第三回 装丁家・緒方修一が本をつくるまで(『スピノザ よく生きるための哲学』の本ができてから訊いてみた)

『スピノザ よく生きるための哲学』を編集するにあたって、私は本が「モノ」であることの意味を改めて考えてみたかった。それは言葉をめぐる思考の一環である。言葉には生まれてくる場所があり、放たれたのちに、身を解いて納まるべき場所がある。

著者はスピノザの思想を一身に受け止めフランス語で本にした。それを訳者が読み、日本語にあらわした。その言葉は編集者や校正者の目に触れながら、出版物のテキストとして確定していく。だが、この段階ではまだ、本は質量のある姿を見せていない。当然本にあるはずの顔も白いままなのだ。

はじめは書き手の記憶や閃きに過ぎなかったものが一字を書かせ、それが一行一頁となって、さいごはひとつに束ねられる。本という物理的な輪郭をもつことで「モノ」となる。そして本は読み手にゆだねられる。動いている人間の心、その心から生まれる言葉は、動かない「モノ」に定着させることで、人と人のあいだに置かれる。動かないモノにすること。そこに「装丁家」の立脚点がある。

装丁家だけが、本に「すがた」をあたえる人ではないと緒方修一は語る。一冊の本は自分が作った本ではなく、それぞれの人の本であり、本棚の隅でそれぞれの顔になっていくという。いったい装丁とは何なのか――。仕事を頼みながら、いつも訊き逃してきたことを訊いてみようと思った。

緒方修一 
装丁家。1963年福岡県生まれ。新潮社装幀室を経て独立。沢木耕太郎、宮部みゆき、宮本輝、伊集院静らの書籍、小学校国語教科書(光村図書)、新潮文庫版ドストエフスキー、『百年文庫』(ポプラ社)、『ロアルド・ダールシリーズ』(評論社)などを手がける。なかでも東欧から東アジアまで独創的な世界文学を集める『exlibrisシリーズ』(白水社)は計60点を超え11年目を迎えている。月刊誌『小説すばる』(集英社)、『本」(講談社)の他、映画『カンゾー先生』(今村昌平監督)や雑誌『coyote」の題字。「世界で最も美しい本コンクール」銅賞受賞。現在は沢木耕太郎のこれまでのインタビューを選り集めた『沢木耕太郎 セッションズ』(四巻・岩波書店)の装丁と対峙する日々。

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――緒方さんは大学で学生たちに装丁を教えてるけど、どんな講義?
緒方(以下「緒」):ドンキで買ってきた靴下の片方だけを学生にわたしてね。
――ドンキ?
緒:そう。片方の靴下をモチーフに校庭で写メを撮らせる。それでホラーとファンタジーの両方の装丁を作ってねという課題。決まって学生たちは面食らうだけから、先に自分がやってみせる。大学の廊下の柱の角に靴下を貼りつけて写真を撮る。曲がった角の先は見えない。それだけで相当怖くなるから。
――そのワークショップの狙いは何だろう?
緒:デザインするビジュアルのモチーフなんかは何でもいいし、どこにでもある物でいい。そんなことをいいたいわけ。要はシャッターを切るときの自分の覚悟次第ということ。装丁とか装画とか、覚悟さえあればできるんだよ。これ(目の前のお茶の入った紙コップ)だってできる。乱暴にいえば東野圭吾でもニーチェでも靴下ひとつあればできる。
――その意図を学生たちは……
緒:ほとんど伝わらない。けど、波紋が残る。ということにしておこう。
――波紋ね。ある種の感覚を伝えるって、それなのかもしれない。ところで今回のスピノザの本、装丁が綺麗だっていう人が多い。素敵だって。
緒:微妙だね。著者もそうだろうけど素敵だの傑作駄作だの結論づけられてハイ次の本ってなるのは残念だな。それより読後に次の本が読めなくなるくらいの衝撃があってもいいって思っているから。だからいつも綺麗で終わらないものを本に込めようとしている。
――カバーに使われている朝岡英輔さんの写真、これはどこ?
緒:鵠沼海岸。
――へえ。
緒:おととい朝岡君に訊いたの。本ができてからメールでお礼をしたときに、ところでここはどこ?って。

