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2022年8月後半

日によって、空気に秋らしさを感じるときもある。
それでもまだ夏の厳しさは続く2022年夏。

サムネイル写真は長野県茅野市にて、ある晴れた日のトンボ。

20220816 Tue.

昨日は都内から鎌倉、そして大回りして長野県茅野市までドライブして来たので、運転疲れというか目の疲労が溜まっている。少し頭痛もする。だんだんと運転する余力が減ってくるのだろうか。ちょっとしたところに老化を感じる。が、年齢を制約にはしない・対処はする、ということにしよう。

できることは出来るが、そのために、意識的にエネルギーを投入しないとならない感覚。それ以外への余裕がなくなる。タイプと年齢の両方が関わりそう。

今回の長野滞在は、鎌倉の湿気の多い夏を耐えている母が、長野の空気のなかで蓄積した夏疲れから回復することが目的だったが、様子をみると100%元気になったわけではない。体調が十分戻るか不安だなぁ。いつもなら来ただけで嬉しそうで元気そうになるけれど、そのようには見えない。「大丈夫?」と聞けば「大丈夫」と答えるけれど、何となく疲れているように見える。

来てみたら叔父もいた。そうか、3人で1週間となった。

20220817 Wed.

今日は晴れ。
長野の景色を堪能しよう。母がまだ行っていなかった御射鹿池みしゃかいけを目指してドライブした。湯けむり街道という湯治旅館をつなぐ山道にあり、途中くねくね道が続き、石造りの観音様が道沿いに何体も祀られている。
今日は晴れて無風、ここの景色をみるには最高だ。本当に鏡に映ったようで青空と緑のコントラストが美しい。

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御射鹿池@長野県茅野市

山の上は、夜雨が降ることが多いためか、洗濯物がしっかり乾かない。少し湿気が残ってしまう。いつもこれが困りもので、何日か洗濯物を干しっぱなしにしていたのだが、今年初めてコインランドリーを使ってみよう、ということになった。

数年前から、通り道にカフェ併設の場所があることは知っていた。最近、コインランドリーが進化しているという記事も散見する。

行ってみたら、普通の洗濯物なら20分200円、タオルケットなどがあっても30分300円でフワフワに乾く。何故いままで利用しなかったのだろう、と思うほどだ。
このお店は、きっと収益面でもうまくいっていそう。

カフェ併設のコインランドリー


20220818 Thu.

PCが急に動かなくなった。昨晩は順調で、通常通りシャットダウンしたのに。購入して3か月ほどなのになぁ。

自宅にサポート問い合わせ先などを置いてあり、帰るまでPCは使えない。

せっかく長野に来たので本を読んだり、PC以外のことに集中しよう。
座っているだけで汗をかいたり、頭がぼおっとするような暑さはここにないのだから。

夕方ラジオで森英恵さんが亡くなったとのニュースを聞いた。
  森英恵さん  1926年生まれ 96才没
  三宅一生さん 1938年生まれ 84才没
先日亡くなった三宅一生の先輩世代。
日本を背負って、ヨーロッパにデザイナーとして地位を確立した人。
そのおかげで後進世代が進出しやすくなった。

三宅一生がデザインした社服をかつて着ていたことに加え、森英恵デザインの制服を高校のときに来ていたことを久々思い出した。
そう思うと、ブランド主流の時代を生きていたのだなぁ。

洋服のデザイナーのブランド名がついた食器が販売されるようになったり、タオルハンカチにロゴがついたり。どう考えても、ここにそれほどのデザイン力は反映していないだろうと思うものにも、ロゴや色合いで、ブランドを主張している。それが収益を得る水脈だったのだ。まぁ、いまもそれは残っている。

20220819 Fri.

念願の『チ。』を読み終えた。コミック全8巻。一晩と半日。
地動説そのものが、当時どのような社会状況のなかでまとめ上げられ、人々にバトンが渡ったのか。そこには人間のどのような動機があったのか。

15世紀のヨーロッパで天動説が信じられていたとき、地動説を示す観測をした人々が、宗教の力に抑え込まれ、話すことも書くことも言葉にすることを禁止されるなか、どのような動機や衝動・信念があって研究を続け世代を超えて伝えられ理論として構築されたのかが描かれている。

