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天職なんて、風まかせ。



転職を繰り返す私に、天職なんて分かるわけがない。

…駄洒落になってしまった。現時点で着地点の目処はついていないけれど、転職を何度も経験した私が天職について書いてみようと思います。


一つのことをずっと続けられる人は凄いと思うんです。何かを追求し続ける人を羨ましくさえ思います。今のところ、私にはそれを出来た試しがないから。

天から授かる、天性に最も合った職業、天職。

私は天より風に任せるタイプだし、多重人格なのかと悩んだこともあるくらい自分の中にいくつもの人間が共存しています。しかもそれぞれが対極にいるような人間ばかりで。

人生という道を歩く、というよりも、「旅をするように生きる」というイメージを抱いています。だから正直、ずっと一つを同じ場所で、という生き方は私にはとても難しいのではないかと思うのです。


セーラームーンになりたかったんです。一番最初に夢見たのは、セーラームーンになることでした。職業で言うのならば、美少女戦士、でしょうか。その後は、歌手になりたくなって、具体的にモーニング娘。になりたいと思いました。その間にお花屋さんになりたいと思ったこともあります。美容師に憧れたり、保育士になりたいと考えたり、ウエディングプランナーを目指したりもしました。

だから、子供の頃からの夢を叶えた人、なんてことばを目や耳にすると、本当に驚くんです。子供の頃から同じ夢を抱き続けられるなんて、凄いなあって。


仕事に就くまでもコロコロと夢が変わった私は、社会人になっても転職を何度か繰り返してきました。現実を突きつける系の母親から、「好きなことを仕事にできる人なんてほんの一握りよ。」と散々言われて育ちましたが、私が社会人デビューの職業に選んだのは、好きな仕事でした。

結果的に言えば、好きだと思っていた仕事、かもしれません。それが接客業だったわけですが。人と接することと人に喜んでもらおうと何かを考えることが好きだからという理由で就いた仕事でしたが、そんなに良くない職場環境の中で完璧主義が過ぎ、適応障害になりました。ちなみにこの話はまったく暗い話ではなくて、そういう経験をしたよ、というお話です。

しなくても良かった経験かもしれません。けれど環境を変えたらそれは治って。そこからは、自分を俯瞰して見ることが出来るようになりました。そのライン超えたらダメだよって自分で自分に言える。あの頃のような動機を感じそうになったら、自分で分かります。

いまの私は、あの頃の自分がいたから。
だけど、もう私はあの頃の私ではありません。

好きなことや自分の長所を活かすことの出来る仕事が天職なのかと思えば、それも違ったりするんだなあと思った経験でした。例えば私が共感力の高さを活かせる仕事に就いたとして、自分の心が持たないことは目に見えています。


同級生が入社◯年目になり後輩を持つ頃、私は新たな会社で新人として仕事を覚え始めました。そして仕事に慣れ、周囲にも上司にも頼られ始めた頃に思うんです。

私は、この先ずっとここに居るの?ずっとこの仕事をするの?

ある程度の年月が過ぎれば、家族から、あなたもやっと今の会社に落ち着いたのねと言われ、私は疑問に思うのです。落ち着くとは?このままずっとこの会社、この仕事?

いや、落ち着いている場合ではないかもしれない。落ち着いた先の未来が怖くなって、動かずにはいられなくなります。同じ場所に居ることが苦痛にさえ感じてきてしまうのです。そんなタイミングで初めて海外旅行に行ったものだから、それをきっかけに仕事を辞めて海外で生活をしてみたり。


続ける人、追求する人、プロと呼ばれる人になるべきなんだと分かってはいました。世間は、社会は、それを求めているのではないでしょうか。

「何回か転職して30歳手前でしょ?俺なら採用しないけどね。」

ワーキングホリデーへ行く為に退職を申し出た時、当時の上司に言われたことば。日本に戻ってきたら就職できないよ、と散々言われました。

彼の話を要約すると、履歴書は志望動機をぎゅうぎゅうに、職歴は少なく余白を多くというのがベストなんだというような感じでした。それを言われたところで私の行きたい気持ちが静まることはなかったのですが、どんどん職歴ぎゅうぎゅうになっていく自分は、きっと社会不適合者なんだろうと自分でも思っていました。

