の関心が薄くて、訴えないと知ってもらえない。中国の少数民族で強化院へ入れられている人は人々に知られることなく非人間的な扱いを受けている。「ないことにされる怖さ」


今朝の読書会。
瞑想のワークにて、目撃者・非二元の視点をつかむうえで、最も基本的なワークをその場で行った。

認知的知能へのマインドフルネス

それでは、最初に、自分自身の意識そのものを意識してみましょう。自分自身の意識そのものに注意を向けてみましょう。

まず、数分の時間をとって、自分自身の意識(Awareness気づき)の中にただ安らぎます。

そうしたら次に、その意識そのものを対象として見つめます(自分のできる範囲で構いません)。

そしてそれから、次のように問いかけましょう。この意識はどんな見た目をしているだろう? どんな感覚のするものだろう? 身体のどこに位置しているように感じられるだろう?

このようにして、あなたの意識そもののを、意識の対象にしましょう(こうして実践をおこなっていると、自分が究極の目撃者へと立ち返っていることに気づくかもしれません。何も問題はありません。ただ、それが起こるがままに任せましょう)。

『インテグラル理論を体感する』p.326

上記から進み、魂・心・身体(具体的)、ひとつづつ、それぞれを観て(見る自分が、自分を外から見ている状態)、その後、魂・心・身体を同時に観る。三つ観るためには、自分から離れて空中に浮かばないと見えなさそうな気がする。そのため意識を頭上かつ後方に置いてみる。それでも意識がざわざわと不安定で場所が定まらない。場所が定まらないと三つを観ることが難しいように感じる。

昔は、こういった意識を持てた人がある程度居たそうだ。誰にもある能力として。しかしあるときから、そういった能力を「できない」ものとして主に宗教が否定し、人間を小さな枠の中に押し込めたという。

この意識をもったところで、何かすごい存在になれるわけでない。きっと人間は人間のまま。でも広い視野、自分の自我に囚われすぎない自己を得られるのだろう。

東日本大震災の津波が起きたとき、気仙沼で牡蠣養殖をしている畠山さんの息子さんが津波に飲み込まれたときの話をTV番組で聞いた。波に巻き込まれている最中ふと、すーっと、ここを泳いでいけば沖合のあの島にたどり着けると思い、そして実際泳ぎ着いて九死に一生を得たという。これもひとつの自己の声を聞いて行動した話なのだと思う。


20220318 Fri.

昨日行われた、愛子さまの会見はとても気持ちよいものだった。お話はわかりやすく、目の前で取材している人々やその先にいる人々へ話しかけている感じがする。微笑ましかった「長所は、いろいろ考えまして・・・どこでも寝られるところ」。人としてまっとうな感じが伝わってくる。安定したお人柄でいらっしゃる。
なんて、私が批評する話ではないが。これはポリヴェーガル理論の腹側迷走神経が安定して働いているのだろうな。


無駄に思考が動いている。
ウクライナの侵攻をめぐる立場を並べてみる。私の頭の中で、これらの人々が入れ替わり登場してくる。

ロシア
・プーチンとその取り巻き
・国民のうち国営放送を信じている人
・国民のうちこの戦争に反対している人(国外にいる人を含む)

ウクライナ
・ウクライナ政府
・マイダンなど民族意識が強い人々
・マイルドに祖国を誇りに思う欧米の情報に開けた人々

EU各国
・スウェーデンやバルト三国:帝政ロシア・ソ連を直接体験し、歴史のなかでその対応が身に染みていて、知恵もつけてきた人々
・ポーランド、モルドバ:難民を受け入れている国。自国の歴史といま目の前にある事実と自分達の生活を勘案して、人道的に動いている人々
・フランス・ドイツ:それぞれのメリットデメリットがあり、EUとしての理念や思想の体現を考えている人々

アジア
・トルコ:国益と、世界のなかでの立ち位置を考え動く国
・インド:同上
・中国: 同上

アメリカ
・戦争で儲ける人々(一体どの企業が幾ら売り上げているのだろうか?)
・ウクライナへ資金投入してウクライナ勝利に寄与したい気持ちと正義とが混ざりあった”正しい”ことを実行する人々