いまの世の中でも、当たり前とされているものが変わっていくことがある。当たり前とされているものを変えなくてはならないと思うこともある。そこに一人ひとりがどのように貢献できるのか、参考になると思った。

翌日の信濃毎日新聞に書評が出ていた。地方新聞は面白いといつも思うのだけれど、私にとってタイムリーだったので嬉しく、新聞社もわかっているなぁと勝手に褒めたくなったり、ここで取り上げられるということは映画化も決まっているし、だいぶ市民権を得ている現れなんだと受け取った。

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信濃毎日新聞 2022年8月20日

     

20220820 Sat.

オリンピック汚職が明らかになってきた。AOKI会長は贈賄の贈る側だったけれど、彼は自分の夢を、「電通」子会社の幹部社員(当時)に食い物にされたんだな。
1964年東京オリンピックのときに、たたき上げで仕事をしていた青木会長は、いつか見上げた仕事をしてやるという思いをもち、一代で全国的なビジネスを築いた。その夢に付け込んで話を持ち掛けたのが電通の高橋さんだったかもしれない、という仮説が考えらえる。自分の立場を活用し、青木会長の心の柔らかいところを突き、願いをくすぐるようなポイントに仕掛けたように思える。


日本全体あちこちで、ひどいことが起きている。例えば、職責を果たさない、自己のために職権乱用する。
出来上がった社会のなかでは、こういうことが起きてしまうのかもしれない。

ここ長野に来て読んでいた本『ラッパー、サンゴールを歌う セネガルてんやわんや』高須 奈緒美 (著)が、とても面白かった。そこでは立派な国・誰もが教育を受けられる国、理想とする国をつくろうという志を持った人が留学したり政府の要職について、実際に国や人々の暮らしを変えていっている。。

国が出来上がっていないと、どうやって作っていくかを考える。
国が豊かな状態にあると、そのなかで、どうやったら自分が得するかを考える。
そんな仮説が出てくる。

日本は第二次大戦が終わったあと、1950年代、60年代にどんどん復興・発展し、70年代は公害などの負の部分を改善していき、80年代にかなり豊かな国に実際になった。そこでは激しい競争もあり、人々は遅れまい・振り落とされまいと損得に敏感になり、出し抜く方法を考えて実行していった、のかもしれない。

しかし豊かな国は、全員が自分の損得を第一に考えるのかというとそうとは限らない。家族のため、地域のため、国のため、世界のため、宇宙のため、、、そんな風に大きい枠組みで考える人もいる。

ただ自分が無力だと思えば思うほど、自分の損得を考える方に傾くかもしれないし、その傾きを支えるのは、やせ我慢・信念・教えられた規範などなど各人各様だろう。

「大きな人間になりなさい。小さい人間とは、自分のことしか考えられない人のことです。」 勤めていた会社の創業者の言葉。

20220821 Sun.

誕生日だった。
朝からSNSで何人かから、お祝いメッセージを貰ってうれしかった。昼頃、妹が家族ラインにメッセージを送ってくれて、それを読んだ母が「ゆうべまで覚えていたのだけれど・・・」と思い出してくれた。

長野の山奥に、母と叔父と3人。今日をどんな日にしよう、と思った昼前。

誕生日だし、
ひとりで歩きたい。
昔歩いた場所まで地図片手に行ってみようかな。

そう思って、「これから歩いてくるけれど」と宣言すると、母が「一緒に行きたい」と。


えー。。。 母が歩くことはいいことだけど。。。

んーーー、私の誕生日はどこへ行く。好きにさせてもらいたかったなぁ。

仕方ない。なるべく持ち物を少なくして、両手を空けられるようリュックを出してきて歩く準備をした。                     さぁ出かけよう。
5分ほど歩いたところで、


ええー。。。スマホ忘れたの?

んーーー、途中で自分だけ引き返すかもしれない、って言っていたじゃない。そのときスマホが無かったら、遭難したときに困るよ。

仕方ない。私が取ってくる!と速足で戻る。もうなんだかなぁ。     スマホを手渡すと、


えええー。。。ポシェット取ってくる???

