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21歳の抱負:「外からみると日本のニュースの半分が違う」に答えをだすならば

21歳になってはじめてのnote。今年の抱負はすきなものをもっとすきになる。書くことが好き。読むことが好き。言葉はどんなときも私にとって大切なもの。今いちばん書きたいことを21歳のはじめの一歩に書いてみます。

「外からみると日本のニュースの半分が違う」

この言葉は自分が大学に入ったときに大学OBの方から頂いたアドバイスでした。新聞が好きで信頼していてよく読んでいた私はとてもびっくりしたのを覚えています。家に帰って使い始めたばかりのノートにこの言葉を書き留めて、頭から離れませんでした。

この言葉がすべての原動力となり、私の大学生活は動き始めました。高校まで海外にでたことがなかったけれど、大学受験で英語に苦労したけれど、この言葉の真偽を確かめるために海外に出ようと決めました。大学に提出する留学志望理由書にも奨学金の計画書にも「自分の目で海外を、海外メディアを直接見たい」この気持ちをめいっぱいに書いて、数々の困難をのりこえて未経験からの1年留学にこぎつけました。

2019年9月~イギリスの南ヨークシャーSheffieldに留学。
そして今2020年6月、私は日本に帰国して3か月がたちました。

「日本のニュースが半分違う?」に答えをだしてみた

帰国後、後輩に「日本と海外でメディアはどう違いましたか?」と聞かれました。就活のESで「自分の目で海外を直接見てどう思いましたか?」を書きました。実はずっとよくわからなかった。行っている間、イギリスのBBCや現地メディアを1年弱追い続けたのに、結局行っている最中はよくわからなかった。むしろ帰国間際はメディアの報道におびえている自分がいました。帰国後ニュース情報の検証を行う仕事をお手伝いするようになって、自分なりにひとつ答えをだしました。

「日本のメディアも海外のメディアもどのメディアも基本的にはおんなじ
「外からみると日本のニュースも海外のニュースも半分は違う」

です。どのメディアにも独自の社風、論調があります。社風、論調というとポジティブなイメージですが、裏からみれば「Bias、偏り」です。イギリスはその論調がメディアによって顕著に分かれていて、購読する新聞から何党を支持しているかわかるほど。文献引用の授業では新聞はバイアスがかかったものだとはっきり言われました。言われたときはネガティブなものとしてとらえていました。事実がバイアスでねじ曲がって伝わると。

日本でも高校のとき新聞6社読み比べをしてバイアスがあることは体感していましたが、わりと忘れていました。それが購読新聞を頭から信じて読むことになっていたのだと思います。

バイアスのかかるニュースと付き合う方法2つ

では、事実や編集にバイアスがかかる新聞やメディアの報道は悪でしょうか?マスコミはマスゴミでしょうか?見るに値しないものでしょうか?

いいえ。私は否定します。もし今、記者の人たちが取材をやめてしまったら、メディアが報道をやめてしまったら情報のインフラが止まります。わたしたちは世の中でおこるすべてのことを見に行くことは到底できません。大統領にはそうそう直接会えません。「自分の目で直接見たい」この気持ちは大切ですが、すべてを見届けることはできません。かわりに記者の人に見に行ってもらい、かわりに伝えてもらうしか私たちが世の中のことを知るすべはないのです。情報化社会においてビジネスでも社会情勢を知らないことはよくないです。

じゃあわたしたちは事実に報道のバイアスがかかるのをあきらめるしかないのでしょうか?報じられないニュースは知ることができないのでしょうか。

いいえ。今、私たちはパスポートとスマホという武器をもっています。もし事実と思えないニュースや情報にであったら、2つの方法があります。

1つは現場まで自分で見に行くこと。海外経験なくても飛行機に誰しも乗れます。昔よりずっとずっと気軽に海外に行けます。日本のパスポートは世界レベルでみても最強に色んな国にビザなしで行けます。(今は厳しいですが)自分の目で見た1次情報に他人のバイアスがかかることはありません。

もう1つの現実的な方法は多様なソースにあたってみること。偏ったニュースだと思ったら、反対の社風の記事を確認する、現地メディアの詳細な記事を読んでみること。私が留学で得たと思うスキルは英語で現地情報を取りに行くスキルです。気になる海外ニュースに出会ったとき自力で英語の現地メディアや機関のHPやSNSにアクセスして確認できるソースに幅ができました。メディアが「イギリスの対策はすごい!」と称賛していたらとりあえずイギリス政府の対策ページで実際の施策内容を確認するとか。

気づいたこと、そして21歳の抱負

メディアがオワコンというのは簡単です。でも他の代替え案がない限り私たちはこのグローバル化社会で情報を得るすべをシャットダウンすることに。批判も必要ですがメディアの力をかりながら、ときにはその裏をかいて自分に必要な情報に直接アクセスできる力、自分で検証しに行く力をつけていきたいです。新聞をのうのうと読むだけでそうそう簡単に事実は知れるものではなく、新聞は探索のきっかけをくれるだけ。世の中わからないこといっぱいです。

新聞で世の中のことが全部知れる!と思っていた高校生までのピュアな私に別れをつげ、事実をもとめて海外に爆進した20歳をこえて、情報を丸ごと信じるのではなく自分で検証し、広すぎて深すぎる世界を少しずつ理解する謙虚な努力ができる大人な21歳になりたいです。いっぱい大好きなnote書くぞ!






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