アフリカ
・中国資本が強いところは中国と同じ立場
・ケニア国連大使の発言に代表される国の尊厳が尊重されるよう願う立場

実に多様。こんがらがってくる。それぞれが利益で動いている。利益を度外視した原理原則やポリシーを通して操縦しているところはどのくらいあるのか。

ロシアで反対運動をしていたロシア人が、ビザなしに入れるメキシコからアメリカに入国しようと国境にいるとのニュース。


ピアノで毎日バッハを2曲弾くことが、コロナ後からの日課だった。骨折したので中断し、リハビリのため、試しに弾いてみることはあったけれど毎日は難しかった。でも今日から再開。左手の治り具合、自分の身体のコンディション、内側のコンディションがわかる。マインドフルネスなピアノ時間。


20220319 Sat.

15日(月)にたっぷりしたランチを食べて、その食べ過ぎ感覚が抜けるのに2日かかった。そして食べ過ぎにならないよう野菜生活を継続して3日目。体重は相変わらず高め安定。炭水化物を減らしつつ、タンパク質とビタミン・ミネラルをちゃんと取らねば、としばらく食事記録アプリを使うことにした。「あすけん」「カロミル」。めんどうだが2つつけてみて、どちらかに絞ろう。「あすけん」は5年くらい前に使っていた。「カロミル」はビタミン・ミネラルを詳しく測れそうだし、グラフィックがきれいなので試してみる。

カロミルの売りは、写真からAI撮影して栄養分析すること(あすけんは、写真判定は有料プレミアム会員向け?)。あすけんは、参加者同士の日記シェアや、栄養士からのアドバイスが売り。どちらも体重や運動量も同時に記録できてダイエットを支援してくれる。
さてどちらに落ち着くだろうか。


20220320 Sun.

実家の庭で、ハナニラと対峙する。3時間。

どんどん広がってくる。なんとか区域を狭めようとするが勢いがすごい。雑草との闘いは、自然を相手に所詮無理なこととはわかっている。けれども、雑草が増える勢いと、人間が取りさるスピードとの兼ね合いで、なんとか庭を許容範囲の美しさに保ちたい。

ハナニラはカバープランツとして、あるいは園芸用に売られていて好きで庭に植えている人もいる。全く好みなのだが、増えすぎるのがいけない。際限がないのはいけない。

人間の勢力争いとどこが違うのか。同じかもしれない。

草取りは取っても生えてくる、この無力感がつきものだと身に染みる。これは瞑想だ。拮抗状態を目指したいけれどなかなかそうはならない。それでも美しさと保とうと終わらぬ作業を行う。

父も草取りはやっていた。今日思い出すのは祖父。ここから少し離れたところに住んでいて、その家の芝生はいつもきれいだった。あの状態を保つためには毎日抜いていたのだろうなぁ。記憶の中では遊びに行くと、いつも夕方小一時間草抜きをして、そのあとテレビの前でお皿にとった皮つきピーナツとウイスキーで晩酌するのがお楽しみだった。一人で草取りするのは大変なことだったろうなぁと思い出す。その苦労のわりに、芝生がきれいだねと祖母からねぎらっていた様子は見たことがなく、むしろ「あの草は取らないでください」というお達しを何度か聞いた。おじいちゃん、褒められず文句言われて大変だったねぇと母と笑う。

うちの雑草を取るアルバイトで1本1円として子供だった私たちに推奨されていた時期があった。それでも釣られることはあまりなく、10円20円取るのも子供には忍耐が足りなかった。祖父は、それはいいアルバイトだなぁと羨ましがっていた。自分の家で、何百も何千も取っていたのだろうなぁ。

それなりの体力を使うので、無理な身体の使い方さえしなければ、日にも当たれるいい瞑想時間になる。

墓参りからの帰り道。電車に揺られながら鎌倉の山に三々五々花をつけた桜を遠目に収めた。河津桜はすでに葉桜。ソメイヨシノはまだつぼみだった。でも膨らんでいるので次の暖かい日に咲きそう。


最近夜料理をしていることが増えた。好きなのかもしれない。料理する気になるタイミングが、ついつい夜になるのだ。今日は、ブリ照り焼き、レンコンの煮物に豚挽き肉とインゲンを合わせて片栗粉でとろみをつける。

そういえば母は「自分で作ったものが一番おいしい」と毎週野菜を買い込み、生協にも運んでもらい捨てることなく何か作っている。太っているけれどあっぱれな82歳。

20220321 Mon.

夫の家へ、義母様と二人分の差し入れを持って訪問。昨晩作ったおかず。

門のところで一応ピンポーンと押して中に入ると、
義姉「お母さん今日は調子よかったから、〇〇さんと◇◇さんだけで」と玄関から出てきてくれる。
夫「こんにちは、奥で飲んでいるから、こっちに上がっていって」いつものように叔父と男衆で飲んでいるようだ。台所に義母と義姉。

