GARO session works〔1〕~他アーティスト作品への客演、曲提供
◎リサーチ・リスト作成・文:高木龍太 / TAKAGI, ryuta
〔1:演奏参加作品〕
◆かまやつひろし『どうにかなるさ/かまやつひろし・アルバムNO.2』(FX-8014)
1971.7<Philips / Nippon Phonogram> ※6月発売とする資料もあり
*参加内容→ガロ(コーラス)/堀内護(アコースティック・ギター)/日高富明(アコースティック・ギター)
*参加曲→A③「パン屋のトム」/A④「お若いの」(※推定)/B②「脱走列車」(※推定)/B③「あなたのいる世界」(※推定)/B⑤「ベッドの舟で愛の海へ」/B⑥「四つ葉のクローバー(アルバム・ヴァージョン)」
*再発CD→PHCL-3019(1992.9.26)/PHCL-8066(1994.11.26)
【作品概要】
“ムッシュ”=かまやつひろしのスパイダース解散後、初のソロ・アルバム(通算3作目)。まだレコード・デビュー前だったガロがコーラス、およびアコースティック・ギターで参加しており、ガロにとってはこれが自らの単独作に先駆ける、記念すべき初のスタジオ・レコーディングとなった。かまやつは結成直後のガロのコーラスの魅力、音楽性の高さをいち早く評価したひとりで、71年から72年頃にかけては、彼らを自身のステージでバック・グループとしてもしばしば起用し、目をかけていた様子が窺えた。
プロデュースを手掛けたのはスパイダース時代からの付き合いとなる日本フォノグラム(フィリップス・レコード)の本城和治とかまやつ自身。ガロ以外の参加ミュージシャンは成毛しげる(G,Org,Piano)、つのだひろ(DS,Per)、加藤充(B / 元スパイダース)、原田実(Steel Guitar)、笠井紀美子(Vo)、井上堯之(G / PYG、元スパイダース)、大野克夫(Org / PYG、元スパイダース)、エディ・フォルトゥーノ(DS / 元スーナーズ)がジャケットに記されたメンバーで、編曲についてのクレジットはない。
全曲が山上路夫・作詞、かまやつひろし・作曲で統一されたアルバムだが、かまやつ自身の後年の発言を読むと前年4月にすでにシングルとして発売されていた表題曲「どうにかなるさ」で山上と組んだことが発端となり、本作の制作に繋がったようだ。
同曲はジャズと共にかまやつのルーツのひとつであったカントリー・タッチの作品であり、本作でもそれを引き継ぐように随所でスティール(ペダル・スティール)が活躍するなど、カントリー的な要素はかなり目立つ。とはいえそれに特化したアルバムというわけではなく、サウンド・アプローチは楽曲によってトーキング・ブルース風、かまやつが好んでいたというブライアン・オーガーあたりを思わすオルガン主体のロック、ソフトロック、ラテン調と多岐にも渡っており、かまやつの当時の興味の広さも窺えるものとなっている。そして全編をソフィスティケイトされた、かまやつならではの独自のトーンが貫く。
【参加曲詳細】
オリジナルLPのジャケット見開き部分に記載のデータによれば、本作のレコーディングは前述のシングル「どうにかなるさ」とそのB面曲「つめたい部屋のブルース」の2曲(ともに1970年1月録音。時期的に言ってこの2曲にガロの参加はない)を除き、ビクター・スタジオにて1971年3月12日から4月12日までの一ヵ月の間に断続的に行われたとのこと。具体的には<3月12, 16, 17, 19 , 22, 27日、4月3, 12日>の8日間が記されているが、ガロの3人がこの内どの日に参加したかについては、やはりいまとなっては大野も記憶にないとのことで、不明である。
参加内容についても、前述のジャケット見開きにはガロのグループ写真とともに“ガロ=コーラス、アコースティック・ギター”と添えられているだけで、これも具体的にどの曲にどう参加したのかは明記されていない。が、かまやつ、メンバー自身も度々各媒体で言及して来たように、本作ではまずB⑥のアコースティック・ギターとコーラスをガロが担当したことがはっきりしている。また堀内護、大野真澄の証言によれば、この曲のバッキングがガロとしての初レコーディングだった、とのことであり、つまり彼らの参加曲ではこれが一番目に作業が行われた、ということになるようだ。同曲でのギターのリード・パートは堀内による演奏とのこと。
