毎日noteしているのに文書を再再再提出になった話

ぽぽみうむです。
半年近く、毎日note投稿を続けている私ですが、会社の週報のやり直しをほぼ1日中行っていました。
…そうです。私には文章力がなかったのです。

私はもともと、文章を書くのが好きです。
自分の考えを書いたりすることが楽しいと思うのです。
そんな訳で、自分には文章力がある、なんて錯覚していました。

しかし、約3週間前から会社のとある部署に仮配属されて、メールを出す機会が増えたり、ものすごく偉い人に書類を提出するようになりました。
工場実習の頃は、ものすごくゆるーいお兄さんとか、おじさんだったので、「たかが週報だし、1日当たり3行くらいだし、いけるっしょ」と思っていたのですが…。

「ここ直して」
「ここが変」
「この文章いらない」

指摘ラッシュ。やり直しラッシュ。提出しては訂正の嵐。
金曜日に出すはずの週報は、月曜の夕方になってやっと提出されることとなりました。

「井の中の蛙、大海を知らず」

今の私には、まさにこの言葉がお似合いです。
「文章?私の得意分野!いけるいける~」
なんて思っていた自分を殴りたいです。声に出さなかった自分を褒めたたえたいです。ありがとう。恥さらしにならずに済んだよ…。

落ち込む一方、アカデミックな文章、ビジネスの文章、そして、noteのような、自分の想いをつづる文章、それぞれの使い分けができていなかっただけなのではなかろうか、とも思っています。

週報を提出したとき、上司に、「主語、述語が抜けている」と何度も指導されました。
読み返してみると、確かに、文脈からは推測されても、初見の人からしたら、「ん?」となる部分がたくさんありました。
他にも、学んだことや気付きを書いたはずが、小学生の感想文になっていたり…。

私が主に書くような日常をつづった文章は、なんでもありです。
体言止めだったり倒置法だったり、訳の分からない比喩だったり。
話し言葉で書いたって、だれも文句を言いません。
自分の言葉で、自分のその時の気持ちを綴る、そして、誰かにちょっとだけ共感してもらう、それだけの文章です。

しかし、ビジネスの現場においては、「共感」ではなく、「情報伝達」がキーなのだと痛感しました。
週報は、ただのメモなのではなく、自分が何を学んだのか、何に気付いたのか、上司に報告するための書類なのだと気付きました。

私が主に使用している、noteやTwitter、Instagram、LINEには、目上の人なんていません。お手軽に、自分の気持ちや意思を相手に短文で伝える。それだけです。
ほんの少しの文章で、ある程度の意思疎通が可能となってしまった結果、
「私はだれに向けて文章を書くのだろうか」
「私は何を伝えたいのか」
という質問に答えられなくなってしまいました。

この週報やり直し事件がきっかけで、私は「文章」という世界の奥深さを知りました。
正解はないものの、最低限のタブーはある。さらにTPOがある。マナーがある。句読点の位置一つとっても、改行するかしないかでも、文章の印象はがらりと変わります。

スポーツのように勝ち負けがなくて、表現力と最低限の技術力が試される世界なのだと思いました。

一つひとつの言葉に、文字に、記号に、魂を宿らせる。
読んでくれる人の目線になって読み返してみる。
それでも失敗して、ちょっとだけ凹んで、また頑張る。こんなことの繰り返しです。

そしてこんな日々を繰り返していくうちに、
「あれ?私ってこーんなひどい文章書いてたのか…」
と笑い飛ばせる日を迎えられたらいいな、と思います。

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