なんと、お彼岸の集まりをこじんまりとだが行っていたのか。ちょっとショック。今回は私から連絡していなかったけれど。

おかずをお渡しして私はお寺へ。お墓にあったすごく古い小さな墓石(メインの墓石のほかに古いものが八基、さらに肩が丸くなっていた小さな墓石がいくつかあったはずだけれど記憶違いか?)が撤去されているようだった。かわいらしく花が植わったりしていた。

祭日で街が混雑しているなか、駅近くの気に入っているカフェで少し時間を過ごし、自分の家に帰ってから動画を見続ける。2017年にこんなドラマをやっていたのか、当時、仕事三昧でテレビ見てなかったからな。いまも活躍しているカッコいい3人の男優や若い女性で魅力的な人も出ている。この動画に行きついていてよかった。長時間観ていられる。現実をあまり考えたくない。

春分の日は、太陽の動きを中心にみたときの新年だと言われている。
少々しけた1日とみるのか、自分なりに尽力した日とみるのか。

ウクイナのひとり一人が明日も命があることを祈る。
強制連行は本当か? 朝起きたら敵国にいるなんて恐怖だ。
日本からモルドバ、JICA派遣、震災のときに段ボールで避難所生活のスペースをつくった大学の先生がポーランドで活動しているとのニュース。日本からの援助が届き始めている。日本への入国も始まっている。


20220322 Tue.

もっと自分につながれ。

寒の戻りとしては激しいのではないか。都内でも霙のような雨だ。カフェに来た。電力需要がひっ迫し節電呼びかけがかかっている。東京に加えて東北電力管内。先日、地震後に広範囲で停電したこともあり、関東圏の人は敏感に反応しているのかもしれない。といっても、102-103%だという。家でも暖房はしていなかったから、大した消費ではないかもしれないが、待機電力を減らすためコンセントからも抜き、カフェにてThinking Timeと読書、メモなど。


実家から出てきた懐かしい写真。上越市高田にあった、料理屋さん「たぬき」で出された料理の写真。友人に連れて行ってもらい、その後、あまりの美味しさに母と妹を連れて行ったほど。私たち家族は日本海側にあまり縁がなかったので、こちらの山菜や海の幸に魅了された。そこでの一皿、一皿が写真にとってあり、ごはんものを除いて9枚もあった。4月下旬に山菜を出してもらったときのもの。

いまはお店を閉じてしまったが、記憶に残るお店。もう味わえない、料理もその空間の居心地も。

そんなお店を集めた本があった。枕のように分厚い本で、すべては読んでいないけれど、一話一話がオリジナルな世界へ連れて行ってくれる。


20220323 Wed.

STRAY トルコの映画。

トルコは犬も猫も殺処分禁止、野良猫・野良犬が街を駆け回っている。住んでいる人は彼らのことを暖かく見守っているし、居ついていると名前をつけて可愛がったりする。幼児がこわごわ犬をなでるのを親はサポートするし、清掃員の人は犬が確実に骨を拾えるよう配慮したりする。

主人公は犬とこどもたち。

トルコには、シリアやチェチェンなど移民も多い。こどもだけで、ホームレスとして生き抜いている現実がある。カメラは殆どの間、犬と同じ低い目線で撮影している。だから人の靴や足がよく見える。

Strayというのは、彷徨うということ。Stray Sheepといえば迷える子羊。さ迷うことが常態化している。安心してさ迷えるといい。犬はそれができる。人間は路上で寝ると罪を問われるので、安心していられない。


18時頃ゼレンスキー大統領の演説を聞いた。
どういう内容になるか懸念されていたが、あっぱれな演説だった。日本にエールを送られているようにも感じた。


20220324 Thu.

朝起きて、平和の実現へ向けて私たちも努力するのだが、それを含めたゲームの中にいる感覚もぬぐえなかった。演説で戦争状態が良くなるわけでない。むしろ火に油とも見える。

