大手広告代理店の女 (アバルト595の粋な走り)

俺は今、上下スリムなジーンズにサングラスを掛け、アバルト595を、イタリアン腕時計スクーデリアをはめて流している。
となりには、また新たな女を乗せて。

出会いは、共通の知人の麻布十番のマンションでのホームパーティー。
パーティー中は話す機会が無かったが、タイトなスカートをはき、決して派手ではないが、スポーティーで色気のある魅惑的な女が気になっていた。
二次会の立ち飲みバーで、常連らしき外国人も交え、別々のグループで談話していた。
その魅惑的な女とは、時折、目線があった。

どうやら、向うも俺のことを意識しているようだな。

と読んで、構わず、話しかけてみた。
彼女は、大手の広告代理店勤務で、彼女もパーティのあったマンションの住民だ。夜遅く開いている近所のこのバーの常連らしい。

勤務疲れもあろうから遠出は避けて、都内のドライブに誘った。

駆り出すのは、アバルト595コンペチオーネ。
スポーツカーの刺激的な要素を詰め込んだ、指折り数えるほどの楽しいホットハッチだ。
コンパクトで日常使いでも高揚感を得らえるので、こいつを足車にするスーパーカーオーナーが多いのも頷ける。現に俺もだ。
街中の速度域でも響き渡るエキゾーストノートがあまりに快音だから、信号で止まるのもMTシフトダウンで楽しく思うほどだ。
慣れも必要だが、シートが硬いのと、背もたれの調整がダイヤル式なのだが、ドアを開けないと難しい位置にある。

なにしろコンパクトカーだ。足元も狭い事もあり、ウナギの寝床のような印象を持たれかねない。 助手席シートは予め若干下げておいた。

そなんヤル気満々のカフェレーサーのアバルトにマッチする時計が、同じくイタリアンのCTスクーデリアだ。類まれなポップでレーシーなストップウォッチスタイルが目を引く。
このブランド創業の時計職人は、元プロのバイクレーサーだと言う。
2ケタ台とリーズナブルで、カッコいいから何本か持っている。

麻布十番のマンションで彼女を迎え、天現寺から首都高にあがり、いつものように快音を轟かせて飛ばした。
芝公園方面から浜松町の銀座方面への左下りカーブは鬼門だ。
ハンドルから近く操作しやすいマニュアルシフトレバーを小刻みに5から3速にシフトダウンした。少しスピード乗り過ぎたか、挙動が乱れ傾いたが、アクセルを抜き安定させ、クリアした。
やはりFFのショートホイールだとトルクステアが出やすいのだろうか。

いきなりのスリルを彼女に提供してしまったな。
彼女に行き先は告げていない。実は考えていなかった。

広告代理店勤務だし、洒落たレストランなんかは、行き慣れているだろうから、、、さてどこに。
そうだ、江戸前に行こう。 
駒形で首都高を降り、下町、本所の狭い裏道にあるうなぎ屋に向かった。

暖簾をくぐると、予約していなかったこともあり
“時間かかるけど、いいかい?” 亭主が尋ねてきた。
もちろんの意で、俺は黙ってさっと右手を挙げ、奥のいつもの席に座った。
そのまくしあげるような云い調子に、少し彼女がとまどう感じだったので、
“蒸し焼きも挟むから待たせるが、それだけの事はある自慢の旨さだ” という最上級のいらっしゃい、なのだと補足した。

初デートだが、運転中はほとんど話してなかった。

ここまであっという間のジェットコースターだったわね。

麻布十番から来ると、時代も一緒に江戸に下ってきた気分になる。

「江戸前」と聞いて、江戸前寿司が頭に浮かぶが、もとは「江戸前」だけで鰻の蒲焼を指したらしい。
背開きで頭を取って、白焼きにて蒸しあげてから、タレをつけながら焼くという、江戸流のうなぎ調理が庶民に大ウケで、「江戸前」がこれを指すようになった。

背開きにするのは、江戸には武士が多く腹開きは切腹を連想させ敬遠されたからだ。逆に大阪は、商人の街だったので、”腹を割って話す” にかけて腹開きなのだとか。
関西風は、蒸しがない分、脂に負けないトロっとしたタレだが、江戸前風では、甘くないあっさりしたタレが特徴だ。

江戸時代には、浅草川・深川辺りで大量に鰻が獲れたと。 江戸以外で獲れた鰻は、旅うなぎと呼ばれ、
『丑の日に籠でのり込む旅うなぎ』
なんて川柳も詠まれた。

期待通りに、いや、今日は特に美味く感じた鰻をたいらげた。

うなぎで精気が出るのはいいが、匂いも付く。
そう言えば、江戸の風呂屋は混浴だったと、わざとらしく小話も加えた。

そうね、湯船につかって髪も流したいわ。
彼女はその長い髪をかき上げながら、意図を汲んだようかのように答えた。

イタリアから来たサソリの籠で、錦糸町の路地裏にある”せんとう”に乗り入れた。
時計の針がウナギ登りのように巻き上がって行った。

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