問題はその他の楽曲についてだが、筆者は残念ながら堀内からは「(このアルバムでの)アコースティックとコーラスは自分たちのもの」というざっくりとした答えしか聞いていない(一曲ごとの細かい確認を取れていない)。大野にも少し訊ねてみたが、やはり長い年月もあり、細かい部分での記憶は薄い様子だった。そのため、以下の参加曲についての記述に関しては推測も混じる、不完全なものとなることをお詫びしたい。
ただコーラスに関しては、本作ではほかに該当するミュージシャンの参加はないということもあり、声質から判断してもコーラスの入っている曲のほぼすべて=具体的にはA③、A④、B②、B⑤にガロが参加しているとみて間違いないようだ(このほかの曲で聴けるコーラスはかまやつ自身のダビングによるもの)。
この内、大野がはっきりスタジオでの吹き込みを記憶している、と語ってくれたのはB⑤。同曲のフィーチュアリング・シンガーである、笠井紀美子との共演が印象に残っているようである。この曲とA③、B⑥の計3曲については、1975年にリリースされたかまやつの初ベストLP『ベスト・コレクション』(日本フォノグラム、20Y-11)のレーベル面でも“コーラス=ガロ”とクレジットがなされたことがある(ただしB⑥に関しては同ベスト盤ではシングル・ヴァージョンで収録。同ヴァージョンについては次項で詳述)。
特定がし辛いのは、演奏での参加曲に関して。というのも本作のジャケットでは、かまやつも“ギター”とクレジットされており、場合によってはかまやつ自身がアコースティックを弾いた曲というのもあったのでは、という疑問があるからである。具体的にはシンプルなストロークでの判別が難しい。そんな中で、響きからこれはまずガロのメンバーによるものでは、と感じられるのはB③。ここで聴ける“Moby Dick”なブルージィなギターのフレーズは、ガロが歌と演奏を担当したと思われる1971年の某CM曲にも酷似したものだ(→『GARO rare tracks』参照)。
全体に、ガロのコーラスや演奏については、これが初のレコーディング・セッションであったこともあってか、まだこなれていない部分もあるようだが、たとえばかまやつのソフィスティケイトされた音楽性が良くわかるA③にガロのハーモニーはよくマッチしているし、そこからは当時の両者の間にある種の“共通する薫り”があったようにも感じられる。当時のかまやつとの関係を知る上でも、なにより出発点となったレコーディング作品として、聴き逃せない一作だろう。
◆かまやつひろし「四つ葉のクローバー b/w喫茶店で聞いた会話」(FS-1226)
1971.11<Philips / Nippon Phonogram>
*参加内容→ガロ(コーラス)/堀内護(アコースティック・ギター)/日高富明(アコースティック・ギター)
*参加曲→A①「四つ葉のクローバー(※シングル・ヴァージョン)」
*収録CD→(未確認)
【作品概要】かまやつひろしの日本フォノグラムでの3枚目のソロ・シングル。A①は同年7 月発売の『どうにかなるさ/かまやつひろし・アルバムNO.2』(FX-8014)収録のアルバム・ヴァージョンと同一の演奏に、(おそらくは後から)ストリングスとドラムを追加録音したシングル用ヴァージョン(サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」と同じ手法だろう)。したがって、ここでもアコースティック・ギターとコーラスはガロによるものである。
【参加曲詳細】上記の通り、ガロによる演奏はアルバム・ヴァージョンと同じだが、ドラム(演奏者不明)が入ったことで、全体にグッとロックなテイストを増した仕上がりとなっている。また、アルバム版のタイムは3'43"だが、シングルでは3'22"(いずれもアナログ・ジャケット記載のタイム)と、尺もだいぶ違う。
アルバム収録時にはアレンジについてのクレジットはなかったが、ここでは編曲=かまやつひろしと記載(果たしてストリングスにまでタッチしたのかなど、疑問はあるが)。また、このシングル・ヴァージョンは1975年にリリースされたかまやつの初ベストLP『ベスト・コレクション』(20Y-11)にも収録されており、そのレーベル面ではコーラス=ガロというクレジットがされたことがある。
