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文章を発表するということ


自分の頭で考えていることを、相手に伝わりやすいように、伝えるために事前に準備をするようになった。人前で話す前にChatGPTを相手にリハーサルをするようになった。

人から質問されると詰問されているみたいな気分になってしまう性質の持ち主の僕は、人格を持たないGPT-4からの質問になら冷静に答えることができる。

だから、GPT-4から返ってくる言葉は「想定され得る質問や感想」としてすべて答えておく。



と、まあ、こんなようなことを前にも書いたと思うのだが、書いたものを人に見えるかたちで発表したおぼえはないので、もう一度書いてみた。この文章を発表すればもう書かないと思う。僕にとって、文章は、誰かが見る可能性があるということが重要なのだ。実際に見られるかどうかではなく、見られる可能性があるというだけで十分。

実際に見られることを考えると、見られるための文章を書いてしまう。そうではなくて、自分のために書く。自分のために書くのだが、自分のために書いたその文章は誰かに見られることがつねに前提にある。それはまるでドストエフスキーの『地下室の手記』のように。


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