んーーー、リュックだと手元にスマホや眼鏡を入れたりできなくて、肩が痛いからリュックを頻繁に開け閉めするのは辛いって、それはそうだよねー。

仕方ない。つぅか、もう戻ってあれこれしたくないから、「私のポシェットを使って」とポシェットの中身を私は自分のリュックに入れて、明け渡した。「あるのよ、自分も持ってきている」というのだが、きっとさらに荷物が増える。早く歩きたい。強引に自分のポシェットを使ってもらった。

ふぅ。これで歩ける。

この間、頭をよぎっていたことは、
"ここで爆発して喧嘩したくない”
ということ。

ここでもっと嫌な言葉を交わして、母を委縮させたくない。委縮なんてしないかもしれないけれど、そのことに気を遣った対応になってほしくないし、こちらもそうしたくない。

そもそも、こんなにいきどおっている自分は何て幼稚なのだ。

落ち着け。

声の調子を普通に戻して、地図を一緒に見て「ここを通って、こういうルートで行こう」と思うと共有した。一人ならもっと歩きにくい道を通って近道するのだけれど、母とは歩きやすそうな道を選ぶ。それでいて、あまり回り道にならないようにしたい。

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歩いてみたら案外歩きやすくて、それほど長距離でもなく、1時間で目的地近くまで来た。快晴で日なたは暑いけれど木陰を選ぶと割と快適。最後の日なた道、5分ほどが母には少しきつかったようで歩くペースが落ちた。あぁ、お年寄りなんだよな。目的地で水を飲み、椅子に座れて安心した。冷房もWiFiもある。

帰りは巡回しているバスに乗った。らくちん、らくちん。

一日の最後に思ったこと。
感謝をコトバにしなかった誕生日。
この生をもたらしてくれたことを親に感謝する日なんじゃないの?

なんて自分勝手なんだ。頑張ったところもあるけれど、自分に囚われてた私自身にちょっと嫌になる。

20220822 Mon.

帰る日。掃除して荷物をまとめて、早めに帰途につく。来た時のような余計なドライブはせずに、効率よく帰りたい。鎌倉まで3‐4時間。都内まで1‐2時間。天気もよいし、事故らず安全に帰ろう。

諏訪インターで高速に乗る前にお土産を仕入れて軽くランチを済ませて中央道へ乗った。談合坂で休んで、鎌倉で休んでから都内へ。1時間半ごとに休んで、鎌倉まで4時間弱。都内まで1時間半。順調に進み事故も起こさず巻き込まれずほっとした。

曇っていて、途中富士山が見えるはずのポイントでは雲に覆われていたけれど、渋滞もなく平日昼間は運転しやすかった。

母がだんだん疲れやすくなっていて、特急とレンタカーの組み合わせができる機会は減って、往復車となる回数が増えそうだ。

20220823 Tue.

夜、読書会があるのだが、担当部分の資料がまだできていない。PCは壊れたままなので、資料に掲載したい部分をとにかくスマホでデータにしてからKinko‘sにてPCを借りて20分ほどでパワーポイント資料に仕立てた。

読書会にはスマホで参加し、興味深いディスカッションになったことが嬉しい収穫。少し苦労したけれど参加してよかった。

今日取り組む箇所は、人間の成長について書かれている。数日前の人間の器に関することがまさに書かれている。

発達の進行とは、内面化が増大していくことであり、それにより自立性が増大し、ナルシシズムは減少する。

例えば、幼児は完全に自己中心的だが自分のことを考えることができない。自己と外界とを区別できない。幼児は他者も自分の苦痛や苦楽を共有していると感じていたり、かくれんぼの遊びをしても誰もが見えるところに隠れて隠れたつもりになっている。

人間の発達は自己中心性の低下にある。

内面化は、具体的に物を動かす段階から、具体的に動かすことをこころの中で思い描く段階へ、心の機能を発達させることによって、内面が作られていくと理解されている。自己の内面をつくっていくことで、自己中心から抜け出した視点を持つことが出来る。これがさらに進むと社会中心、世界中心へと発達していく。

