マジョリティだって個人
住む場所を変えてみて数ヶ月。世の中の情勢的にも地理的な観点からも行動力がぐーんと上がりました。半年前、1年前の自分と比べると、活き活きとしています。それでも私は時々、ワーホリ時代の自分を思い出します。
ワーホリ時代の自分がどんな風だったかをひと言で表すなら、「のびのび」でしょう。
それはそれはのびのびと毎日を過ごしていました。もちろん大変なこともありました。ロックダウンのストレスでぎゅーっと心が縮こまる感覚もあったし、関わる人によっては自分自身が萎縮する時もありました。
それでも総じて、あんなにものびのび生きる感覚は、生まれてはじめて味わったように思います。なんでもない時にふと、私が全開だー!と思う時が何度もあった程。そのおかげさまなのか、縦にも横にものびのび育って帰国しました。身長、伸びたんですよね、2センチメートル。体重、増えたんですよね、5キログラム。のびのび。
私がメルボルンという街でのびのびと自分全開で生きられた理由はきっと、人種・文化・性的指向、あらゆることにおいて多様性に溢れていた環境に身を置いていたからだと思います。本当に、あらゆることです。例えば印象に残っているのは電車内での過ごし方。電話OKなので電話をする人はもちろんですが、スピーカーで音楽を流す人、自転車に跨ったままの人、ギター片手に路上ライヴならぬ車内ライヴを始める人。そして居合わせた人々が曲の終了とともに拍手を贈る。
地元で、「変わってるね。」のひと言を周りからよく言われていた理由は、あらゆることにおいて私の立場がマイノリティであったからなんだろうと思います。
例えば、恋愛について。これに関しては誰しもがいずれは結婚するという前提で会話が進みます。ある程度の年齢になっても恋愛経験のない私は稀な存在で、楽しそうにイジってくる人が多かったです。私のこと馬鹿にしてるんだなあと感じつつその冗談につき合い、恋愛する人はそんなに偉いのかとやさぐれていた時期もありました。
これで言うと、恋愛経験のある人がマジョリティで、恋愛経験のない人がマイノリティです。
マジョリティとマイノリティが出来上がってしまうのは仕方ありません。家庭、学校、会社、市町村、国、そして世界。それを一つの団体として捉えた時点で、その中にマジョリティとマイノリティが形成されます。
多数決というものがあるくらいなので、多数派の意見というものは何かと有利です。それがないと、団体として一つの方向に進めないことは確かです。
ただ、別にどちらかに決めなくてもいいことなんて、いくらでもあります。恋愛だって結婚だってそう。それはただ個人の意見で、個人が選択すること。どうしてその個人の選択を、対 団体として意見してしまうのでしょうか。
多様性を受け入れよう、という動きが広まっています。インターネットや本から、社会には、世界には、こういう性的指向を持った人がいるんだ、こういう障害のある人がいるんだ、などと知ることは出来ます。
しかし、それらを知る前に意識しなければならないことがあるのではないかと私は思っていて。それは、マジョリティである前に、マイノリティである前に、誰もが個人だということです。時々、マジョリティも個人で形成されているということが、忘れ去られているのではないかと感じます。
マジョリティ側がそれを意識していない場合、団体 対 個人(マジョリティ対マイノリティ)の考えをベースに持ったまま、多様性を理解しようとすることになります。でも、そうではなくて、これは個人 対 個人で考えなくてはならないものでは?と思うんです。
私だって知らないことばかりですが、なんだかしっくりこないのは、私たちとは違う人もいるんですよというスタンスで多様性を語られる時です。いやいや、そうではなくて。あなたと私の間にある違いや、あの人と私の間にある違いを尊重することが、多様性への理解なのでは?
だから、団体 対 個人という捉え方で、マジョリティがマイノリティを受け入れましょうね!というような考え方になっているようでは、根本的には変わらない気がします。マジョリティこそが、それはただの個人の意見だということを意識しなければ始まらないと思うのです。
「変わってるって、誰を基準に?」
私がよく変わっていると言われていたことを話すと、サラッとそう言った女性がいます。この街に来てから出逢った人です。
この質問に答えるなら、恐らくその基準は「誰」ではなく、「みんな」なのでしょう。即ちマジョリティです。
けれど、個人 対 個人 で考えれば、基準は「自分」と「相手」なので、そこに生まれるのは「違い」です。その違いを知ったところで、全く理解できないこともあります。理解出来なくてもいいから尊重しよう、というのが多様性を受け入れるということだと思います。
これはあくまでも現在の私の考えで、これからまた変わっていくかもしれません。これから知ることもまだまだあるはずです。ここで止まらないように、ずっと考えていたいなあと思います。
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