【後編】『ヒト』を尊重してつくる、質の高い教育環境~千葉県袖ケ浦市・前沢幸雄さん、松井恭子さん
袖ケ浦市の子どもたちが取り組む探究的な学び。前編ではそれがもたらす「生きる力」について語り合うことができました。
後編ではさらに、子どもたちの豊かな学習環境を実現するために、まち全体でどのようなシステムがとられているのかという点をお聞きしていきました。
「システム」というと、やや無機質な響きもありますが、それを形づくっているのは、地域の一人ひとりの精力的な働き。学校司書と教職員の皆さんが職域を超えて連携し合う様子は、多くの自治体にとって参考となるはずです。
袖ケ浦市の大人たちが協働できているのは、読書による主体的な学びの価値や、子どもたちの可能性を信じているからこそ。インタビューを受けてくださったお二人が子どもについて語る際のまなざしの優しさが、それを物語っていました。
(前編はこちら)
小規模の自治体だからこそ構築できた図書ネットワーク
千葉 袖ケ浦市では、学ぶ力を育む拠点としての学校図書館を支援するため、独自の体制が構築されていますよね。
前沢 はい。「ヒト」「モノ」「情報」の3つがそれぞれネットワークをつくり、学校図書館をサポートしています。「ヒト」は学校司書や司書教諭の皆さんを中心とした、読書教育をより良くしていくための職員間のつながり。「モノ」は各校と公共図書館が相互に図書を融通し合える流通システムが代表的なものです。「情報」は、図書館のレファレンス共同データベースに登録していて、児童生徒の疑問に柔軟に答えられる仕組みがあります。
千葉 そうした体制はどのようにして整備されていったんでしょうか?
前沢 袖ケ浦は1991年に市制移行したんですが、その時に重点施策とて位置づけたのが読書教育だったんです。「一人でも多くの本好きな子供を育てること」「子供たちの自ら学ぶ力を育てること」を目標として、段階的に仕組みを整えていきました。大きな弾みとなったのは、2000年度から調べ学習に重点を置いた「総合的な学習の時間」が始まったことですね。全国の調べ学習コンクールがスタートしたのもその頃ですし、2005年に「学校図書館支援センター」の機能を立ち上げて、学校での読書推進や図書館を使った調べ学習のサポートを強化する動きにもつながっていきました。
千葉 読書推進を考えると、つい図書館設備といったハードの充実に意識が向きがちですが、袖ケ浦では地域の実態に沿ったソフト整備に力を注いでいるのが印象的です。たとえば物流システムは、自治体として規模が大きくない袖ケ浦市だからこそつくることができた仕組みかもしれませんね。
前沢 そうですね。公共図書館は、一般的に10万冊の蔵書があれば一人前とされますが、袖ケ浦は物流によって各施設をひとつにつなぎ、市全体で76万冊を抱える図書館にしたんです。
松井 とはいっても、市制移行の当初は蔵書の更新から着手したんです。学校図書館の蔵書情報をデータ化して、古い本を新しいものに入れ替えて。それで、市が学校の声を聞いたところ、「確かに並んでいる本は新しくなったけれど、そもそも人がいなければ図書館を回せない」という声が上がったそうなんです。それで、私たちのような学校司書が配置されたという経緯があります。
前沢 私が袖ケ浦の小学校に着任したのは20年以上前なんですが、その時は驚きましたね。当時は「読書指導員」と呼んでいたんですけど、そんな人がいるんだと思って。皆さんは子どもたちと親しげにコミュニケーションをとっていて、私たち教員が教材として欲しい本があれば適切に対応してくれる。現在の学校図書館に関するシステムは、学校司書さんなしには成り立たちませんし、私自身もずっと頼りっぱなしですよ。
千葉 袖ケ浦の学校図書館を支える仕組みで際立って特徴的と感じたのが、学校司書の皆さんが大きな役割を担っているということです。お聞きしたところによると、一人ひとりが各校の専任で、かつ常勤であると。しかも、人件費は補助金を受けることなく市がまかなっている。学校司書の配置はあくまで努力義務で、法的な位置づけが明確になされていないのために、自治体によっては複数の兼任だったり、非常勤だったり、さらには置かれてすらいない学校も少なくない。最近は情報教育を重視する世の動きの中で、改善を求める声が聞かれるようになってきましたが、袖ケ浦は世の中に先んじて学校司書という「ヒト」に予算を充て、現在まで継続している。そんなところからも、自治体として子どもたちの読書推進に本気で取り組む姿勢が感じられます。
前沢 そうですね。もちろん探求型の学習に対する時流の後押しもありますが、行政のトップが子どもたちの教育に理解を示してくれていることが、今日の袖ケ浦市の読書環境につながっているのだと思います。
教職員と学校司書の信頼感が学びを支える
千葉 学校司書の皆さんが、学習環境の向上のために大切な存在だというのは理解しているのですが、私がこの機会にぜひお聞きしたいのは、子どもたちや教職員の皆さんと、日常的にどのような関わり方をしているのかということなんです。
松井 子どもたちとは「次どんな本が読みたい?」といったように、本に関する話をすることもありますが、本当にただただ話をしに来てくれる生徒もいたり。子どもによってさまざまですね。
前沢 そうやってコミュニケーションをとっていただけるので、調べ学習以外の面でも、私たち教職員はかなり助けられています。というのも学校司書の方は、教職員ではなかなか引き出せないような情報を持っていて、「あの子は最近、こんなことに悩んでいるみたいですよ」と教えてくれたりもするんです。それも、司書の方が常勤という形で図書室にいてくれるからです。
松井 ありがたいお言葉です。ただ、それも学校職員である私たちの役割かなとは思っています。探してきた本から、生徒に悩みがあるのではないかなと察して、担任の先生やスクールカウンセラーの方に相談することもあります。
千葉 学校司書の方というのは、学校によっては職員としての役割を低く見積もられてしまうことが課題視されていますが、袖ケ浦の場合は先生方ときちんと信頼関係を築かれていることが伝わってきます。その関係性があってこそ、子どもたちの調べ学習の充実にもつながってくるんですね。ただ、調べ学習をはじめとして、袖ケ浦では先生方が児童生徒と個別に向き合う機会が多い気がします。やはり大変ではないかなと思ってしまうのですが、実際のところはいかがでしょう?