ゼレンスキーの演説は、危惧していたような武力にあおる内容ではなかった。だからほっとした。共感を引き出すことに長けた内容に、安心して話を聴けた。だけど、それで戦争が終わるわけでない。もしかしたら「ゼレンスキーさん、あなたの話はわかる。ウクライナを支援している。だけど戦争を終わりにするために、平和の枠組みと、武器投入とをどう考えているの?」ときいたほうが良かったんじゃないか。聞いたのだろうか。いずれにしても、この機会にウクライナとパイプが強くなっただろう。


朝の読書会
人間の知能には多くのラインがある。それぞれのラインは独立しているがお互い影響を与えるものもある。人間と動物のラインが重なるものもあるが、多くは人間らしさ、人間たらしめるものが知能。(ライン:独立した個々の能力領域のこと)

過去、知能は限定されたものを知能とみなすことが多かった。

でも多くのラインがあるのだ。それを多重知能という。人には、さまざまな知能がある。限られたものを知能だと思ってきたので、自分にはあまり知能がないと思っている場合があるけれど、「ほとんどが、それは能力なのだ」といえる。

さて、ここまで述べてきた「知能」はどれも、ひとつの発達領域(すなわちライン)をなしています。こうした具体的な諸領域を通してこそ、私たちの真の自己ないし究極のアイデンティティは、輝きを放つことができるのです。
(略)
ここでもやはり大事な点は、こうした各知能が自分自身の中に存在していることに気づくということ、しかもそれらの知能は今この瞬間にも生起しており、周りの世界に対して反応していることを認識することです。

加えて、それぞれの知能は、かなりの程度まで独立に発達する傾向にあるということが知られています。それゆえ、私たちは多くの場合、いくつかのラインにおいては極めて高度に発達しているけれど、別のいくつかのラインにおいては中程度の発達であり、他のいくつかのラインにおいてはかなり未成熟なままであるという状態にあるのです(私がいつも例として挙げるのは、ナチスに関わっていた医師たちです。高い段階の認知的知能をもっていたけれど、道徳的知能は低い段階のままであっと思われます)

『インテグラル理論を体感する』p.321-323

発達のラインすなわち多重知能は、どれだけ存在しているのだろう?(略)

多少なりとも合理性や証拠があると考えられているものとして認知的知能、感情的知能、内省的知能、身体的知能、道徳的知能、精神的/霊的な知能、意志の力、自己のライン。

『インテグラル理論を体感する』

以上が主な知能。以下、加えて

論理―数学的知能、音楽的知能、美に関する知能、関係性に関する知能、言語的知能、支店に関する知能、性―心理に関する知能、価値に関する知能、防衛作用に関する知能、対人的知能、欲求に関する知能、世界観に関する知能、博物的知能、空間と時間に関する知能、実存的知能、ジェンダーに関する知能などです。

(略)大事な点は、少なくとも上記の8つの脳力について、それらをはっきりと意識し、明確な気づきの対象にする・・・(略)・・・これら8つの知能と親しくなるにつれて・・・(略)・・・私たちは、実に多種多様な仕方で、賢くなれるのです。それゆえ、自分のことを過小評価しないようにしましょう!

『インテグラル理論を体感する』p.324-325

現代社会では能力をとても偏った領域かつ数値化できるものに絞っている。そのため現代社会が取り上げている能力が高くない場合、自分には能力が低いと思わされる構図がある。でもそんなことはない。薄っぺらい賢さではなく、人として様々な能力があることを明確に書いてある部分だった。


中学時代の同級生が亡くなったとの知らせ。唐突に。この1年弱、闘病していたようだ。もう8年近く前に大きな同窓会を行ったときに一緒の幹事チーム一員だった。穏やかで、確実で、引き出しの多い人だから、彼と話したことを色々な人が思い出に挙げていた。撮る写真がどれも素晴らしく、Facebookではいつも楽しませてもらっていた。この数年は自転車でのツーリングを楽しんでいるようで、同級生同士の楽しそうな写真も素敵だった。お子さんの成長も垣間見えた。そんな輝く日を過ごしていたのに命の炎が消えてしまうなんて。早い。死を受け入れつつも心残りでないわけがない。


20220325 Fri.

なぜこの日記のようなものを書いているのか。

時の流れが、これまで培ってきた感覚と違う。短期間にずいぶん時間が経ったような気がするし、半年くらい前のことがつい最近のことのような気がする。時系列の感覚が崩れているような感覚。

