義務感と必要条件

先日「推し疲れ」という言葉がトレンドに入っていた。
ざっと該当記事に目を通すとどうやら「最初はそのコンテンツを純粋な気持ちで応援してたけど段々追うことが目的になった」という内容っぽい。


昔に応援してたコンテンツのことを思い出す。最初は好きであったはずなのにいつからか義務感に強く足を取られていた。
番組を見ないとTLの話題についていけない、新曲が出たら全形態買わなくてはいけない、情報解禁されたら喜ばないといけない、ライブを、グッズを……etc
純粋な好きより義務感が先行していた時期は長かった。
結局、今いる界隈(所謂邦ロックってやつ)に身を置き始めてからそのコンテンツに対する好きが枯れていることに気づき、そこから離れた。


同じものを好きでいて同じものを見ていても、他の人とは別のものとして映っている、と感じて悲しくなる時がたまにある、「私はこれが好きなのに他の人はそうじゃないんだ」と。
例えば曲や歌ではなく真っ先に顔を褒められている時とか、インタビューのどうでもいい文脈ばかりもてはやされている時とか、漫画や小説の大事なシーンが映像ではおざなりにされた時とか。
良い悪いの話ではなく自分の好きが無視されているような感覚がする。そして私も他の人に同じことをしていると思う。


「同じバンドが好きなら仲良くしましょう」みたいなことを言われ、少し引っかかったことがある。
正直私も使ったことあるセリフだし、共通の話題があることは人間関係において強いから間違ってはないと思う。
今なら分かるけど同じものが好きだからと言って同じものを見ているとは限らない、だから仲良くできるとは限らない、ということだと思う。

2022.12.9 追記
思ったより読んでもらえて嬉しいのでこのまま残しておきます 






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