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第9回ポプラ社小説新人賞『ニキ』とはいったい、何なのか?

「では、今年はこれでいいですね?」みんなの顔を眺める司会の顔は、どこか晴れ晴れとしていた。結果的には満場一致。だが、議論のプロセスはそれなりに激しいものだった。選考委員それぞれが推す作品への愛着の差もあるが、それ以上に、出版社としてのスタンスをめぐる議論があった。会議室でのやりとりのなかに社会があり、世間があり、様々な感じ方があるのだった。共感があり、戸惑いがあり、好き嫌いもあった。そんな内輪の話をなぜするかといえば、むしろ、そのなかにこの作品の本質があらわれているように思うからだ。筆力、作品の出来栄えに関しては誰も文句はなかった。だが、ある種の「難しさ」を抱えた小説であることも確かだった。この作品の主要登場人物が、社会的に認知されにくい「性癖」をもっていたからである。「子どもの本」を創業以来の柱とする出版社の新人賞として、この作品に賞を出す意味を、それぞれが確認し、心を決めるための議論だった。

この作品は、人間の個性をめぐる物語である。「あの子は個性的ね」とか「ユニークね」とかいった言葉は、よい方にも悪い方にも受け取れる微妙な言葉だが、この作品に描かれたふたつの「個性」は、もっとはっきりと、社会との極度の緊張を強いられる個性である。それがみんなの求める「普通」と折り合わないとき、人はどう生きればよいのか。どうやって居場所をみつければいいのか。高校生の田井中広一、その担任であり美術教師である二木良平は、「個性」のタイプは違うが、この社会と折り合うことが難しいという意味では、悩める友である。だが、彼等は本質において「同志」であるにもかかわらず、いや、だからこそ、疑い合い、距離をとり、時には騙し合う。罵詈雑言も投げ合うし、嘘もつく。なんと不思議な関係だろう。そして、なんと深い関係だろう。しかも、この物語は波乱に富み、逆転につぐ逆転、崖っぷちのせめぎあいといった、エンタテインメイトの要素を十分、備えている。面白い。ハラハラドキドキしながら読める。だが、読み終えて、「ああ、面白かった」といって済ませられないのだ。

さて、小説の内容をざっとお伝えしてみよう。


高校生・田井中広一が主人公。彼は黙っていても、口を開いても、つねに人から馬鹿にされ、世界から浮き上がってしまうような人間である。そんな広一が「この人なら」と唯一、人間的な関心を寄せたのが美術教師の二木良平だった。穏やかな人気教師で通っていたが、それは表の顔。彼が自分以上に危険な人間であると確信する広一は、二木に近づき、脅し、とんでもない取引をもちかける——。

追い詰めあうふたりのやりとりは、スリリングである。騙しているのか本気なのか、裏切りなのか友情なのかわからない。両者の駆け引きから、言葉の欠片が飛んでくる。聞き流すはずの言葉が、突然きらめきを放って胸の奥に突き刺さる。まっすぐなのに奇妙にねじれ、温もりと突風が入り混じるようなバトルだ。そんな駆け引きのなかで、事態は思わぬ方向に進んで行く。ラストの数十ページは物語が雪崩れを打つように進み、思いがけぬ結末に達する。予想は裏切られ、最後の頁に至って、それまで読んできたページがふたたび風に捲られ、さっきまでとは違う匂いを運んでくる。なんだ、これは? この風の匂いは、どこからやってきたのか?

白状すれば、自分の狭い「評価軸」など歯が立たたない作品だった。人間の心の襞をここまで言語化できるのかと驚く一方、それ以上に広大な余白を感じさせる作品を、わたしたちは選ぶことができたのではないだろうか。自分たちを安全地帯において評価者としてふるまうことをやめ、いわば、新しい才能、新しい文学、新しい作家の登場に「賭ける」という意味で、共犯者になったのだと思う。

都合が悪いことも、見なかったことにしない、という精神。それは人間に生じうるあらゆる物語を抹殺しない、という覚悟だろう。暗い影を遠ざけ、切り離し、安心できる場所へ逃げ込めば逃げ込むほど、私たちは世間の正義で人を断罪したくなる。だがその時、かえって魑魅魍魎の跋扈する暗い沼地へ自分たちを追い込んでいるのかもしれない。

個性と社会の緊張を描き出した本作は、きわどい場面を描きながらも、さまざまな個性に応じた生き方、その「倫理」を正面から問う。これをどう受け止め、感じるかは、読む者によって大いに異なるだろう。少なくとも私には、人間を丸抱えにして飛ぼうとする稀有な作品と思えた。この本に出会った読者の誰かが、よく生きるための無二の一冊として、胸に抱いてくれるだろうと信じる。

ポプラ社 編集担当 野村浩介

紹介書籍:『ニキ』(「Bとの邂逅」より改題)/夏木志朋・著

※発売までもうまもなく。お楽しみに!

☆第9回ポプラ社小説新人賞の最終選考会の白熱議論は、こちらの記事をご覧ください。


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