外側で起きる出来事は大きく広範囲なこと・・・災害、戦争があり、それとは反対に、日常のなかで静かに進んでいくこと・・・ネットにつながっていて関係性が希薄にも濃厚にもなっていること、お金の流れが確実にネット上に移っていること、市民の声が反映されることもあること、等がある。

外側で起きていることが、だんだんと文化や人の価値観に影響を与えてきている。昭和な考えから令和へ更新されてくる。

私自身は内面で、その時の私はわたしだが、今の私のことをわたしは当然自分だと思っている。その時の私と今の私が違うことを、わたしは十分認識しているだろうか。

そして人は忘れやすい。私はその中でも忘れやすい。だから今をどう捉えているかを書いて、この先のわたしに比較検討してもらおう、違いがあれば気づいてもらいたい。

それが私の内面を変え、外面に現れてくるかもしれない。

毎日、何をしていたのか、
何が起きて何が残っていくのか、何を感じていたのか
これらが消えていくような気がして、書き留めたいと思った。

そして、日々をできるだけ自覚的にしたい、意識的にしたいと思っている。感じることは結構敏感な私が、流されるのは簡単。まず流されていることを意識したい、流されたくない方向へ向かっているなら流れにあらがいたい。


20220326 Sat.

星占いや守護霊に興味がある人達と会食。同じものを、プリズムを通すように見ているのだろうな。

彼らが言うことは、自分のエネルギーを知って邪魔せずに使うこと、エネルギーがやろうとしていることを妨げないこと、そういったことが大事だと言っている。そのエネルギーのことを、魂といってみたり、星のエネルギーで説明してみたりしているんじゃないか。


アメリカが最も恐れた男 "プーチン" 2018

オリバー・ストーンの映画と併せて実態を推し量ることができる。


20220327 Sun.

朝のMBTI勉強会。

円借款
1億ドルの人道支援
無償 1億ドル+1億ドル モルドバでの人道支援。

相変わらず落ち着かないなか、明日の米国アカデミー賞を前に『ウエスト・サイド・ストーリー』の感想をまとめることにした。書こうを思いつつ、なんとなく戦争でそんな気も失せる感じがして取り組めないでいた。でも大きな時の流れでみたら、この戦争のときにこの映画を見た意味があるだろう。


20220328 Mon.

バイデン米大統領:「プーチンを権力の座に残しておいてはいけない」 これを受けて、ロシアの政治体制を云々干渉する内容ではないとアメリカ政府関係者が火消。

マクロン仏大統領:「まず休戦をしてから、外交的手段を通じて(ロシアの)軍隊を完全に撤退させなければならない」「そのためには、言葉であれ行動であれ緊張を高めてはならない。わたしならそんな言い方はしない」

プーチン露大統領:「そんなこと言われる筋合いはない」

アメリカは資金や武器提供し(軍需産業が儲かる)、プーチンによる侵攻を批判してきた。仲裁という役目は果たしていない。自分は安全なところにいて相手を批判している。(その点、安全地帯にいる私も変わりない。)


米国アカデミー賞。
濱口監督の「ドライブ・マイ・カー」国際長編映画賞受賞!

映画館で最初観たときに3時間の映画とは知らず、1時間半くらいで思わずスマホの時計を見たのだが、時間をかけて持っていく意味のある映画だった。オンラインでも視聴できたので、今年になって2回目を観た。クライマックスのところでも、西島秀俊演じる主人公の話ぶりは自分に対して距離を置いているように感じる。

セリフ読みにポリシーがあるらしく下記の記事は面白かった(途中までしか読んでいないが)。『偶然と想像』も濱口テイストにあふれていた。



1932年に国際連盟からアインシュタインへの「今の文明においてもっとも大事だと思われる事柄を、いちばん意見を交換したい相手と書簡を交わしてください」という依頼が発端となり、この往復書簡が交わされた。1932年7月、9月のこと。

『人はなぜ戦争をするのか』アインシュタイン・フロイト往復書簡
講談社 2016年出版
訳:浅見昇吾 解説:養老孟司(解剖学者)・斉藤環(精神科医)

往復書簡は短いが内容が濃い。養老孟司と斉藤環の解説がとても参考になる。

その後、この戦争論は激動の中で忘れ去られていった。(略)