でも、今は思いません。だって、彼の知っている、私の知っている社会なんて、世界の一部に過ぎません。社会になんて適合しなくたって、世界は広がっています。


ある日、「マルチ・ポテンシャライト」ということばを知りました。

興味関心の向くまま、次々と好きなことを仕事にしていく生き方。興味が多くて、飽きっぽくて器用貧乏、転職を繰り返す人。

その特徴を聞いた時、これはきっと私のことかもしれないと思いました。私はおそらくHSS型HSPですが、その気質を持つ人にこの働き方は向いているとも書かれてあって。確かに、このふたつの要素は殆ど被っているので納得です。

例えば、会社で仕事に慣れて、責任ある立場を任されるようになればお給料も上がる。けれど私はその手前でその仕事を辞めてしまうのです。そんなんじゃお先真っ暗だよと脅されようとも、社長直々に引き止められようとも。

次々と湧いてくる興味に対して動けなくなる状態になることが、きっと嫌なんだと思います。本能的に、どうしようもなく自由なのかもしれません。

知識とスキルを身につけ、それが身体に染み込んで自分のものになった人のことをプロと呼ぶのであれば、私はこれまでずっとアマプロ、もしくはセミプロでしかありません。

働くことが嫌いなのかと問われると、嫌いではないです。寧ろ好きだと思います。仕事を頑張る自分が好きだったりします。仕事で得る達成感はもちろん、時には仕事で落ち込むことさえスパイスのような要素。今日も仕事頑張ろう!今日は一日頑張った!と、自分で自分に声をかけることも多いです。


きっと、私に天職なんてものはないのかもしれません。あるとすれば、私はそれを風にまかせているから、風向きによって常々変わる気がします。

天職なんて、一つとも限らなければ、いつ出逢い判明するのかも人それぞれで、そもそもある人もない人もいるのではないかと思うんです。



最近は変わってきたと思うけれど、少し前の社会は、チャンスが一度っきりみたいで。こういう生き方しかできない私は、度々そんな社会の仕組みにふつふつと怒っていました。

「チャンスは一回だけです。」なんてことを言われたら、慎重にならざるを得ません。大胆にジャンプすることも出来ず、なんとなくピンときた!心が踊った!という直感さえ無視してしまうのではないでしょうか。

「チャンスは何度でもあります。」もしもそう言われたなら、一回くらいは思い切ってもいいかな、と思えるのではないかと思うんです。正解を探すよりも、もっと正直になれる気がします。

私は何度も失敗をしましたが、それらはもはや失敗という事実から姿を変え、逞しさの素となり、話のネタとしても重宝しています。時には笑いを取ることも出来れば、誰かの背中を押すことだって出来ちゃいます。失敗をネタにして強くなってきた私が、何度でもチャンスはあるよって、証明してみたいです。

これは烏滸がましくも経験者として伝えたいことですが、残念ながら、前述した私の当時の上司のように、あなたの挑戦を咎める人は多いです。彼らは彼らが信じる常識の中で生きていて、善意でも悪意でもそういうことを口にします。

でも、どうかそれを気にしないで欲しいなと思います。だって、あなたの挑戦を咎める人が、挑戦を辞めたあなたの人生において責任をとってくれる訳ではないから。私の経験上ですが、大抵の場合、挑戦を反対する他人は、あまり挑戦をしてこなかった人です。

仮に私があの時仕事を辞めることを辞めて海外に行っていなかったら、一生タラレバを言ってつまらないと感じる毎日を誰かのせいにして生きただろうと思います。しかし、ひとたび挑戦してしまえば責任は自分で取ることが出来るし、不思議と助けてくれる人が多くなります。責任って、自分で取る方がうんと楽です。


現在、私は新しい職場で働き始め、やっと仕事のリズムを覚えてきています。興味のあった分野の仕事だから、一日中パソコンに向かうことは時々しんどくても、学ぶこと自体は楽しくて。更に興味があちこち湧いてきて脳が追いつかず困っています。

しかしこの仕事が天職と言えるようになるのか、今の職場にずっといるのかも分りません。ひとたび風が吹けば、変わってしまうかもしれません。

私にとっての天職は、分りません。やはりないのかもしれません。ただ私は、その時目の前にある仕事に向き合うことだけは、辞めたくないです。

そしていつだって自分の興味が湧いたことを掬い上げてあげたいです。その興味が続かなかったとしても、もう落ち込みません。続けている人を羨んだりもしません。30年生きていると、あらゆることにおいて、人それぞれだということを心から感じます。

私にとって大切なのは、何か一つを極め続けることよりも、感じたときめきを通り過ぎないことです。そして、ときめき続けることです。

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