見出し画像

蜃気楼の魅力で地域を元気にしたい! ──大木淳一(千葉県立中央博物館)

千葉県立中央博物館の学芸員で、子ども向けの科学の本の執筆でもご活躍の大木淳一さん。自身が暮らす地域の生き物や自然環境に、人一倍深い愛情を持ってらっしゃる研究者です。
現在、精力的におこなっているのは、地元・九十九里でよく見られる「蜃気楼」の観測。蜃気楼は研究の対象というだけでなく、地域の子どもたちと大木さんをつなぐ「光」にもなっているそうです。
新型コロナウイルスの暮らしへの影響が長期化し、博物館活動に制約を受ける中だけれど、自分の暮らす地域で自然観察をすることのおもしろさ、大切さに改めて気づいたという大木さん。「地域博物館の学芸員として、いま思うこと」を書いてくださいました。蜃気楼って何? むずかしそう? ……という方でもだいじょうぶ。とてもわかりやすく、おもしろく解説してくださっています!

大木淳一(おおき・じゅんいち)
1966年、東京に生まれる。理学博士。新潟大学理学部卒業。現在、千葉県立中央博物館主任上席研究員。子ども向きに自然科学を紹介する著作も多く、『たんぼのおばけタニシ』(そうえん社)、『幻のカエル がけに卵をうむタゴガエル』(新日本出版社)、『石ころ博士入門 』(共著、全国農村教育協会)などがある。

■コロナ禍の九十九里ライフ

みなさん、こんにちは。千葉県立中央博物館・学芸員の大木淳一です。専門は地質学ですが、カエルや鳥、カニなどの生き物を取り巻く自然環境にも興味を持ち、精力的に山や海を駆けめぐってます。
しかし、昨年(2020年)3月から、博物館では新型コロナウイルスの影響を受け、感染拡大防止のため、私が担当していた季節展が期間を短縮して開催されたり、観察会の中止、越境を伴う野外調査の中止など、博物館活動はさまざまな制約を受けてきました。
そんな中、在宅勤務も増え、通勤時間がなくなった分、散歩を兼ねて身近な自然を見つめる機会が増えました。

私は千葉県九十九里町に住んでいます。農家である妻の実家にお世話になっている関係で、もれなく米づくりを手伝うこととなり、プライベートでも田んぼの生き物観察を楽しんでいます。

画像1
▲田植え直後に見つけたシュレーゲルアオガエル。人間の暮らしがコロナに振りまわされていても、季節はめぐり、カエルたちは田んぼで生命を育みます。

昨年はコロナの影響を受け、中3の長男、小6の次男は、修学旅行やさまざまな行事が中止となり、クラスの友だちと思い出に残るイベントがことごくなくなりました。二人とも自宅学習を強いられ、特に受験勉強に向き合っていた長男は、ほんとうによく耐えているなと、見ていて胸が締めつけられる思いでした。
全国の学校も同じ状況でしたでしょうし、校外学習の機会もほぼなくなっているのではないでしょうか?

このような閉塞感がある生活が続いているのですが、実は遠くへ行かなくても自然とふれあったり、身近なところで自然の不思議を体験できることをこれからご紹介したいと思います。それが「蜃気楼」です。

■身近に出会った魅惑の蜃気楼
〜散歩がてらの蜃気楼観測

私が九十九里町に足をつけて暮らす中で、蜃気楼に興味を持ったのは、2013年のことでした。
九十九里の海岸では「だるま太陽」と呼ばれる蜃気楼を見ることができます。その写真は九十九里町内のホテルや土産物店で飾られる、カメラマンに人気の被写体。だるま太陽が年間どれくらい見られるのかを調べるため、毎朝、散歩を兼ねてカメラ片手に砂浜を歩きました。

▲だるま太陽。(太陽の下部が下方に反転して人間の肩のように見えるので、「だるま」と名づけられた)

そして、私がだるま太陽とはまったく違うタイプのすごい蜃気楼と九十九里浜で出会ったのが2015年夏でした。
私は学芸員として、地元の九十九里町に何か学術的に貢献できないかと思い、だるま太陽の観測を開始したので、まさかこんなにすごい蜃気楼に出会えるとは思ってませんでした。

画像3
▲104年ぶりに再観測された珍しい蜃気楼。岬の先端の崖下部が伸び上がったり、尾根付近が飛び出して見える

過去に九十九里浜で観測されたこの珍しい蜃気楼の記録を遡ると、104年前に物理学者でもあり随筆家でもある寺田寅彦博士が記載したスケッチに辿り着きました。珍しい蜃気楼は富山県魚津市が有名なのですが、九十九里でも寺田博士の104年後に私が再観測したのです。地質学を専門とする私は寺田博士の名は学生時代から知っていたのですが、急に身近な存在となりました。

