わたしがいじめについて話した理由

ぽぽみうむです。
私は、三月に入ってから、自分が過去に受けた人間関係の苦悩についてnoteにつづっていきました。
なぜ、この時期に公開しだしたのか、理由をお話して、昔話に区切りをつけようと思います。

一番の理由は、「誰かを助けたいから」です。
まったく希望を持てなかったにも関わらず、私が死ななかったのは、単純に死ぬ勇気もなかったからです。何度も何度も、「死にたい」と思いました。私が死ぬことで、周りの人間を間接的に人殺しにしたいとも思いました。でも、死ぬ勇気はありませんでした。

今となっては、周りの人のお陰で死にたいとも思わないのですが、この世にはたくさんの自殺志望者がいると思っています。
実際に、3月は自殺者が増加すると聞きました。私は、少しでも、思いとどまる人が増えて欲しい、そう思って投稿し始めました。

クラス中から除け者扱いを受けた人間が、9年後には多くの人に愛されるようになったと聞いたら、ちょっとだけ希望を持ってくれるかな?なんて思いました。少なくとも、私は9年前の出来事を受け入れられるようになりました。

私は、運よく、クラス替えとか、みんなが精神的に大人になったお陰で多少はいじめが収まりました。でも、中には大人になってもいじめがあったり、環境が変わるチャンスを得られなかったりする人だってたくさんいると思います。そういった方に対しては、私は希望を与えられないと思います。

でも、何も行動しないよりはマシかなあ、と考えました。少しでも、誰かの心に響くかもしれない、そう願って振り返って来ました。
いじめられっ子だった方には、「同じ思いをしていた人間がいたんだ、こいつはこうやっていじめと向き合っているんだ」という共感と発見につながってくれたら。
いじめっ子だった方には、「いじめ」という姑息な手段を使わずに自分の意思表示をする方法を考えるきっかけになってくれたら。
傍観者だった方には、「本当はこう思っていたんだ」ということを知ってくれたら、そして自分には今後何ができるか考えてみてくれたら。
そう思ってくれたらいいな、と思って書いてきました。

また、これは、私自身のためでもあります。
自分を支えてくれた人への恩を忘れないためでもあり、私の嫌な部分を晒すことで最大のリハビリになると思ったからです。実際、私は、公開したことで、自分らしく生きられる気がしています。

少し前の私は、よく「なんでそんなにネガティブなの?」とか、「自己評価低いね」と言われました。その度に、自分のパーソナリティが形成された理由をごまかしてきました。

でも、ごまかしながら生きたところで、何も利益にならないと思いました。どうせ、不自然さでばれるだろうな、とか思いましたし、(公表前から察されていたのかは怖くて聞けていないけど)自分を受け入れないことには他の方との人間関係も築けないだろう、と思いました。自分にも、周りの人にも誠実でい続けたいと思い、このようなことをしました。

最後に、いじめをしていた人、いじめようとしている人、これはいじめじゃないと言い聞かせている人。
少しの行いで簡単に人間の人生を狂わせることができるということを忘れないでください。そんなに人生を狂わせたいなら、今から9年間、常にマイナス思考でい続けてください。幸せになる権利はない、と自分に言い聞かせ続けてください。それができないなら、人を傷つけるな。

そして、現在いじめに悩んでいる人、少なくとも、私は味方です。「今幸せだからそう言えるんだ」と思うかもしれません。でも、生きていれば、絶対幸せになれます。信じられないなら、少なくとも私が幸せにします。

そんな訳で、過去の清算はこんなもんにしようと思います。
まあ、リハビリは一生続くと思うので、何とも言えませんし、今後も、いじめを題材にしたnoteを書くと思います。
この世にいじめがある限り、少しでも、誰かが「もう1日だけ生きよう」「人に優しくなろう」と思うきっかけづくりをしていきたいです。





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