優しさには旅をさせよ
周りの人が優しい。
それでいてサッパリしている。
それはもう最高なのです。
現在の職場に転職する際とにかく岡山からは出てみたいと思っていたけれど、明確に行きたい場所はありませんでした。
自分にとって住みやすそうな気候で決めてみようかなと本気で思った私は、梅雨がないとされる北海道に行くことも考えていました。「日本 梅雨のない地域」などと検索もしました。そんな感じで住む場所を決めようとしてたの?!と引かれることもありますが事実です。
湿度。私はこれが本当に本当に本当に苦手なんです。多くの方が好んではいないかもしれませんが、私の湿度に対するイヤイヤは相当だと思います。湿度は低くカラッとしている方がいい。気候も、人間も、唐揚げも。
しかし、梅雨のない地域で暮らしてみようかなと考え始めた矢先に仕事で挑戦してみたい分野が見えてきた私は、結局北海道へは行かず関西に引っ越してきました。
そして現在、仕事内容には未だ苦戦していますが、人間関係の湿度は皆無でございます。まだムシムシとした日が続く9月ですが、心はカラッと快適です。
いいのかな?こんなに周りの人に恵まれていていいのかな??と、問いたくなるくらいには、自分が身を置いている環境を有難く思っています。
近頃はそれを胸の内に留めることも難しく、「なんでこんなに優しい人ばかりなんですか??!優しい上にサッパリしていて、有難いです最高です!!」などと先輩に言わずにはいられない。
興奮気味な私に対して、「ぽっぽさんがそうやからやで。周りにそういう対応してるからそう扱われるねん。そういう人が寄ってくんねん。」と、クールに放つ先輩。
えええー!それはなんだか、とても、嬉しいな。
考えてみれば、昔の私は、あなたの為にしたのに!と思ってしまうことが頻繁にあって。頼まれたわけでもないのに勝手に遠慮したり不必要な先読みをして我慢したりして不貞腐れていました。
表ではヘラヘラ笑って裏ではシクシク泣いて。当時の私は梅雨もナメクジもびっくりのジメジメ人間だったかもしれないな。唐揚げだったら絶対美味しくなかったよ。
のに!のに!という感情を抱かなくなったのは、ちゃんと自分の心と身体の声を聴けるようになったから。自分の声を自分で把握・意識して大切にする内に、のにのに思うこともなくなった気がします。
例えるならば、アンパンマン。自分の身を削って相手のために何かすると、いつの間にか自分がヘロヘロになっちゃう。そうなると、のにのにが発動しちゃう。けれど、いつからか自分を保ちながらその時々で与えられる分だけを誰かに差し出すことができるようになったんだと思います。
そうすると不思議なことに、考え方が180度変わりました。自分が相手に対してすることは、今ではすべて、私がやりたくてやっていることなんだという考えになりました。考えというか、実際そうなんです。
迷惑にならないかしら、、と考えて行動が遅れることは相変わらずあるけれど、結果的に相手が喜んでくれたならそれはもう私の嬉しさになってしまうというこの世界の素晴らしさを知ってしまいました。
最近、優しさというものはかろやかだなと思えます。昔は誰かに何かをしてもらったら恩返しをしなくては!と思っていたし、相手に何かをしたことで反応が得られないとモヤっとしていました。
けれどこの湿度が低いカラッとした環境で過ごしていると、優しさはありがとうと受け取ることが出来たらそれで十分なんだな、優しさは相手に届けばそれだけで嬉しいんだな、と改めて思うことが出来ます。
そして、ワーキングホリデーで「恩送り」という考え方に出逢えたことは今の私に大きく影響しています。恩は必ずしもやって来た方向に戻さなくても、受け取った人が自由にどこへでも渡してしまっていい。風に乗るたんぽぽの綿毛のように、そういうかろやかなものな気がしていて。
カラッとした空気にサラッと吹く風に乗ってふわっと運ばれる優しさはかろやかです。綿毛が辿り着いた先でまた芽を出して黄色い花を咲かすように、優しさもいろんな場所へ旅をして、その先々でぽんぽんぽんっと咲くといいなあ。
優しさを解き放つことは、時に勇気が必要なこともあるけれど。きっと何処かへ辿り着いてちいさな花を咲かせるはずだから。
優しさには、壮大な旅をさせようと思います。
じっくり読んでいただけて、何か感じるものがあったのなら嬉しいです^^