『進化の構造』ケン・ウィルバー著 
p. 400-404 を意訳し要約しました


20220824 Wed.

PCをオンサイトで修理してもらった。送付すると1-2週間かかるところ、電話してから3日目に修理にきてもらった。8/23開催のオンライン読書会はスマホでしのぎ、8/27にあるオンライン参加のための準備や当日には間に合いそう。

幸いハードディスクは問題なく、基盤を交換して修理は完了した。しかし購入3か月後に基盤交換って・・・。ハードディスクに問題はないので、具体的問題はわからないが基盤を交換するという状況。何が原因で何がおきているかわからない。持ち運び・シャットダウン・細かいゴミなどについて質問してみたが、私の使い方において問題あるわけではなさそうだった。

それにしても私はPC運が悪い。
3年前にHPノートブックを購入したときは、1年経過したところで液晶画面が映らなくなり有償修理。2年過ぎたところで躯体として液晶画面周囲のパネルが壊れてこれも有償修理で確か3万円以上。それなのに半年後にまったく起動せず完全に動かなくなった。ヘルプデスクを通じてあらゆることを行ったが二度と動かず、別途データ復旧だけ行った。

心折れて、そこから半年ほどレンタルPCでつないだ。
この機会にMacにするか、Windowsのままでいくか。しばらく迷った。学生時代、最初に使ったのはMacintoshのデスクトップだった。マックは好き。だけど迷った末にWindowsのままにしようと思った。周辺機器含めWindows対応のものが多いという現状。

いよいよレンタルするのもお金の無駄だし、いちいちデータ整理することが面倒だと思った頃、再度PCを購入に至った。今度はLenovo.前回の痛手があるので今回は1年間プレミアムサポートを付けた。無駄かなと思いつつ、またトラブルがあったらたまらない。

購入して2週間で動かなくなったが、ヘルプデスクでの電話サポートで一発動作するようになった。いま購入して3か月。プレミアムサポートを着けて、結果良かったということになる。

自宅でということが心配だったけれど冷蔵庫の修理と同じと考えることにした。来てくれたエンジニアの方は1時間ほど、きちんと仕事をしてくれた。帰りがけ「ハードディスクがそのまま使えてとても助かりました。ありがとうございます」と伝えてから「私PC運が悪いのかも居しれませんが、PC運とか当たりはずれってあるのでしょうか? お仕事がら色々なケースに接していらっしゃると思いますが・・・」と話してみると、いかにも困ったようだったので、「すみません、こたえようがないですよね(笑)」と明るく見送った。


20220825 Thu.

朝の読書会、書籍は『禅と日本文化』鈴木大拙が欧米大学で講演した内容の日本語訳。
禅について丁寧に説明してあり、完結な日本語で情報密度濃いところが、朝の短い時間にぴったりだ。
しかし読み進めていくにつれて、禅そのものが様々な主義と抵抗なく親和するものだと書かれていて、つまりは読者がどのような枠組みをもっていても禅を取り入れることが出来るという部分で、メンバーの間に緊張が高まった。

禅は無政府アナーキズム主義やファシズムにも、共産主義や民主主義にも、無神論アイシーズム唯心論アイディアリズムにも、またいかなる政治的、経済的な教説ドグマにも結びついている。

『禅と日本文化』p.37 鈴木大拙著 北川桃雄訳

禅には、一揃いの概念や知的公式を持つ特別な理論や哲学があるわけではない。ただそれは人を生死の絆から解こうとするのである。・・(略)・・なんでも危機ー--いかなる意味でもよいが、それに瀕したときは、禅は本来の鋭鋒を現して、左右いずれとも現状打破の革新力となる。

『禅と日本文化』p.37,38 鈴木大拙著 北川桃雄訳

鈴木大拙がいう不立文字ふりゅうもんじ、生死観といった考え方を、単にカッコいいと取り入れると、誤った方向へ流されるのではないかとの懸念があるのだ。
例えば、第二次世界大戦のとき、国民総動員されて敵兵に下るよりも自ら死を、といったときに、生死ハッキリどちらかであるという思想のもと、「敵兵に下るくらいなら兵士も民間人も自死を」と手りゅう弾を配った。そのとき、死ぬことが目的化してしまっている。

