読まずに売った本の話

わたしの実家の本棚には、池波正太郎などの歴史小説が溜まっていた。
溜まっていたと過去形にしたのは、9冊のうち4冊ほどしか読めなかったから。

大学卒業時に、まとめて売ってしまった。
厳密には、自分で売った覚えがないので、
恐らく家族に要否を聞かれて
「もう、必要ない」と答えてしまった。

「きっと、読みたくなったらまた買うだろう」という表向きの理由で、歴史小説たちを手放した。

でも、読まないだけで手放してしまったことを、結局ずっと引きずっている。

たくさんの歴史小説は、亡くなった祖父から譲り受けたものだった。
譲ってもらったのは、私が高校に上がる頃。

中学校は、長期休みが部活動で埋まっていた。
その為、祖父母の家に行く機会が無かったのだが、
ようやく久方ぶりに祖父母の家へ顔を出しに行った冬。

会わない間に、源平や幕末を好きになっていた私は、
祖父の部屋の本棚に歴史小説があることに気づいた。

私が勝手に本棚を眺めていたら、
祖父が「もっとあるよ」と声をかけてくれた。
祖父と2人きりでまともに話すのは、実はこれが初めてで、
緊張で体が強張ったのを覚えている。

「もっとあるよ」と案内された先には『秘密の書庫』があった。

祖父母の家の玄関は縦長で、一風変わっていた。
ドアを開けて入ると、左側が靴を脱いで上がる廊下になって、
その廊下にリビングや階段が隣接している。

その縦長の玄関の左側ではなく、真っ直ぐ行くと、
物置のような天井の高い部屋があった。

縦長の玄関よりも少し幅はあるが、
左右に本棚が並んでおり、人とすれ違うには少し狭い。
脚立無しでは上まで手が届かないほど大きな本棚に挟まれて、胸が高鳴る。

物心ついて祖父母の家に何度か遊びに行き始めて10年以上経っているのに、
その書庫の存在を私は知らなかった。
(扉があることさえも知らなかった)

埃っぽいけれど、小さな電気が部屋を照らすと、
日の当たるように明るくなった書庫は、
夢のように居心地が良かった。

「好きなだけ持って帰っていいよ。もう読めないから」
そう言った祖父は、私を置いて、書庫を後にした。

読めないというのは、老眼により読むのも一苦労という意味なのか、
読み返す気がないだけなのか分からなかった。

真意が読めず、本当にもらっていいのかわからなくて、私は愛想笑いをした。
でも、持って帰っていいと言われてしまったら、数冊持ち帰らねば、祖父が私を案内してくれた時間を無駄にしてしまう。

読んでみたいけど…
本当に持って帰って祖父に嫌われないかな…
(父方の祖父なので)勝手にもらったら、お母さんに怒られるかな…

なんて困惑しながら、結局9冊ほど手に取った。
言葉は難しそうだけど、大人になっても読めば読み切れるだろうと思って。

結局、書庫に入ったのはその時が最初で最後だった。

次に行ったのは、大学生の頃。
祖父が亡くなって、祖母が施設に入り、遺品整理をするために赴いた。

父や叔父、従兄弟が真面目に遺品整理をしている中、
私だけ書庫に遊びに行くなんてできなくて、何もせず、呆然としていた。

その後。

冒頭で先述したように、
実家に残った歴史小説達は、全て売ってしまった。

祖父が亡くなるまで普通に読めていたのに、
以降、余計な思考が走って、読めなくなったから。
要は、小説としての意義がなくなって、手元に置く意味も無くなったから、売ってしまった。

書庫に入った時の高揚感や思い出まで捨ててしまったようで、
あの歴史小説達が今は古本屋に並んでいるかもしれないと思うと胸が苦しい。

でも、とにかく、読まれない人の元で眠っているよりも、
読む人の元へ行く方がマシだろうと思って売った。
読まない本を取っておいても仕方がないと思って売った。

今はもう気持ちが落ち着いたので、
古本屋であの歴史小説達のうちの一冊を、再び手に取っている。

そして、あの本たちは、どうしても売らなければならなかったのか、ふと振り返ってしまう。

他でもない『秘密の書庫』の本棚に眠っていた本たちを、私も最後まで読んでみたかった。
祖父が亡くなる前に読み切っておけば良かった。
そもそも売らずに取っておけばよかったのかもしれない。

物語は同じはず。
同じはずだけど、あの本棚に眠っていた子とは違うのだ。

小さな心残り。
後悔と呼ぶと重すぎるけれど、気にしてないとも言えない。
小さな心残り。

そんなんばっかりだ。

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