その後、蜃気楼の観測を強化するため、毎朝、九十九里浜へ出かけるだけでなく、定点カメラを海岸に設置して24時間態勢で調査を開始しました。
その結果、九十九里浜は、四季を通して珍しい蜃気楼が観測できる日本を代表する蜃気楼観測のフィールドであることがわかってきました(2019年は年間98日観測)。冬季は夜に珍しい蜃気楼が見られ、街灯が幾重にも重なって摩訶不思議な光景で九十九里浜を彩り、まるで冬の海上花火のようです。

画像4
▲珍しい蜃気楼夜景(同じ場所から撮影。写真左の橋の街灯がZ字状に上に反転して見える)

■蜃気楼って何?

さて、みなさんは、蜃気楼を見たことがありますか? 蜃気楼っていったい何なのでしょう? 砂漠でモヤモヤッと建物が見えるイメージを持っているか、歌の中で「しんきろう〜♪」と聞いたことがあるかな……くらいかもしれませんね。

いちばん身近に見られる蜃気楼は、アスファルト道路のやや遠いところに水たまりのようなものが見える「逃げ水」です。路上に水たまりがあるように見えるけれど、実際は濡れておらず、近づくとなくなり、また遠くに見られる不思議な現象で、水たまりが逃げているように見えるので、逃げ水と呼ばれるのです。

日中、太陽が道路を照らして熱くなり、道路上と胸くらいの高さでは空気の温度に大きな差が生まれます。この温度差により光が曲がってしまい、「逃げ水」という現象が起こります。このように、光の屈折によって、ないはずの場所に物や人が映ってみえる現象を蜃気楼というのです。

▲道路上に見られる蜃気楼「逃げ水」

富山県や私が九十九里浜で見つけた、船や建物などが上に反転したり、伸びたりする珍しい蜃気楼は、下の空気の層が冷たくて、上の空気の層が暖かいときに見られます。

このような珍しい蜃気楼は、大阪湾から北海道にかけて、特に春に観測されます。冷たい海や湖に暖かい空気が流れ込む機会が多いからです。ちなみに富山県魚津市では蜃気楼を観光資源として活用し、すごい蜃気楼が見られると花火を打ち上げるくらいの力の入れようです。

▲九十九里沖で見られた珍しい蜃気楼(タンカーが上に反転して見える)
▲猪苗代湖で観測した珍しい蜃気楼(遊覧船の白鳥の首や親子亀が伸びている)

■身近な蜃気楼を学ぶ

さて、私は、今年の春から「身近な自然に目を向けよう」と、地域の学校と連携して蜃気楼に関する授業を展開しています。
ちょうど文部科学省から科学研究費の助成を今年度から3年間受けることとなりました。研究課題は「子どもの発達段階に応じて学ぶ『蜃気楼』の教育プログラムの開発と実践」(JSPS科研費 JP21K02766)です。

地域の方々、特にこども園、小学校、中学校に通う子どもたちは蜃気楼の魅力を知る機会がありません。そこで、息子が通ったこども園、小学校、中学校にご協力いただき、授業を通して、おらが町の自慢である蜃気楼を知ってもらおう、未来を担う子どもたちに誇りを持って社会へ巣立ってほしい──そんな願いでプロジェクトを開始しました。
次から、授業を開始した、こども園と小学校での授業の一部をご紹介します。

■未就学児と学ぶ蜃気楼
〜逃げ水と変形太陽に興味津々

こども園では「逃げ水」を、園の前の道路で望遠鏡を使って見せました。それだけでも、子どもたちは大喜び。見えるしくみはわからなくても「しんきろう」や「にげみず」という呪文のようなキーワードが頭にインプットされ、自宅に帰ってからも話題になったそうです。保護者のみなさんは説明に困り、ネットで検索して何とか説明したそうですが……。

そんなエピソードもあり、子どもの学習を通じて保護者への波及効果も期待でき、地域全体で蜃気楼が盛り上がればいいな〜と思ってます。
ちなみに園児には、「変形太陽」も人気です。太陽の蜃気楼は、前にあげた「だるま太陽」のように変形したり、四角形だったりキノコのような形に見えることがあるのです。

画像9
▲変形太陽の写真に園児たちは釘付け

■小学生と学ぶ蜃気楼
〜総合学習でじっくり取り組む

小学校では6年生の総合的な学習の時間で取り上げ、1年間、じっくり蜃気楼と向き合うこととなりました。

最初に、子どもたちが調べ学習をし、私が蜃気楼の魅力を話しました。その後、室内で蜃気楼を再現する実験にトライ。水道水と砂糖水の境界で光が屈折するようすを水槽で実験したのです。担任自らが蜃気楼になった(?)変顔写真をお披露目、児童にイメージをつかませます。この写真で児童は大爆笑、授業は大成功でした!

