命の重み
戦争を題材にした舞台を観ました。東京夜光の舞台『fragment』という作品です。
シェルターに身を潜めていた若者たちのスマートフォンが一斉に鳴りだすシーンがありました(その様子は非常事態に託けた異常事態の始まりという感じで寒気がした。「テクノロジー、エグっ」というセリフがその感覚を象徴してくれていた)。
発信元は行政、自治体からでした。職員は真意のまるで解せない口調で、
「戦争がもう始まってしまったので、「お仕事」を依頼したい。そこ(シェルター)から出てきてわれわれに合流してほしい」
と告げます。
電話の声が言う「お仕事」とは何であるかを想像するのは難しいことではありません。シェルターの若者たちもその意味するところを即座に理解して「合流」しようとします。すなわち、大きな流れに合わさって戦争に加担しようとする者がマジョリティになるのです。
先刻まで「戦争反対」をコンセプトにしたショートムービーを制作していた若者たちが。「ストップ・ウォー」とカメラに向けて呼び掛けていた若者たちが。いよいよ現実的に戦争のさなかにいることを自覚した瞬間に戦争に加担し始めるのです。
(戦争反対という)思想よりも生き抜くことを重視する——死んだら終わりだ——生きるためにやむなく戦争に加担するのだ——という議論、説得のための言葉の数々が交わされるそのシーンを観ていてとても胸が痛みました。
もし自分があの場にいたとしたら、どのような立場をとり、そこからどのような言葉を選びとり、どのような発言をしているだろう、と考えると、ずたずたに切り裂かれるような思いになって深く傷つきました。
たぶん、思想に反してまで生きようとするときに、僕たちが口にする「思想」というのは単なる戯言に過ぎないのでしょう。しかし、命の重さというのは、ほかのなににもかえ難いものです。
しかしながら、命に「重み」を授けているのは揺るがない思想——なのではないでしょうか。
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