しかし今は鎌倉時代のような戦国時代ではないし、第二次世界大戦のときのような天皇中心で伝統に規範を置く社会ではない。そこから進歩して以前よりも、合理的で、平等な社会になっている。だから、生死を考えるにしても、選択肢が以前よりも広いのだ。そこを見すえて幅広く検討し、知恵を出すことが必要なのだ。それをせずに、問答無用で何か結論を出すようなスタイルに、この鈴木大拙の論考を狭めて解釈してはならないのだ。そんな危惧が出てきた。

それはその通り。
何となく前提として、人は幸せをめざす・人類全体の幸せ・・・と思っていたので、その前提が全く異なることを考えていなかったことに気づかされた。

どんな考え方も議論も、それを使う人が何を大事に、何を目指して使うかによって、結果が大きく変わる。

朝から濃い話になった。


ウクライナ侵攻から昨日で6か月。

この人の話は好きだなぁと思う小泉悠さんと、豊島晋作さんのコンビでのテレ東Biz. これはいい! 今回初顔合わせだ。ちょっと意外でもある。話の趣旨は、小泉さん曰く、戦争は長期化するのではないかということ。断定はできないがそちらに意見は傾いていた。

何等かの意志を持って、外から介入するか、二国が結論を出すかしないと終わらないだろうと思う。

今日も戦場では死ぬ人がいる。民間人も死ぬ。

国家レベルの方針や意思決定と、ひとりひとりの人間の生死。

どちらも重要で、ジレンマが生じる関係だが、そのなかで最善を工夫していくもの。

国家が戦争に突入したから個人個人の生死は軽んじていいわけでない。
もしかすると日本のように、国家が明確な意思決定をしないことが予想されるのであれば、国民は戦争をしない選択肢や方法を出し続ける必要があるのかもしれない。


教科書のデジタル化。書籍かデジタルか選べるようにするとの報道。
うーーーむ。
なにか哲学が感じられないなぁ。
両方使えるようにできないのだろうか。

すべてデジタル化したら、親が教科書をみる機会は殆どなくなるのではないか。親と子供、兄弟が教科書を一緒に見る機会が減る、それは共通の話題にしにくくなり、教師・生徒の間に勉強が閉じてしまうことを懸念する。
一緒にデジタル教科書を見る場面が各家庭で作られて、電子機器の使い方を子供に教えて貰うことになって楽しいかもしれない。それは前向きなチャンスとなる。

ただ紙の教科書は、自由に手に取れる状態があるほうがよいのではないか。親御さんたちはどう思っているのだろう?

この背景には、重いランドセル問題、環境負荷の軽減、電子化推進などがあるだろう。それを踏まえても、教育とは正解を教え込むことではなく、子供が学ぶ喜びを知り、正解を得るより問を持つことができるようになるか? 対話や交流を促進するか?という観点で考えているのだろうか。

20220826 Fri.

今日は整形外科受診後、篠田桃紅の展示を見て、明日借りるレンタルオフィスのカードキーを受け取りに行った。うまく時間がハマって嬉しい。

篠田桃紅は、禅スタイルともいえるような、ストイックな筆致。何か凛とした強さがあり、考え抜き選び抜いた墨の色と線があり、印象深い。

スクリーンショット 2022-09-02 133018
キーワード「篠田桃紅」での画像検索結果

20220827 Sat.

今日は約束が重なる日。4つ入ってきたけれど、2つに絞った。3つ目は録画視聴。4つ目は別日程。
1つ目は13-17時のオンライン
2つ目は15時半―18時半の同窓会
午後、中学同級生との集まりが江の島近くの腰越海岸であるのだが、どうしても13-17時のオンラインに出たい。そのため片瀬江ノ島にコワーキングオフィスを借りて、そこでオンラインに出た後、同級会に途中参加しようと思っていた。