なお、B面の「喫茶店で聞いた会話」(やはり『どうにかなるさ/かまやつひろし・アルバムNO.2』収録曲/同一ヴァージョン)も同ベストLPに収録があり、同様にレーベル面で“コーラス=ガロ”という文字が見つけられるが、こちらにはガロのメンバーらしき声が入っているようには聴こえない。おそらく単純な誤表記だったと思われ、同曲にガロの関与はないはずである。
◆かまやつひろし=ティーブ釜萢『ファザー&マッド・サン(Father&Mad Son)』(FX-8026)
1972.1<Philips / Nippon Phonogram> ※1971.12とする資料もあり
*参加内容→ガロ(コーラス)
*参加曲→A①「悲しき願い」/A④「ファイアー&ウォーター」/B④「オブ・ザ・ピープル」
*再発CD→CHOPD-049(1997.4.15)
【作品概要】かまやつひろしが自身の仲間のロック・ミュージシャンたちと共に、実父のジャズ・シンガー、ティーブ釜萢と世代(ティーブはこの時60歳)とジャンルを越えて共演した貴重なアルバム。その仲間とは、成毛滋(G,Org)、つのだひろ(DS)、原田裕臣(DS)、山内テツ(B)、江藤勲(B)、ピピ柴田(柴田千歳。G)、ミッキー・カーチス(Background Vo)、加橋かつみ(Background Vo)、アラン・メリル(Vo)、そして、コーラスで参加したガロである。
プロデュースは日本フォノグラムの本城和治とかまやつ自身で、本城はピアノとコーラス(Background Voと表記)でセッションにも顔を出している。英語がネイティヴというティーブを交えてのアルバムだけに、すべて英語詞で統一。フリーやテン・イヤーズ・アフターなどの洋楽ロック・カヴァーも多く(かまやつ自身は父親に世代の異なる楽曲を歌わせてみたかったようだ)、全体に当時のブルース・ベースの、ブリティッシュ・ロック的色合いも目立つが、一方でティーブのアコースティック・ギターを伴奏にしたジャズ・スタンダードのラフなホーム・パーティ風のセッションがあったり、かまやつとアラン・メリル(作詞とある)の共作による、どことなくニューヨーク風の洒脱なポップ・ロックも4曲ありと、アプローチは様々だ。
レコーディングが行われたのはビクター・スタジオとあり、日時についてはジャケットでは明記されていないが、オリジナル盤に添付されていた渡辺勲(文化放送)による1971年10月25日付のライナーノーツを読む限りでは、すでに作業はその執筆時点で完了していた模様。また、かまやつの前作『どうにかなるさ/かまやつひろし・アルバムNO.2』の発売直後の雑誌インタビュー記事では、すでに年末に親子共演作をリリースするプランが固まっているということが文中にて触れられてもいる。これらから推察すると、おそらくは1971年の夏以降、秋にかけての録音であり、つまりガロがレコード・デビューする直前のセッションだったと考えられそうだ。
なお、タイトルの“ファザー”は当時のオリジナル・アナログ盤での表記(帯、歌詞カード、レーベル面共通)。1997年にインディーズのヴィヴィド・サウンドが出した再発CDでは『ファーザー&マッド・サン』となっている。
【参加曲詳細】ガロはこのアルバムで3曲のコーラス(Background Voと表記)を担当。ニーナ・シモン/アニマルズのカヴァーA①、フリーのカヴァーA④、そして、かまやつとアラン・メリルの共作曲であるB④に参加している。
これらのコーラスはガロ単独ではなく、A①ではかまやつ、本城と、A④ではかまやつと、B④では本城と組んでの4声、5声となっているのが珍しい。また、ここで聴かれるそれらのコーラスがいずれもどことなく黒っぽい、ゴスペル的なテイストが感じられるものというのも注目だ。ひょっとするとそれはかまやつサイドからのアイデアだったのかもしれないが、いずれにしてもこうしたアプローチのコーラスはガロ本体のアルバムでは目立っては聴かれなかったもので、興味深いものがある。“ガロ=CS&N”という固定したイメージだけではない、彼らが“ヴォーカル・グループ”としても多くの可能性を秘めていたことが感じられるセッション・ワークだ。
