向いていないかもしれない

久しぶりに人と付き合っている

そしてわたしは恋愛に向いていないかもしれない


『付き合う』『恋人』『彼氏』『彼女』
これらの言葉に対して、各々が、それはそれはバラバラな期待を含ませている
自分の力が100パーセント及びきらないことに期待をするのは怖いことだ
相手の気持ちや2人の将来に期待をして、何か良いことはあるのだろうか
わたしは、『相手とつながっている幸せな今』を受け取って、崩れないように積み重ねていくことで手一杯である
逆に言えば、わたしはそれだけで充分に幸せだ

それから、それらの言葉は、まるで甘くて欠けるところのない完全なもののように聞こえる
これは良くない
夢見がち故、中途半端なものを拒否する力がよく働くのだと思う

***
それから、これは恋人に限らないことだが、
人間同士の関わりの中には、
①感情同士が出会って波が起こる
②波の余波をうける
③自分の中に新しい感情が生まれる
というリズムがあるように思う

そして、このリズムの中で自分の気持ちを処理していかなければ、
処理しきれない分が溢れて自分のコントロールが効かなくなってくる

わたしは②から③への橋渡しに長く時間がかかる
ほとんど毎日、自分の中に名も無い感情が渦巻いている
この負担は決して軽いものではない
一応『名も無い感情の一時保管場所』もあるのだが、かなり手狭だ
忙しさに飲み込まれると、一時保管場所はあっという間に満タンとなり未処理の感情が溢れてしまう
そして泣く、理由もよく分からずに

処理を他の人に手伝ってもらうこともあまり得意ではない
『あなたはこういうことで悩んでいるんじゃない?』と言われても、あまりぴんとこないことが多い
結局は全部自分でやらなければ処理は進んでいかないのだ

そのため、溢れそうな感情を自分の手で処理するために、その相手との関わりを一度ストップしたくなってしまう
新たな波を起こして、これ以上未処理の感情を生まないためだ

友人関係であれば、しばらく距離を置いて連絡を取らずにいても何も不自然ではなく、
わたしはその間に、処理が間に合わずにこぼれてしまった感情を拾い集める時間がある

しかし恋人同士は、(少なくとも私の周りは)
どちらか片方の連絡が少なくなったら
もう片方は動揺する
(その結果、怒るか泣くか不安になるか、それはそれぞれに依るね)


世間は、恋人という存在に対して、
『自ら意識をして関係を創っていく相手』だと思っているような気がする
付け焼き刃の関係ではやっていけないような、人生の節目を共にするかもしれない者同士として、
互いに積極的に関係を創っていくことが求められている気がするのだ
ああ、重い

人間関係は積極的に創っていくものなのだろうか
例えば、仕事のプロジェクトやクラスの合唱コンクールなど、何か大きな目的があり、その目的を達成するためのチームとして、同じチームメンバーとの関係を積極的に創っていくというのはとてもよく分かる

でも恋人は?
関係を築いた先に何があるのだろう
この話の初めに戻るが、
恋人との関係構築の先には、抱えきれなくなった相手への期待、2人の将来への期待が見えてくるのではないだろうか
そして、その期待が叶わない間は、2人はどんな感情になるのだろう
わたしは処理をすることができるだろうか
正直怖い


みんなは毎日何を考えて人間をしているのかな〜
何かぽーんとこちらに向かって放ってみたい気持ちがあったらこっそり教えてください

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