オフィスは江の島が見える場所にあり、ヤシの木の並木が見えるゴキゲンな場所。ピーカンなお天気で、こんな日にシェアオフィスに来ている人はよっぽどの勉強家か、仕事人だ。そんな人が3‐4人いた。

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陸側からみた江の島

今日のために、コワーキングオフィスを探して、月ごとの利用ができるよう契約して万全を期して行ったのだが、、、Zoomが何度も切れてオンラインに入れない。ミーティングにアクセスはするのだが、繋がってすぐに落ちてしまう。今週直したPCだが、何か問題があるのだろうか。Zoomそのものに問題があるのだろうか。いや、他の参加者は問題なさそうなので、Zoomそのものではない。その場でPC再起動、Zoomアップデート、アンインストール・インストールを行ったけれど、何度トライしても安定して入れずに、結局、諦めた。

何のためにここまでしたのかなぁ。

PC不調やZoom接続不良は何がどういう原因なのか、どうしたらうまくいくのかが、私にはわからない。このわからなさは不快で不満だ。原因がわかって対策して、希望通りにやれたら満足なだけなのだけど。

いろいろな意味で普通にやれること、そのありがたみを感じる。

海の家に集まって、中学同学年の人達とミニ同窓会。このご時世どうかという話も経て、集まれる人で集まろうということになった。普通に会話できる有難みを感じる。



夜、偶然実家のTVをつけたら『魔改造の夜』が始まった。古巣のエンジニア、顔見知りもいて面白かった。電子ケトルを使い、蒸気の力を動力に変換して綱引きをするというお題。

近年10年以上の製造業の仕事は、手を使ったモノづくりの部分がほとんど無くなり、シミュレーションや確立された手法の展開で占められている。モノづくりの体験が無くなって本当にエンジニアが育つのか、長期的目線で懸念されてきた。そのために、あえて手を動かす研修を行ったりしていたが、それは焼け石に水程度の効果にすぎない。

このTV番組のような「お題」があることが大事なのかもしれない。1か月半で結果を出す、既存の仕事や研修、OJTやoff-JTではできていないことだ。


20220828 Sun.

夕べは実家へ泊り、今日はこの夏最後の芝刈りをしようと思っていたが、天候が下り坂で朝から雨が降ってきた。そのため芝刈りは先送り。母がPCを使う手助けをして、今日は早めに帰ることにした。

母は、前回デスクトップPCを購入して、たぶん20回も使っていなかったと思う。Windowsバージョンがサポートされなくなり、結局新しいノートパソコンを購入したのが今年5月。それから、たぶん5回も使っていない。やらないと忘れちゃうよ、とか声をかけてみるが、優先順位が低くて、PCに至る前に夜が来てしまう。どうして使わないの?と原因を探ってみるけれど、何かでスムーズにいかず思い通りに動かない確率が高くて、そのときの対処がわからなくて、使わないようだ。敬遠している。ならば、買わなければいいのに。スマホで済ませればいいのに。


昨日の同窓会で度々話題になったことは、私たちが通った鎌倉市の公立学校でもっと鎌倉時代のことを、地域の場所とつなげて教えることは重要だということだった。

話のきっかけは、ひとりの男子が「都内出身の人と結婚して30年近く経つけれど、ちっとも鎌倉の良さを分かち合えないのだ」と盛んに残念がっている話からだった。私たち自身も、案外知らない鎌倉の具体的な史実。通っていた小中学校の近くにある神社が、『鎌倉殿の13人』で存在感のある梶原景時の墓所だということとか、あの広い敷地がある妙本寺は比企一族の館があったところだとか、そういうことをテレビを通じて知るようになった。

私たちが子供だったころ、父兄向けに、市内の学校の先生が学校の枠を超えてレクチャーしてくれる催しがあったそうだ。いまもあるのだろうか?
すべての先生がそういう細やかな知識を持つことは難しいけれど、ベテランの地域に詳しい先生が、その学校の周辺について史実を教えてくれる方法なら実現できるかもしれない。