発売後の1972年3月20日には六本木・俳優座劇場にて、かまやつ親子の共演による「親子のおかしなリサイタル」が開催。ゲストとして井上堯之とそのグループ、森山良子(かまやつの呼び込みによる飛び入り)と共にガロも出演しており、その貴重な映像はいまも現存している。
余談ながら、レコード上でのかまやつ親子の共演は本作以外にも、かまやつのアルバム『ムッシュー/かまやつひろしの世界』(1970年)、『スタジオ・ムッシュ』(1979年)などでも聴くことが可能。
◆ジュニー・ラッシュ「トゥゲザー b/w シーズ・マイ・レディ」(CD-147-Z)
1972.1<Mushroom=Denon / Nippon Columbia>
*参加内容→日高富明(アコースティック・ギター、コーラス)
*参加曲→B①「シーズ・マイ・レディ」
*収録CD→なし(未CD化)
【作品概要】元〈ザ・ヘルプフル・ソウル〉、そして当時は〈トゥー・マッチ〉のヴォーカリストとしてニューロック・シーンで活躍していたヴォーカリスト、ジュニー・ラッシュ(ジュニオ・ナカハラ)の唯一のソロ・シングル。ガロと同じマッシュルーム・レーベルの作品であり、プロデュースもミッキー・カーチスによるもの。両面ともジュニーが作詞・作曲した自作曲(英詞)で、B面に収められた「シーズ・マイ・レディ」の方に日高富明がアコースティック・ギターとコーラスで参加している。
同曲についてはシングル盤のジャケットには演奏者クレジットが一切なかったが、その後1972年3月発売のマッシュルームのショーケース的なコンピレーション・アルバム『マッシュルーム VOL 1』(CD-7029-Z)に再収録された際、添付の歌詞カードに演奏メンバーが記載されており、こちらで日高の参加も確認することができた。
参考までに記しておくと、ジュニー(Vo)/アラン・メリル(B)/原田裕臣(DS)/大野克夫(Piano)/日高(AG)/小川ツトム(トゥー・マッチの小川勉。EG)/ミッキー・カーチス、日高(Cho)というのが、そのメンツである。残念ながらA面曲「トゥゲザー」の方は同コンピには未収録のため、演奏者は不明。
【参加曲詳細】「シーズ・マイ・レディ」はザ・バンドあたりにも通じるフィーリングを持つ、味わい深いスロー・バラード。ミッキーと日高によるコーラスは(『ファザー&マッド・サン』と同様)黒っぽい、ゴスペル・テイストを感じさせるものとなっている。
なお、このソロ・シングルに先駆ける1971年7月にワーナーパイオニアから発売されたトゥー・マッチ(レーベル面での表記はジュニ&トゥー・マッチ)の唯一のアルバム『トゥー・マッチ』(L-6008A)にもガロが参加、とする情報も一部で見かけるが、アルバムにはクレジットはなく、大野真澄によれば“記憶がない”とのことで、こちらの真偽は不明(おそらくは誤情報と思われる)。
ただしトゥー・マッチとの間に接点があったこと自体は事実ではあり、結成当初のガロは彼らと日比谷野音のロック・コンサートなどでしばしば一緒になることがあったし、大野個人ではさらにそれ以前、ガロ結成前からトゥー・マッチの面々とは共演や面識があったようである(『How They Became GARO』第9回参照)。
◆シローとブレッド&バター『ムーンライト』(MR-5012)
1972.3.10<Polydor>
*参加内容→堀内護(アコースティック・ギター ※堀内麻九名義)
*参加曲→A④「雲」
*再発CD→H25P 20312(1989.2.25)/PROA-107(2007.6.8)/UPCY-6761(2013.10.9)
【作品概要】ガロと同時期に活動し、CS&N的な3声のハーモニー、ということで比較されることが多かったユニットの、唯一のアルバム。プロデュースは渡辺音楽出版のスタッフだった木崎賢治で、先行シングルだった「野生の馬」の別ヴァージョンを含む全11曲。A④に堀内護が“堀内麻九”名義で、アコースティック・ギターで参加している。堀内自身は本作参加の経緯についてはよく憶えていない様子だったが、両グループは1971年頃の日比谷野音などのオムニバス・コンサートでは出演者同士となる機会も多く、メンバー間の面識、多少の交流もあったようである。