少なくとも日本ではこれまで出版されていない。新たな世紀の歴史を歩みはじめる今、二十世紀の巨人の手になるこの戦争論が日の目を見たことには、大きな意味があるだろう。

訳者あとがき p.59

上記フロイトの書簡と、フロイトの4つの講義をまとめた書籍は、光文社からも出ている(写真右)。フロイトの年譜、中山元氏による解説がすべての論文について収められている。2008年出版。ただし、往復書簡ではない、アインシュタインからの最初の手紙が掲載されていないからだ。だから私としては写真左のほうをおススメしたい。

今読むと、戦争なんてないだろう、割に合わない、という意識が働きつつ、人間はまたやるかもしれないので、21世紀の英知を使い何か考えていかなくてはならない、ということに深くうなづくしかない。書籍では脳科学・人々の感情の繋がり・文化などが検討されている。
「感情の繋がりをもって、相手を一人の人間として捉えること」「ひとの意識において、自己中心から世界中心に軸を移していくこと」などが言えるかもしれない。
現実には人類が十分成長するまで至っていない。成長する前に戦争状態に陥ってしまった。間に合わなかった。それでもそんな自分達を受け入れて進んでいかなくてはならない。そうしなければ現状のままだ。

20220329 Tue.

プーチンはKGBの知識・思考様式が染みついている。これはデフォルトなのだ。

(毎日新聞)米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)は28日、ロシアの新興財閥(オリガルヒ)の一人、ロマン・アブラモビッチ氏らが、3月初旬にあったロシアとウクライナの停戦協議に関する会合後、中毒の疑いがある症状に見舞われたと報じた。一方、ウクライナのクレバ外相は国営放送で「ロシアとの交渉に行く人には、何も食べたり飲んだりせず、できれば表面に触れるのも避けることを勧める」と述べた。(ロイター)2022年3月29日公開

だからといって、プーチンを単に狂っているとか、反対に側近に真実を知らされていないというのは間違っている、と思う。プーチンはおそらくほぼ正確に情報を捉えていて、残酷なこともわかっていて、自国中心的な発想で必然性があると思ってこの戦いを行っているのだ。ただそこには「戦うしかない」と思ってしまった心理的状態があったのではないだろうか。狭量で、余裕がなくて、自国中心といえるようで自己中心的な何か。

自分がいまの立場を追われたら、どうやって自分を守ったら良いのか、死しかないというような恐れ。限りなく死への恐れから始まり、怖れを振り払うために殺しまくっている。ということなのかもしれない。KGBで培った常に人を疑う、試すという実践も拍車をかけているだろう。

起点が現実を創る。

プーチン氏がロシアの良さを尊重したいと思っているだろうと推察している。もしそこに起点を持ち、人を信頼するならば、融和的かつ最大にロシアの文化が魅了されるだろうに。


MBTI勉強会。ペルソナについて。

日本人はペルソナを育てやすい環境だ。同時に自我は弱い。
欧米は自我が強い。ペルソナと比較的、客観的な付き合いができるが、人によってはペルソナに支配される場合も日本同様にある。

新人など若手が企業に入ってきたとき、どのようにペルソナを育てるか。育てる際に、先輩社員やパワーを持った社員がどのように若手と対するか。人と人が対峙する場である。そして企業の価値観がそこに反映される。その結果、個人が組織によって損なわれるようだと、組織や上司側が何か変えるほうが適切だと考える。でも個人が一時的に損なわれることも必要悪だと考える場合もある。個人の耐性(レジリエンス)との兼ね合いがある。
守られなくてはならないのは、心理的安全性。
それがベースにあったうえで「傷つき」が「気づき」を起こし、成長につながる。
実際問題、企業で儲け重視の場合に個人が軽く扱われやすい、そこに組織としてどのような規範があるかなど生々しい話になった。

20220330 Wed.

10時に鎌倉駅集合。表駅、東口は改札口周辺に待ち合わせするグループが沢山いた。

裏駅、西口の時計台広場へ行くと、山伏の被り物(鉢巻のような)をした人たち。あれ、集合している集まりはこのグループだけ。今日は修行だったのか?