今回の大河ドラマ化は、私たち自身が知識を得るいい機会でもある。
『鎌倉殿の13人』は鎌倉や、縁のある三浦半島一帯、藤沢大庭、伊東、関東全般、東北など地域の逸話を掘り起こしている。

ああ、ここでもTV番組が研修効果をもたらすのだろうか。読者が能動的に動く必要はあるけれど、TVドラマを素材に自分達にとって意味ある情報を掘り出すきっかけになっている。観光ブームだけにとどめるには勿体ない。

20220829 Mon.

・suicaカードを落とした。金曜日は、江の島のどこかで。3年前の最後の定期が記録されているもので、何か過去との決別を感じる。
・図書館カードもここ数日のうちにを無くしたようだ。
・PCは壊れた。5月購入したものだが基盤を交換。
・Zoomがうまく動かない。(アンインストール&インストールしたけれど)
・スマホを今日機種変更した。6年7ヶ月使っていた。
・Bluetooth3.0を使っているスピーカーは、とうとう使えなくなった。ほとんどの製品がBluetooth5.0となっていて接続しないのだ。

色々な古いものがはがれおちる感覚だ。そういった流れなのだろうか。

色々ものを無くしているのは、私の不注意からだ。
脳内RAM(作業用メモリー)は、私の内側が忙しいときには外側の現実への注意が十分払われなくなる。きっと江の島の景色をみて感動したり、なぜオンラインミーティングに参加できなかったかを考え・くやしさを思い返したり、これから起こる同窓会のことを考えるなどの内側作業をしていて、かばんの中に入れたはずなのに、きっとスボンポケットに入れていて、それを落としたのだろう。

PCが壊れたのは、アクシデントだろう。そのアクシデントが2台続くのは私の不運かもしれないし、なぜかはわからない。使い方に注意すれば避けうるものかもしれないが、修理の際に聞いた範囲ではわからなかった。

Bluetoothのバージョンがアップしたら下位バージョンとの互換性が取られないのはメーカーや業界の考え方なのだろう。そこを見越すことができずに、アイディアが面白く気に入った音質を流す変わったスピーカーを買ってしまったのは私だ。

考えることは大事だ。同時に、考えても仕方ないことは世の中沢山ある。

いま起きていることは、古いものが終わっていく・落ち葉が落ちていく。そういうことだ。

そんなことから、吹っ切って前を向いてひたすら歩みを進めるしかない、という気持ちになる。


20220830 Tue.

『ニュー・アムステルダム』ロス
8月上旬からアマゾンプライムでシーズン1・2と観てきた。

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ドラマシリーズ『ニュー・アムステルダム 医師たちのカルテ』

舞台はニューヨークの公立病院ニュー・アムステルダム。新たに雇われたメディカル・ディレクター、マックス・グッドウィンが、病院内の大胆な改革を打ち出して波紋を広げていく。医療の原点へ立ち返って患者のことを第一に考え、誰でも分け隔てなく良質な医療サービスを提供できるよう尽力するマックス。そんな新米ディレクターに刺激され、公立病院の掲げる理想と信念を取り戻していく医師やスタッフたち。彼らが時に迷い立ち止まりながらも、患者のためともに手を取り合って奮闘していく姿が爽やかな感動を呼ぶ。

https://foxnetworks.jp/fox/program/index/prgm_id/22173

ニュー・アムステルダム病院のモデルとなったのが、ニューヨークに実在するベルヴュー病院。1736年に設立された全米最古の公立病院として知られている。ニューヨーク市民の医療的なセーフティーネットとして、不法移民やホームレスを含む年間50万人以上の患者を受け入れ、保険の有無や支払い能力に関係なく全ての患者に良質な医療サービスを提供し続けていることで評価が高い。

https://foxnetworks.jp/fox/program/index/prgm_id/22173

医師たちのカルテ、という副題が、医師たちが担当している患者カルテでもあるけれど、医師自身のカルテと読んでもよさそうだ。主人公のマックスは咽頭がんを患うし、完治まで数ヶ月かかったケガを負った医師もいるし、人生の悩みはどの医師も抱えていて、そこにはキャラクターの特徴、人の偏りもある。医師自身のヒューマンストーリーと、毎回ストーリー展開に関わる患者さんやその家族のストーリーが折り重なり、重層的な物語になっている。