【参加曲詳細】このA④ではブレッド&バターの岩沢兄弟(幸矢、二弓)もそれぞれアコースティック・ギターを弾いているため、どこまで堀内が関与したのかはっきりとしたことは言えないが、おそらくは曲中盤で登場するギター・ソロが、その特徴的なトーンからして堀内によるものだと思われる。7分7秒という長尺曲で、いわゆるアメリカン・テイストという点ではガロ以上の、西海岸的な空気を強く感じさせる、アシッドなフォーク・チューン。
なお、同曲には偶然ながら、のちにガロ後期のバック・バンドのドラマーとなる金沢ジュン(本作ジャケットでの表記は金沢淳。ほかに金沢純、金沢純一などの表記もあり。元グレープ・ジュース、エモーション)がタブラで参加とのクレジットも見つけられる。金沢もまた、西海岸ロックのファンであることを当時公言していたミュージシャンのひとりだった。
◆ミッキー・カーティス『耳(The First Ear)』(FX-8602)
1972.4<Vertigo / NipponPhonogram> ※ヴァーティゴ・レーベルのプロモ盤では3.25とあり
*参加内容→日高富明(アコースティック・ギター)
*参加曲→A②「また陽がおちる」/A⑤「モージョの世界」
*再発CD→PCD-1581(1998.3.25 ※ボーナス曲収録)/UPCY-6347(2007.3.14)※配信あり
【作品概要】1970年代初期の日本のロック・シーンの顔役のひとりであり、また《マッシュルーム・レコード》の創設に深く関わり、当時、ガロをはじめとする同レーベルの多くの作品のプロデュースも手掛けていた、ミッキー・カーティス(カーチス)。
本作はちょうどそんな時期にリリースされたもので、それまで率いていた自身のバンド〈サムライ〉を解散後、彼が初めて制作したソロ・アルバムである(キャリアを通じ、バンドの名を並列しない個人名義としてはこれが2作目)。このアルバムにガロから日高富明が参加、A②、A⑤の2曲でアコースティック・ギターの演奏を披露している。
プロデュースはミッキー自身と日本フォノグラムの本城和治。レコーディング作業はクレジットによれば1971年10月から1972年の1月にかけて行われており、時期的にちょうど、ミッキーが同時進行でプロデュースを手掛けたマッシュルーム第一弾アーティストのデビュー・アルバム群(小坂忠『ありがとう』71年10月、ガロ『GARO』11月、成田賢『眠りからさめて』11月)が世に送り出された前後。つまり、おそらくは”ひと仕事”終えたあたりのタイミングで録られたものだったことが想像される。
エンジニアはそのガロなどのマッシュルーム作品でも手腕を振るった吉沢典夫(黒田典夫)が担当。演奏メンバーも日高、細野晴臣(B)、アラン・メリル(AG, etc)、原田祐臣(元サムライ/DS, etc)、大野克夫(Piano, Steel Guitar, etc)、ピピ柴田(柴田ピピと表記/G)、マイク真木(Appalachian Dulcimer,Esraj)ほか、やはりマッシュルーム系の作品で活躍したミュージシャンを中心にミッキーの交友関係が窺える面々が顔をそろえており、ある種、“もうひとつのマッシュルーム作品”的な見方もできるスタッフィングとなっている。
また、ミッキーといえばかまやつひろしと並び、六本木《キャンティ》あたりを遊び場に自由なスタンスを培った、洒脱なフィーリングを持つ粋人というイメージがあるが、本作は構成的にもそのかまやつのアルバム『どうにかなるさ/かまやつひろし・アルバムNO.2』との共通点があり、ほぼ全曲の作詞を山上路夫が手掛け(英語詞の1曲を除く)、ミッキー自身が全曲の作曲を担当するという統一された体制で作られている。そこからは当時、この界隈の人脈の中で山上という作詞家の存在がいかに大きかったか、ということも窺えそうだ(山上はこののち、ガロへの関与の度合いも高めて行く)。
そして、何よりも特筆すべきなのは、このアルバムがミッキーにとって現時点でおそらく唯一となる、“シンガー=ソングライター作品”、だという事実である。
すでにロカビリーでの歌手デビューの時点で自ら訳詞を手掛けていたり(川路美樹名義)、のちには他のシンガーへの楽曲提供まで行うなど、曲作りもそれなりに手掛けていたミッキーだが、意外なことに自らのアルバムにおいてはその割合は高くなく※、じつは全曲を自らの作曲で固めたアルバムというのも、本作以外には見当たらないのである。