宝冠を巻いて、杖をもち、一列になって無言で歩く。これは視覚的にかなりのインパクト。先頭を歩くのは、羽黒山から来鎌くださった高名な山伏、装束をまとい法螺貝を腰に下げていらっしゃる(以下、先達:せんだつ)。

一列になって進む鎌倉のハイキングコース。寿福寺の裏から墓地を上がり、源氏山、葛原ガ岡から大仏切通しを越えて鎌倉山の坂を登っていく。途中無言。写真撮影などスマホ禁止。ひたすら歩く、そして、八坂大神・楠原岡神社・祠・八雲神社・鎌倉山神社をお参りする。流行り病、戦さ、亡くなった方のことを祈る。法螺貝、皆と声を合わせて祈りの言葉を唱える声明(しょうみょう)。

ここへ私が参加した理由は、地元の道を先達と歩いたらどんな風に感じるだろうか、それを体感したいという気持ちからだった。

やってみると、鎌倉の桜は満開。こんな日に、たっぷり歩いて鎌倉の山を堪能できるとは、という感激。桜・雪柳などの花、新緑の始まり、うぐいすや鳥のさえずり、山をなでる風を味わい、身体全体を使って歩いた感覚。

たっぷり歩いた後、汗を流してから皆で夕飯と懇親。20数名は、駅集合以来、とくに名前を名乗るでもなく、肩書きも知らず、いつのまにか場を共有する仲間となっていた。懇親の場でそれぞれが多少の自己紹介や今日の感想をシェアしていると、なかには奇遇の縁があり、ある人を介して出会うべくしてこの場で出会った人もいた。

ペルソナを被らず、ただそこにいる人として出会う。一期一会。


ウクライナの地名をロシア語表記からウクライナ語表記へと変える旨、日本政府が決定。NHKが下記のように伝えている。3/31より。でも実際はキーウのみ?

「キエフ」は「キーウ」、「オデッサ」は「オデーサ」、「チェルノブイリ」は「チョルノービリ」、「ドニエプル」は「ドニプロ」。ほかに「ハルコフ」→「ハリキウ」という言い換えも聞いたなぁ。


20220331 Thu.

引き続き、今日も午後まで鎌倉山。

魂振り(たまふり)という先達考案のワークを直伝してもらいその場で体感。これは以前参加した別のプログラムで、現場会場とZoom併用だったとき、Zoom参加では全くといっていいほど何をやっているかわからなかったワークだ。

施術する側が、相手の体幹、そして頭を小さく揺らす。特に頭を行ったあとは、当人の表情が若返ったような、その人の好さが表に現れたような、少年少女の顔になるのだという説明。実際やってみて加減を教えてもらう。微妙な揺らし方は、人間の身体の7割が水だということからだそうだ。微妙に揺らしながら、身体が自然に整っていく。受ける側はリラックスして「考えない」。空っぽにする。そうすると身体が整ってくる。

魂振りとは、魂に活力を与え再生させる呪術、とweb検索すると書いてあり、その言葉は古神道のカテゴリーだった。別れるとき、手を振るのも魂振りの現われの一つとのこと。

魂消えるが転じて、たまげる。非常に驚く・肝をつぶす

そういえば、先達の話のなかで、祈りとは、日々の生活のなかに根差している。「おはよう」「いただきます」「ごちそうさま」「ありがとう」「おやすみなさい」なども祈りの形であるし、茶道などのお点前もひとつひとつが祈りであると。他者へむけた感謝や思いを込めて行うこと、それが祈りだという意味に取らせてもらった。

ということは、別れ際に手を振ることは、その人の安全や幸せを、あるいは、また会いましょう、という気持ちをこめているのだろう。

 

夜、家に入る時、何か具体的にわからないけれど、鎌倉山に行ったのと行かなかったのでは、はっきり違うという感覚だけが明確にあった。

OSに何かが追加インストールされた感じだろうか。アプリを入れるような追加する感じとは違って重みがある。かといってOSがすっかり変わったわけでない。いやいや、こんな風に思考で考えるのではなかった。「なんとなく違うなぁ」と感じよう。そして今やることに気持ちをこめて行おう。気持ちが向くことをやってみよう。いただいたお役目は受けたもう。


===
この半月もお読みくださりありがとうございます。
皆さまはどのような時間だったでしょうか。年度末・年度始めを経て状況やお気持ちを一新している方も多いかもしれません。春らしさを味わっていらっしゃるでしょうか。

revised without changing the purpose of the text at April 4.

こころが落ち着いた演奏 

チェロ奏者ミッシャ・マイスキーの音は深みのある明るさ。アルゲリッチのピアノは情感にあふれた素晴らしい演奏。

ミッシャ・マイスキー チェロ
マルタ・アルゲリッチ ピアノ
シューベルト ソナタ D821
27:45



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?