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――あの写真を見たとき、きっとどこかの風景ではあるんだろうけど、その「どこか」が気にならない具象性を感じたんだよね。鮮明な質感があった。ところで今回、いつもより多めにラフを出してくれたけど、どうやってこの装丁になったのか、順を追って話してもらえますか?
緒:この本は哲学関連の本だよね。版元はポプラ社。いつもね、この本をまず、会社が売りきれるのかっていう不安から始まるんだよ。それは自分が出版社にいたことがあるからなんだけど。自分が言う売り切るという意味は、ちゃんとしたノリで出せるのかみたいな。本を出すって、ひとつの船を漕ぎ出すようなものだと思うんだけど、その本に携わる人たち、編集も販売も宣伝も、みんながひとつになれるのかが気になるのね。編集者の思いこみだけで突っ走ったときに、船に乗ってるのは編集者だけで、他のみんなは岸に置いてけぼりみたいなこともあるから。
――会社との折り合いみたいなこと?
緒:違う違う。編集者のまわりにいる人たち。それをまあ会社と呼ぶのかもしれないけど。私は信用しているんだよね、昔っから。本を作ってきたという頑な空気を吸ってきた人たちを信じているんだ。だから説明しても身内がついてこれないような本はつくらないほうがいいような気もするし。逆に、むしろ誰もついてこれないならば、いっそ遥かに難解でハードルの高い本をつくったほうがいいと思う。ラフが多かったのは、それだけの揺らぎが自分の中にあったというだけ。
――最初のラフは元気な感じだけど、色味も鮮やかで、文字は大きくて。最終的なものとはずいぶん違う。
緒:人に「ボツ」といわせる作業が必要なんだよ。「ボツ」っていうのはすごく勇気のいる決断だからね。「ボツ」になることと同時に、自分の雑念も減っていくから。だからなるべく、「ボツ」といわせたい。でも、どのラフも本気でやってるんだよ。これがボツだと思いながらやっているんじゃなくて、僕のなかではデザイナーの意匠とかじゃなく、こういう編集もアリだなとか。とにかく本には人と同じような宿命がある。だから「どの宿命なんだよ?」と必死に探してるだけで、自分のプレゼンテーションではない。この時、内心いいんじゃないかと思ってたのはこれ。(緒方さんが指さしたのは、ゴシックホラー的、かつ美しい青年を配したイラストをつかったラフ)。
――ああ、これよかったね。
緒:これはこれで別の方向にむかって振り切っている。地味でも派手でもジャンプする部分は必要なんだ。
――まず、ありうる本の姿を広くとって可能性を示し、問うわけね。
緒:可能性を残したまま物は作れないから、ジャンジャン潰す。
――出してもらったラフは、表1(本の表側の面)のビジュアルイメージだけど、造本はどの時点で考える? 今回は、表紙ラフを検討している途中で、まだ文字だけでいくか、イラストを使うか、あるいは写真にするかはっきりしない段階で、造本を指定してもらったけど。造本指定は使用する紙とか製本の仕方とか、物理的な本の設計図みたいなものだけど、緒方さんにとって造本って何だろう? 造本が決まると、何が見える?
緒:造本を決めたときは、わりと決まっている。
――デザインの全体像が?
緒:すこし違うかな。表層以外の、物としての佇まいが自分には見えている。どういうものになる、と同時に、ああ、こういうものにはもうなれないと。
――何ができるかというよりは、何ができないかがね。
緒:そこまで来ちゃうと、できないことだらけ。