全体を今様の言葉で無理やりひと口で説明するとなれば、アコースティックでメロディアスで、洗練された感触がありつつ、なんとも不思議な感覚を纏った、“アシッド・フォーク”的な作品、ということになるだろうか。ピラミッドやスフィンクス、アラビア風な女性の写真などがコラージュされたジャケットのアートワーク(Workshop Mu!)からも想起されるように、一風変わったセンスが薫るアルバムである。西部の決闘、侯爵夫人の恋、女海賊の生涯、と様々な奇譚が綴られる山上路夫のここでの詩世界もユニークで、たとえるなら“千夜一夜物語”を覗き見るような感覚。
ガロ、小坂忠から、キャロル、左とん平までと幅広くサウンド・プロデュースを手掛け、自身の音楽もカントリー、ロカビリー、ジャズからヘヴィ・ロックと大胆に変遷、そして歌手のみならず俳優、レーサー、落語家、と複数の顔も持ち・・・、常にヴァーサタイルな生き方を続けて来たミッキーだけに、何か一作のみに着目してもその全容は掴めないだろうが、それでもやはり唯一自作曲でまとめあげた本作は、その一筋縄では行かない人物を考える上で聴き逃せない一枚、ということになるように思う。
なお、ミッキーのアーティスト名はミッキー・“カーチス”という表記(ガロのレコードでのクレジットもカーチス)もよく親しまれていると思うが、ここでの表記は“カーティス”。70年代にアーティストとして出した作品ではカーティスと記されていることが多いようだ。英語表記の方も同様に“Mickey”Curtisではなく、ミッキーがサムライで海外遠征していた頃に使い始めたという“Miki”Curtisとなっている。
【参加曲詳細】そんな本作の中にあっても、日高の参加曲であるA⑤はとりわけアシッド・フォークという言葉に相応しい、不思議な薫りが満点な、幻想的な曲。もう一曲、日高が参加したA②はひと言でいえばカントリー・タッチの曲だが、こちらもどこかダルな雰囲気が漂う。両曲とも日高のギターはストロークに徹したもので、取り立てて派手なプレイが聴けるわけではないが、日高らしいトーンは感じられる。
ちなみにこのA②はミッキーがプロデュースを手掛け、1972年1月にリリースされたマッシュルームの企画アルバム『カントリー・パンプキン』(CD-7026-Z)のなかで寺本圭一の歌唱で取り上げられたのが初出。そちらでは一転、メリハリある軽快なカントリー・ロック調に仕上げられており、聴き比べるのも一興だろう(参加ミュージシャンは本作と同じく細野晴臣、柴田千歳、原田祐臣、大野克夫ほか)。
◆荒井由実「返事はいらない b/w 空と海の輝きに向けて」(LTP-2680)
1972.7.5<Liberty / Toshiba>
*参加内容→堀内護(アコースティック・ギター?)/日高富明(アコースティック・ギター?、エレクトリック・ギター?)
*参加曲→A①「返事はいらない(※シングル・ヴァージョン)」
*収録CD→『Yuming Singles 1972-1976』32XA-137(1987.3.25)/『YUMI ARAI 1972-1976』TOCT-25350(2004 .2.18)ほか ※配信あり
【作品概要】かまやつひろしプロデュースによる、“ユーミン”=荒井由実(現・松任谷由実)のデビュー・シングル。両面とものちのアルバム『ひこうき雲』(東芝 / エキスプレス、1973.11.20)収録のものとは異なる、シングル・ヴァージョンとなっている。原盤制作は村井邦彦のアルファが手掛け、東芝音工のリバティ・レーベルから発売された。
シングル盤のジャケット裏には“作詞・作曲・編曲・指揮・ピアノ・ハモンドオルガン・歌:荒井由実”とあるのみで、演奏メンバーについてはノン・クレジットだったが、A面の「返事はいらない」にガロのメンバーがギターで参加していることが後年、関係者によって語られてきている。
ユーミン自身、このセッションでのギタリストについては1970年代当時から何度か“ガロのトミー”だと語っていたことがあった(『ミュージック・ライフ』1974年5月号掲載インタビューなど)。
なお、B面の方は音を聴く限りピアノとストリングスが主体でギターも男性コーラスの類も入っておらず、堀内や日高が関与しているような気配は感じられない。
【参加曲詳細】この「返事はいらない」セッションの参加メンバーの顔触れ、また参加ミュージシャンによる担当パートについては、諸説あり。こちらの別枠コラムにて詳述する。