人生にヤサグレるときもあるが、人々が精いっぱい自分の生を生きようとする姿が清々しい。チャレンジに工夫を重ねて事態を乗り越えていくマックスやDr.シャープにもエネルギーを貰う。

シーズン1,2を見終えたところ、調べるとシーズン5まで予定されているらしい。すでにU-NEXTでシーズン3を観られるとのこと。無料期間だけ加入したい誘惑に駆られている。これは依存症だなぁ。それは、自分の日々に満足していないからかな? いやそう自分をいじめずに楽しんでもいいのでは? ここに出てくる人達は素敵だ。


20220831 Wed.

8月最後の日。
夏休み最終日。

ゴルバチョフ氏が亡くなった。
「永続的な平和にとって障害になるのはナショナリズムと分離主義だ」。1990年のノーベル平和賞

併記するのはちょっと違うけれど、
本日でアンナ・ミラーズが閉店。

バイト経験者のブログ

アンナ・ミラーズを経営する井村屋会長の記事(前後編)


昭和が完全に終わっていく。


イギリスの皇太子妃だったダイアナさんが亡くなってから25年。1997年8月31日に亡くなった。これは私の世代だからか、個人的趣味か、ダイアナ妃には惹かれていたし、離婚後の動向が気になっていたので、これも印象深い出来事だ。


その流れの中に、昭和を半分生きた私がいる。


30年の時を経ると、一世代。生まれた赤ちゃんが成人して子供を持つ一般的な年齢になる。
30年一世代というのは、大きな区切りとなるなぁと、改めて実感。

一方技術の変化に伴う生活の変化はもっと短いサイクルで起きているのがここ20-30年の事実。世代が変わると大きくものが変わっているというより、一世代の中で変わっていく。かつて自分が育った時よりもサイクルが早い。

携帯電話から始まり、20年以上使っているけれど、この先、機種変更に対応し続けることができるか、ちょっと不安を感じる。2年後はできるだろうけれど、今回と同じく6年7か月後はできるだろうか?

新たな不安が出てくる。

表面に現れる事実・現実に対応することと、
その裏にある本質的なものを見極めることは重要。
人間は、動物機能としては原始時代からあまり変わっていないとも言われる。

バージョンを変えて、社会が変化しても、それについていかない部分が人間にあるとしたら、そこに人間を無理に合わせるのではなく、社会を変えた方がよさそう。人間はさまざまに適応してきたけれど、その適応方法が人間にとって無理が多くて人間本来が損なわれるようなら、適応方法を変える方がよい。
 学校の教授スタイルの変更
 政治の参加方法の変更
 市民生活の維持の仕方への工夫

人間以外のものを変えようとして様々なことを克服してきたけれど、自然を制御することはできない。むしろ人間は自然から恩恵を被る方が多いのだ。あえて自然から距離を置いてきたこの数十年。

自分にとって何が本質的か。何を大切にしたいか。
少なくとも今は、与えられた人生20-40年をいかに使うか。日々を愛おしみ、自然の現れである人の素晴らしさを実感し、人と共有していく。そんなところだろうか。


小泉悠。「戦争は人間のバグ」 
朝日主催の記者との対談を聴いていた。そのときに出てきた言葉。
うーん、そういうもの、そういうものとして捉えるのだ。

戦争=悪い、という捉え方よりも、だいぶ冷静に捉えた表現。だけど、あって当然という前提がそこに感じられる。そうなのだろうか? 縄文時代、いさかいはあっただろうが、戦争はなかった。

冷静に捉えたい。そして議論し考えられるようにしたい。

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この記事をお読みくださりありがとうございます。時代の変化が激しく感じられるいま、私の内側・外側で起きたことを書いています。独り言の連なりに過ぎませんが、読んで何か心に動きが生じたり、異なる意見に気づいたり、意を強くすることなど、なにかあれば幸いです。読んでくださる方がいらっしゃることが励みになっています。もし♡をクリックしていただけたらとても嬉しいです。

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