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虹色の気持ちを包む世界に/LGBTQ+


「彼氏か、彼女はいるの? 私は、彼女がいるよ。」

オーストラリアで仲良くなったその友人は、私にそう言いました。その友人は女性。そして、私はハッとしました。

女性には、「彼氏いますか?」 男性には、「彼女いますか?」

私は当たり前のように、そう聞いていました。これまで、誰かに「生きづらさ」を与えていたかもしれない。そう気付かせてくれた彼女の問いかけでした。


昨年、セクシュアリティ診断をしてみて、自身がセクシュアルマイノリティー(少数派)であるということを知りました。恥ずかしながら、LGBTQ +の+の中に、こんなにも多くのセクシュアリティがあるなんて知らなかったのです。

自分のセクシュアリティを知ったことで、恋愛出来ない私が「男の人のことは全員男として見なきゃー。」とアドバイスされても、その感覚が全く分からないことに説明がつくようになりました。女の人を女の人として見ることも出来ない。生憎、私はそういう目を持ち合わせていないようです。


まだ日本は、そして世界のあらゆる国では、LGBTQ +の理解が低い。だからこそ、自身のマイノリティなセクシュアリティを伝えることを「カミングアウト」と言うのでしょう。

カミングアウトって、「ねぇ、あなたに、今から、伝えるね。驚くかもしれないけど、聞いてね。」そんな風に、慎重に、大きく深呼吸をして、心の準備をして、それでもまた迷って、どうにか勇気を振り絞って、言葉にする。そんなイメージです。


私が自身のセクシュアリティを知った時も、やはりそうでした。特に言う必要はないと言われればそうなのかもしれないけれど、やはり信頼できる友人には、知っておいて欲しいと思うんです。

私が友人のひとりに”カミングアウト”をした時、彼女は「そっかぁ。驚くことに、全然おどろいてないよ!あなたの全てを愛してあげて!」と、そう伝えてくれました。鼻水が止まらなくなるくらい泣いて、気持ちがスッキリしたことを覚えています。

もしこの時、彼女が私にくれた言葉が違っていたら?私のことを受け入れてくれていなかったら?きっと私は、まだまだずっと悩んで、自分を否定していただろうなと思います。誰かに受け入れられて初めて、私は私を肯定できるから。安心して、胸を張れる。


世の中には、否定だけしておきながら、好奇の目を向ける人だって多いのが現実です。理解して。とは言わない。だって、そんなの難しい。いや、不可能ですよね。

ただ、否定したり、抑えつけたり、傷つけたり、しないでほしい。

生まれ持ったものを否定されるって、どれだけ、生きづらいだろうって、想像してみてほしい。


私にとって、自身のセクシュアリティをnoteで発信することは、一種の挑戦でした。差別的な反応があったり、反対に全く反応がなかったら、発信することを続けるのは難しいなと思っていました。

結果、明日で私がnoteを始めて2ヶ月が経過するのですが、こうして発信を続けられています。予想を超える、嬉しい反応があったから。


やっぱり、自分にない感覚を理解するのってほんとうにむずかしくて。だから知りたくなっていろいろ本とか探してるんですが、イマイチどれを読んでいいかわからず。。ぽっぽさんが共感できるような本や記事があったら教えてほしいです🙇‍♂️

ともきちさんが、私の「デミセクシャルの恋愛」という記事に、こんなコメントをくれたんです。こちらを読んだ時、私は感動していまいました。初めて、セクシュアリティについての記事に興味を持ってくださった方です。

自分にない感覚を理解しようと、本まで探してくださっているんです。それが、”興味”であったとしても、”好奇”ではない。人は、”おもしろい”と思うと、もっと知りたくなる。この場合のおもしろいは、理解したいという「なるほど」であって、「ウケるー」ではないんですよね。その証拠に、こんな記事まで書いてくださいました。

時々、テレビで再現される、世界中のやさしさで起きる奇跡の物語は、こういうことから始まっていくのではないかと、本気でそう思いました。


そして、こんなコメントをもらったこともあります。

私はぽっぽさんのおかげでデミセクシュアルという言葉を知りました。恋愛感情をすぐに抱かないのでずっと悩んでいたんですけど、ぽっぽさんの記事にいつも励まされています。
本当にありがとうございます。

秘密組織Aさんが、残してくださったコメント。同じように、自分のことが分からなくて悩んでいる人がいるんだなと思い、発信したことが誰かの励ましになっていると知ることが出来て、私自身が励まされました。私の方こそ、感謝しています。伝えてくださって、ありがとうございます^^


カマたくさんは別の動画で、「「あなたはそうなのね」と理解するだけでもいいんじゃないかしら」…と言っておられたことがあります。わたしはゲイ、男性として男性が好きだけど、それを「カテゴリ」にするのでなくて、「あなたはそうなの」と言ってほしい、と続きます。(中略)世界が、いろんなカテゴリに区分けされる世の中であったか、とわたしに叩き込んだ事象でした。

アカネさんは、私の記事を読んでくださった上で、ご自身が体調を崩された時の経験から感じたことを書いてくださいました。個人を、個性を受け入れるって、セクシュアリティだけに特化したものではないですもんね。凄く、共感しました。アカネさん、いつもありがとうございます^^

カマたくさんは、ゲイバーの店員さんとして働きながらSNS発信をしている方です。アカネさんが、紹介記事にこのことを書いてくださったおかげで、私は私のセクシュアリティに対する根っこの部分にある思いに気付けました。


ひとり、ひとり、なんですよね。

カテゴリーではなくて。あなたと、わたしと。

虹の色は、なないろです。

けれど、赤とオレンジの間に、オレンジと黄色の間に、すべての色と色の間に、無数の色があるんだと思います。グラデーションのように。

だから、赤色にカテゴライズされているからと言って、みんなが同じ赤色ではない。オレンジに向かう赤色だってある。

そういった全てのひとつひとつの色が、交わり合って出来上がっているのが虹。きっと、そういうことなんじゃないかなって、思うんです。


唐突ですが、私は毎年元旦に書き初めをします。

習字を習ったことはないし、本格的なものではない。けれど、毎年必ずしているんです。社会人になってからの恒例行事です。

今年に至っては、もはやお絵描きになってしまいました。

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コロナで閉ざされている国境が開くことへの願い、人種や国籍も関係なく、LGBTや多様性が受け入れられる世界になればいいなという願いで書きました。描きました。(この画力を公開するの、本当は凄く恥ずかしい、、、)

でもね、どんな生き方があっても、いいと思うんです。私がそう言って欲しいからっていうのもあるんですけどね。

誰と生きても、誰とも生きなくても。

理解できなくても、共感しなくても。

ただ、目の前にいる相手の気持ちを、尊重する。それでいいんじゃないかなって、思うんです。

あなたの気持ちも、わたしの気持ちも含めて、虹色の気持ちが、それぞれの色を輝かすことが出来るといいな。 そんな風に、思っています。









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