画像10
▲授業でお披露目したスライド

実験を通して蜃気楼のイメージをつかんだ子どもたちは、近所の道路や歩いて30分くらいの海岸へ「逃げ水」を見に行きました。こうして蜃気楼が身近な存在であることを子どもたちは自ら発見し、そのまなざしはとても輝いてました。

子どもたちといっしょに珍しい蜃気楼の観測もおこないたい……ということで、夏休み中に私が観測したら学校へ連絡し、都合がつく児童が保護者同伴で観測に参加するという計画を立てました。ところが今夏の九十九里地域は猛暑日がなく、残念ながら船がひっくり返るような珍しい蜃気楼には出会えませんでした。自然相手の難しさも痛感しました。冬に見られる蜃気楼に期待したいと思います。
先生方とは年間プログラムを何度も入念に話し合ってきました。蜃気楼研究者である私と先生方との熱い議論に、担任の先生は「これぞ地域の素材を活用した生きた学びだ!」と、興奮して児童以上に(?)目をキラキラさせているのがとても印象的でした。

今後、年度末に向けてまとめの作業を行い、情報発信を行います。子どもたちからどんなアイデアが出てくるのかとても楽しみです。

画像12
▲近所の海岸で「逃げ水」を観察

九十九里浜沿岸の市町村にとって、蜃気楼がとても身近な自然現象で、全国に誇れるものであることがわかってきました。今後、蜃気楼が見られる全国の街で授業に取り入れてもらえるような実践プログラムを開発できればと、現場の先生と切磋琢磨しております。

■実は身近な自然に発見がある

昨年、コロナ禍で自宅学習となった息子たちは、何度か朝の蜃気楼観測に同行しました。折しも海岸の駐車場が立入禁止となっていたので自転車で向かいました。
すると、我が家周辺の田んぼではカエルの声がコロコロと優しく奏でていたのですが、海に近い橋を渡ると波の音が私たちを襲ってきて、音環境が劇的に変化しました。いつもは自動車で出かけていたので、とても新鮮な発見でした。

日の出30分前に到着すると、濡れた浜辺に映り込む素敵な景色に出会えました。珍しい蜃気楼には出会えなかったのですが、同じ九十九里町内に住んでいるにも関わらず、普段目の当たりにしない朝焼け、九十九里浜の意外な光景に子どもたちは感激していました。

遠出できない暮らしが続いていますが、自分たちの生活圏内で時間を変えて散策する、あるいはいつもと違うスタイルで周囲を眺めるだけで新たな発見があることを、私は子どもたちと過ごすことで気づかされました。

身近な自然にこそ意外な発見がある。
この体験を活かし、学術的な研究成果を学界で発表するだけでなく、いかに地域へ貢献するか、どんなしかけで地域を盛り上げていくか、日々頭をめぐらせながら、毎朝、九十九里浜で蜃気楼を探しています。「学術的な地域への貢献と活動」こそが地域博物館としての使命だからです。

▲蜃気楼は見られなかったものの、砂浜に映り込む夜明けの景色にみとれる息子


大木さんに蜃気楼について書かれた本をご紹介いただきました。蜃気楼に特化した本は激レアで、写真絵本はまだ出版されていないそうです。

●『
蜃気楼のすべて!』(著:日本蜃気楼協議会、草思社)
日本や南極など世界で見られる蜃気楼を写真で紹介。古文書や美術工芸品の中の蜃気楼も網羅し、蜃気楼のすべてが分かる本です。
私が珍しい蜃気楼を見つけた時に、ちょうどこの本を執筆中で、九十九里の蜃気楼写真が1枚掲載されました。

●『いかせのうろきんし〜しんきろうのせかい』(文:木下正博、絵:96megu.、NextPublishing Authors Press
日本蜃気楼協議会会長が制作しました。蜃気楼の絵本としては、おそらくこれが国内初。新聞でも紹介されました(→記事はこちら)。

●『知床蜃気楼読本』(著:知床蜃気楼・幻氷研究会、自費出版)
オホーツク海で見られる蜃気楼が紹介され、特に流氷の蜃気楼は素晴らしいです。かわいいオリジナルキャラクターが幻想的な蜃気楼の世界へ誘います。