前沢 正直なところ、私も袖ケ浦への着任当初は大変だろうなと思っていました。
松井 学校って先生がどんどん入れ替わっていくので、初めて袖ヶ浦に来た先生は、「調べ学習って何?」とういうところから始まるんですよね。
前沢 でも、やればやった分だけ、子どもの変化も見えてくるので楽しくなるんですよね。それに、子どもたちにとってはもちろん、私たち教職員としても、頼りになる学校司書の方が常に学校図書館にいてくださるというのは安心できます。着任して年度が始まる前に、学校司書の方が丁寧にオリエンテーションをしてくださいますし。
松井 子どもたちに調べ学習を指導する先生方に、まずは本と学校図書館、学校司書の役割を知ってもらわないといけませんからね。
子どもへぶれない姿勢が地域活性を生んだ
千葉 図書館司書さんを中心にした高度な仕組みが築かれている袖ケ浦ですが、今後さらにより良い学習環境を築いていくために、改善すべき課題をあえて挙げるならば、どのような点があるでしょうか。
前沢 これを言うのは本当に心苦しいんですが、学校司書さんについては雇用条件の見直しが必要だと思います。確かに市の常勤職員という雇用形態は、全国的に見れば学校司書を大切にしているといえるでしょうが、待遇面で長年変わっていない部分がたくさんあります。子どもたちを育てるのと同様に、学校司書さんを育てるまちにしていきたい。ここまで築き上げてきた教育環境を次に引き継ぎ、若い世代の皆さんの手で、さらに充実した学びが受けられるまちになっていけばと思います。
松井 あとは、司書教諭さんが図書館に関わる時間を、しっかり確保できるようにすることも必要ですね。司書教諭の方々は、図書館の業務を専任している学校司書と違い、クラス担任や教科の授業も持っていますから、どうしても多忙になってしまうんです。勤務システムを改善できれば、私たちと連携を強めることができるはずです。
前沢 松井さんのご指摘の背景には、教員不足という問題もあるんですよね。これまで挙がった課題は、全国的にどこの自治体も悩んでいるところかと思います。
千葉 さまざまな課題はありながらも、市制移行から30年以上にわたって読書推進に重点を置いたまちづくりを続けてきているわけですから、地域全体に良い影響が表れているのではと想像するのですが、何かお感じになられることはありますか?
松井 学校司書が当たり前にいて、図書館を気軽に使えるような環境で育った世代が今は親になっていますから、本に親しもうというムードは、以前にも増してまち全体に感じられますね。
前沢 袖ケ浦で教育を受けて、読書や調べ学習の意義を知っている人材が、指導する立場になるケースも見られるようになってきました。このまちの教育環境を受け継いでいこうという流れは生じてきているのではないでしょうか。
千葉「学ぶ力は生きる力」ということを先ほど皆さんとお話しましたが、これからまた数十年経って、生きる力を身につけた方々が地域社会の中核を担うようになってくると、さらに目に見える変化が生まれそうですね。
前沢 数字に出ている変化で言うと、この5年ほどで人口が約2000人増えているんです。この間に児童生徒数は約200人増えていますので、子育て世代の方々が流入してきているということ。都市部へのアクセスといった地理的な条件もありますが、特色ある教育環境が、子育て世代の方々にアピールしている面はあるかと思います。
松井 どんどん子どもが増えてくれたらうれしいんですけど、学校が足らなくなっちゃいますね。
前沢 子どもが増えて、実際に校舎を増築した学校もあるんですよ。
千葉 そうなんですか。今は全国的に、「廃校をどのように活用するか」といった話題が多い中で、袖ケ浦は本当に驚くような成果を上げていますね。子どもの教育支援をうたう自治体はたくさんありますが、調べ学習のような形で、具体的な取り組みを示している例はとても貴重です。子どもの学びに対する支援を厚くすれば、まち全体の活性化につながる。そう私は考えているんですが、子どもをサポートする皆さん自身が、学びの、そして読書の力を信じて活動を実践しているからこそ、豊かな教育環境がつくり上げられたんだと思います。出版社を経営する立場として、今日は本の可能性を改めて教えてもらった気がします。お二人とも、本当にありがとうございました。
(了)