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Z世代がZ世代の教育係になって思うこと

後輩ができて後輩の教育係になった。後輩ができることは怖かったけどどこか嬉しくて、自分が先輩方にしていただいたようにできる限り育ててあげたいと思っている。
でも最近は、教育係という仕事に今までになく頭を悩ませている気がする。なぜそのような状況に陥っているのか考えてみたnote。

原因① 自身のスキルの問題(指導力)

指示だしやミスの指摘に慣れていない。
やってほしいことを指示出しする際にどこまで説明する必要があるのか迷う。説明しすぎると考える力がつかないと思う一方、ぶん投げると手戻りが増えたり事故る。またミスが起きた際起きた事象自体だけでなく、間違えた背景や仕事の考え方について総論を指導していないので似たようなミスが再発する。

原因② 自身のスキルの問題(判断力)

後輩が間違えていることが本当に間違えているか自信がなくて指摘が遅れたり、ミスをミスと指摘できなかったりする。この仕事はここまでにやるべきだと思っていても後輩の動きが悪い時に先回りしてフォローできず爆発する。気になっても言わなかったりする。(次の原因と重なる部分もある)

原因③ 自身の意識の問題

後輩に指摘したことが自分もできていなければと首が絞まる。事前に上司に期日をネゴっておくとか、やるべきタスクを毎日手を抜かずにやるとか、自分ができていない時もまだ全然あるのに偉そうに言うのは良心が痛む。

頭を悩ませている理由をまずは自責で3つ列挙した。
組織で働く上で人を育てられる能力は大事だと思うし、自身が成長・努力していくべきこととは認識する。
その上で今回のタイトルで書きたいことを書く。笑

原因④ 環境・時代 「Z世代がZ世代の教育係になって」

指摘したことがパワハラだと思われたり、怖い先輩認定が怖い。大前提後輩はとてもいい子だ。だが社会人としてはまだ成長が必要で、不足している部分については私が指導することもある。指導するとき、こちらが想定している「当たり前・普通」とあまりにも乖離があるとこちらの指摘も想定外が重なって余裕がなくなってしまう時がある。

Z世代は褒められて育ってきた子が多く、怒られた経験が少ない。それは私自身もそうだと思う。指摘すると過度に謝ってきたり萎縮してしまうように感じて、自分の指摘が適切な指導だったのか私自身がとても不安になる。先輩たちは懐が広く、いつも余裕があって優しく教えてくださっていたので、言葉のバリエーションや教え方のストックがほぼない。自分の経験がないものを後輩にするのはとても難しく感じる。これはパワハラにならないかと。
またZ世代は「やりたいこと」がある子が多い。「やりたい」意思がある分、「やりたくないこと」への拒絶反応が強い気がする。まだまだ若手の私たちは組織の中でやらなくてはいけない雑務が多い。雑務をきっちりと回せるようになることが「仕事のやり方」というスキルにつながったし、組織の中で僅かながらも円滑な組織運営という形で価値提供する時間になっていると今は思う。だが雑務はめんどくさいという気持ちもわかる。わかるのだが、雑務を教えるときの姿勢と案件を教える時の姿勢が異なる子にはもやもやしてしまう。案件は「やりたい仕事」で雑務は「やりたくない仕事」と考えているのではないかと。仕事を振った時に取りに来る速度が違うし、アウトプットの質も明らかに下がる。「どんな仕事でも仕事は仕事」ということ、「やりたくない」仕事が「やりたい」仕事の基礎になることを伝えたいのだが、今の私はまだなかなかうまく説明できない。
まあ、あとZ世代は「指示待ち・受け身・他責」とも評される。私はこの括りに入れられるのがすごく嫌だけど、他責にするのは良くないってとても思う。だからこのnoteも自責から始めた笑。

後輩ができたことで自分の仕事の受け方も見直すいい機会になったし、後輩指導という貴重な経験もできている。
あまり悩みすぎず、Z世代だけど、するべきことや目的は今も昔も変わらない部分もあると思うから。
もしアドバイスくださる方いらっしゃれば、ぜひコメント等いただけますと幸甚です。

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