◆杉田二郎『アパートメント1109』(ETP-8197)
1972.10.5<Express / Toshiba>
*参加内容→日高富明(アコースティック/エレクトリック・ギター、コーラス)
*参加曲→A①「あの扉をあけて」/A②「君は眠る」/A③「人力ヒコーキのバラード」/A⑤「まわらない木馬」/B①「若いというだけで」/B②「ひとりになれば」/B④「春は寂しいネ」、B⑤「夕ぐれ時計」/B⑥「あるがままに」
*再発CD→TOCT-5787(1990.8.29)/TOCT-8852(1995.4.19)/UPCY-7277(2017.3.4 ※ボーナス曲収録)※配信あり
【作品概要】元・シューベルツ、ジローズの杉田二郎のファースト・ソロ・アルバム。当時、杉田とは意外に親しい交流を持っていたらしい日高富明が、本作ではなんと全11曲中9曲にギターで参加している。
その他のミュージシャンについても触れておくと、柳田ヒロ、石川鷹彦、吉川忠英、足立文男、原茂、高中正義、岡沢章、山内テツ、チト河内、大江俊幸、重実博など、ロック、フォークを股にかける顔ぶれが参加。作曲はすべて杉田自身によるもので、作詞は山川啓介、及川恒平、吉田拓郎、泉谷しげるなどが、弦アレンジは深町純、青木望が担当。プロデュースは杉田、柳田、橋場正敏(東芝)の3人が共同で手掛け、レコーディングは1972年6月11日から7月9日にかけて東芝のスタジオ、およびモウリ・スタジオでとクレジットされている(ガロのアルバム『GARO3』レコーディング開始前後の時期)。
ジローズ時代からアルバムにおいてはたとえば深町純、木田高介、クニ河内らと組んで意欲的なサウンドに取り組んでもいた杉田だが、ここではそうした面も感じさせつつ、よりシンプルでストレートな、骨太さを感じさせるフォーク・ロックを真摯に紡いでいる印象を受ける。
【参加曲詳細】日高はまずA①、A②、A③(シングル発売もされた)、A⑤、B①、B④、B⑤、B⑥でアコースティック・ギターをプレイ。加えてB⑤ではハーモニ-・ヴォーカルも担当している。アコースティックは主にリード・パートを弾いており、いつもながらの日高らしい力強い指さばきを味わうことができる。
そしてたった1曲のみだが、B②ではジャジィな、例えるなら日高もかなり好きだったというラヴィン・スプーンフルにも通じるような(私見では「つらい僕の心」あたり)、じつに洒落た、フィーリングたっぷりのエレクトリック・ギターを披露していて、これが本作での客演のハイライトなのではないだろうか。
日高といえば後年の活動から“ロック・ギター”の印象が強いかもしれないが、一方では元来、このようなジャズ的なセンスも随分、好んでいたという(『How They Became GARO』第5回参照)。これは杉田の楽曲自体がメジャー・セブンス系のコードを用いたものだったことに喚起されてのものだったのかもしれないが、なんであれ、こうした音色のギターはガロ本体の活動ではあまり聴くことができなかったものだ。それだけにこれは日高の隠れた素養が発露した、貴重なセッションと言えるのではないかと思う。
また本作には当時、杉田のステージでバックも務めていたオフコース(小田和正・鈴木康博)も8曲に参加しており、主にコーラスを担当しているが、特にこのB②では彼らの洗練されたハーモニーも上手く絡んでおり、全曲中でもひと際美しく響いている。日高とオフコースはこの頃、親しい交流を持っていたとも聞くが、後年の鈴木のメディア発言(坂崎幸之助のFM番組『K’s Transmission』など)によれば、そのきっかけとなったのが、まさに本作のレコーディングであったという。
アルバム発売直後の10月28日には、九段会館にて発売を記念したコンサート「杉田二郎リサイタル アパートメント1109」が開催。ガロ、オフコース、柳田ヒロもゲスト出演した。この日のコンサートの模様は同年11月5日の文化放送の番組『花のフォークタウン』(杉田自身がパーソナリティを務めた)にてライヴ音源がオンエアされているようである。
◆石間ヒデキ『ワン・デイ』(JDX-7010)
1973.5.25<Propeller / Nippon Columbia >
