英語指導法の流行の変遷と批判について

かつて【文法訳読式】という指導法がありました。
「読めるけど話せない日本人」と揶揄されました。

反省を受けて【英会話重視】へと舵が切られました。
「話せないどころか読めもしない日本人」と輪をかけて揶揄されました。
大学のように英語で論文を読めないと困る部門からは、文法訳読式のほうがまだ良かったという声まで出ました。

そのため聞く・話す・読む・書くの【4技能を統合的に】と修正されました。今は話すを発表とやり取りに分けて【5技能】とされてます。ちなみに教科書収録単語数は小学校で700~800語、中学校卒業までに2500語です。

AIが翻訳や文書生成をする時代に、単に単語数を競って意味があるのか。根本的な活用能力やアウトプットの速さをこそ競うべきなのではないのか、と数年後に大きく叩かれているかもしれません。そもそも英語のスピーキング正答率12%というのは、現場よりも国の失策でしょう。問題の設定がおかしいことを指摘する学会発表もありました。

そして問題なのは、この変化の激しい時代に、学習指導要領が10年ごとにしか改定されないことです。1年でAIが一気に人間に近づいてるのに、10年とか……もうマトリックスが世界を牛耳ってるんじゃないですかね。

レイ・カーツワイルは2045年に技術的特異点(シンギュラリティー、AIが人を超える日)が来ると予測しましたが、もう来年に来ててもおかしくないですよね。あるいは、今この瞬間にも世界のどこかで「それ」が誕生しているのかも……

そんな時代に、10年に1度しかアップデートされない国の指針に盲目的に従っていて大丈夫なんでしょうか。面従腹背という言葉はややネガティブなので、もう少しポジティブに「形式は守るが本質を見失わない教育」をしていきたいものです。


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