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戦争のできない国


戦争を題材にした舞台を観ました。東京夜光の舞台『fragment』という作品です。

扱っている題材がセンシティブなものであるので、こちらもそれなりに身構えて観ざるを得ませんでした。



観ているあいだに何度も頭をよぎったのが「日本は戦争のできない国になってしまった」という言葉。

これは、べつに劇中で発せられたセリフではありません。僕はこの言葉を別の場所で見聞きしたのです。この言葉は、新型コロナウイルスへの対応が後手にまわっている様子を受けて、誰かが批評的に述べていたものだと記憶しています。


対応が後手にまわるのはなにもこのときだけではありません。首相も違えば、政権を担う党も違いますが、福島第一原発事故発生時もまた、対応が後手にまわっていたのは同じでした。


このような「緊急事態」への対応、ひとつひとつを見ていても、「日本が戦争のできない国になってしまった」のは明白なことであるように感じられます。

しかし、同時に思うのです。「日本は簡単に戦争を始めてしまう」だろうと。

一見矛盾しているかのようですが、「戦争のできない国」が「簡単に戦争を始めてしまう」ことはおおいにあり得るでしょう。実際、現在の日本は、自国を防衛するために「簡単に戦争を始めてしまう」ことのできる状況をつくり出しているかのように察せられます。


日本は唯一の被爆国として、核廃絶のメッセージを国際社会に向けて発信し、平和のための対話を継続していく——平和のための対話の場に兵器は必要でしょうか。

必要ある、と言う人もいます。僕にもその言い分を理解することができます。ですが、そのように主張する人たちの多くは、戦争が始まってしまったときのことを十分に想定できていないのではないか、と思うことがあります。


そしてかれらは、そのような状況に際して以下のように述べるでしょう。

「戦争が起きてしまったことは遺憾であり、わが国にとっても想定外の事態だった。しかし、すでに起きてしまったものは起きてしまったものとして、しかるべく対処していかなければならない」

あらゆる対応は後手にまわり、「戦争のできない国」による戦争はこのようにして始まるかもしれません。


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