*参加内容→大野真澄(コーラス)
*参加曲→A①「We're Just Tryin' My Way」
*再発CD→COCA-15241(1998.6.20)/COCP-51049(2007.9.26)
【作品概要】元ビーバーズ~フラワー・トラベリン・バンド(FTB)のギタリスト、石間ヒデキ(石間秀樹/石間秀機)の、個人名義では唯一となるアルバム。大野真澄が1曲のみだが、A①にコーラスで参加している。
1曲を除き英語詞で、作曲はすべて石間自身。レコーディングにはFTBのメンバーだった和田ジョージ、後に石間とトランザムを結成するチト河内と篠原信彦、元ビーバーズの同僚だった成田賢、ビーバーズにとっては事務所の先輩でもあった大野克夫といった面々が参加している。
ギタリストのソロ作ということもあり、長尺曲やインストゥルメンタルも目立つが、その間に顔を出すヴォーカル主体のナンバーには意外に欧米のSSW的な、フォーキーでメロディアスなものも多く、ソングライターとしての石間の隠れた魅力(ビーバーズ時代には作詞・曲・編曲すべてを手掛けた「波うつ心」というポップな作品もある)にも触れることができる作品となっている。
【参加曲詳細】A①での大野のパートはほぼサビのワンフレーズを繰り返すのみ。だが、その個性的なハイトーンがいいアクセントとなっているようだ。
石間とガロのメンバーは『ヘアー』上演前後の時期からすでに親交があった模様。さらにガロは結成からデビュー前後の時期、内田裕也の肝入りで日比谷野音のロック・フェスティヴァルに頻繁に出演していたが、FTBとはそうした場所で一緒になることも多かった。当時の交友関係が見えてくるセッションのひとつだ。
◆ルウ『ルウ』(LQ-7004)
1976.4.25<Blow-Up / Nippon Columbia>
*参加内容→堀内護(アコースティック・ギター)
*参加曲→A④「五月のスケッチ」
*再発CD→COCP-38171(2013.8.28)※配信あり
【作品概要】のちにTENSAWを結成する鈴木享明(B)と田中聖一(DS)、1980年代にソロとして活動した高橋拓也(Vo,G)らが在籍した、横浜拠点のポップ・バンドの唯一のLP。A④に、堀内護がアコースティック・ギターで参加している(クレジットはアルファベット表記ではMamoru Horiuchi、漢字では堀内“譲”と誤表記)。
全曲のプロデュースとアレンジは当時、新進作曲家だった林哲司。林自身も数曲で楽曲提供を行っているが(堀内参加のA④も林の作品)、多くはメンバーの高橋拓也と山崎修による自作曲。残念ながらリリース当時のセールスは振るわなかったようだが、メロディはいずれも親しみやすく、メンバーも好んでいたらしいスティーリー・ダンや、時にブレッドあたりを思わせる、当時としては極めて洗練された演奏、ハーモニーが魅力の良作となっている。
【参加曲詳細】ルウのメンバーとは特に普段の交流はなかったようで、どういう経緯で参加したのか、堀内に聞いてもまったく憶えていない、ということだったが、ディレクターがガロも担当していた日本コロムビアの金子充孝であることと、さらにルウ自体がガロと同じ田辺エージェンシーの所属であった(ガロ解散後の大野真澄のステージのバックを務めたこともあるとのこと)ということで、おそらくその辺りの絡みから誘われたものと推測される。レコーディング日のデータの記載はないが、発売日から考えて、ガロ解散前後の時期のセッションだったようだ。
なお、これは偶然ではあるが、本作でエンジニアを務めたのは、のちに堀内のソロ作『マーク・ブライト』も手掛けることになる、松本裕(松本隆の実弟)。さらにジャケット写真も『マーク・ブライト』と同じ、フォトグラファーの佐野猛男(ジャケット仕事ではほかにルースターズのアルバム『THE ROOSTERS a GO-GO』なども)が撮影したものだ。
文中敬称略
主要参考文献(文中で触れたもの以外):
各レコード会社総目録、1970年代音楽誌、週刊誌、新聞各紙、『Hotwax』など
Special Thanks:大野真澄、堀内護、GARO FAN PAGE Members
©POPTRAKS! magazine / 高木龍太
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