花切れ


――(束見本を出す)今回の本でいうと、造本はどこから考えたの? たとえば、まず角背にしようと決めたとか。あるいは本文用紙はこれだとか。最初は何?
緒:先ずは〈普通の本〉を目指す。ということを肝に銘じる。
――普通ね。それだけだと伝わりにくいけど、緒方さんのいう「普通」は改めて聞くとして。で、どこから?
緒:まずは本文かな。
——今回の本文用紙、かなり白っぽいけど、これはどうして?
緒:作品の雰囲気に浸って読む本もあるけど、今回は文字も詰まり気味だしね。読む側に緊張させながら文字もしっかり見えるように。注釈も多いからね。あくまで新刊としての無垢さも込めておきたいし。本に使う紙を選ぶときはね、紙見本は昼間しか見ない。本なんて夜読む人がきっと多いんだろうけけど。紙を選ぶときだけは、昼間の自然光でみる。というか夜は見えている気がしないんだ。とにかく時間がかかる。紙を選びながら可能性が減って覚悟が増してくる。紙に特徴がありすぎると格好よく仕上がっても、紙のおかげになるから。この紙いいねみたいなことになっちゃうんで。
――ああ、そういうことはありそう。
緒:紙のおかげにしたくないわけ。普段自分が使う紙はすでに絞ってあって、たくさんの選択肢があるわけじゃない。三、四種類の紙を選ぶのに一時間かけて決まらないこともある。
――そうだったんだ。
緒:(表紙に使った紙を指して)綿紙は、優しい感じというか息をしているといったら褒め過ぎだけどいい風合いだよね。ちょっと浮遊感のあるような。
――息をしている感じ、か。それはわかるな。束見本ができたとき、これ、いいって思った。ところで、また本文に戻るけど、見出しとか、本文書体、わりとがっちり目にしてるよね。これはどうして?
緒:なんだろうな。自分が年とったこともあるけど。本文組についても普通ってことかな。絵心のない編集者でも、自分の気に入ってる本を真似て組んだ本文はだいたい美しい。反してこういう内容でこういう読者だからと断定して組んだものは見るに堪えない。
――だったら、本文組は編集者がやればいい?
緒:理想の本文組を探すことは誰にでもできるからね。もちろん頼まれればやるけど、デザイナーだってやることは同じで、理想とする本文が組まれている本を探すことから始める。まあ、探さなくてもこれは超えられないと思うような本を手元に置いておけばいいんだけど。本文組の型は、編集者が自分の基準をひとつもっていれば、あとはすべて流用でいいんじゃないかな。組を褒められているようじゃダメだし、意図しない美しさはデザイナーだけじゃなくて出版にいるすべての人が持ち得るべき領域かなと。
――意図しない美しさか。緒方さんって、そういうところを信じてるよね。私は時々、自分の意図の狭さに気づくけど、でも、なかなかそこから抜け出せない。意図することがなければダメなんだけど、意図にしばられてもダメ。だから、緒方さんの仕事をみていると、はっとさせられることがある。強烈な意図と、その意図をリリースしているように見えるとき。緒方さんがよくいう「本の運命」みたいなものにゆだねているというかね。で、意図ということで言えば、今回の本、背についてはどうなんだろう。丸背ではなく、角背ですよね。実はね、私も今回、ほかのことは何もイメージがなかったけど、緒方さんはきっと「角背」で指定してくるだろうなと、それだけは思ってた。自分でもなぜ、そう思ったかわからないんだけど。で、なぜ、角背にしたの?
緒:そうね。自分の中で角背は丸背にくらべて人を遠ざけるクールな印象がどこかにある。この本は一筋縄ではいかないというか、どうぞ追いかけて下さい。というイメージ。それに角背で厚みがある時の本の立ち姿は悪くないね。こうやって立つ本。
――うん。立っている姿はいいね。
緒:新聞とか雑誌とかで使われる書影があるでしょ? スキャンしたような、文庫なのか単行本なのかもわからない写真。あれには抵抗がある。いつも造本が判ったほうがいい。平面じゃなく本だから。造本こそ最大の痕跡だから。
――造本という痕跡ね。たしかに、そこを見えなくしてしまうと、根本のつながりのようなものが、わからなくなる気がする。不如意な感じというか。私は、いままでに緒方さんが造本指定した束見本を、何冊か手元に残してあるんだけど、印刷されていないのにその本らしいんだよね。文字や色や、そういう二次元のデザインはまだされていないのに、その本が無二の肉体をもったという感じがする。まだ服は着ていないけど、もうその人なんだってわかるみたいなね。そういう造本をしていくときに、使う紙については、緒方さんなりの基準はあるの?
緒:あるものを使う派だね。今回は特別に紙を漉いてきましたっていうノリは嫌だな。今回はカバーと帯、その両方が白い紙として隣り合うんだけど、結果的にどっちを白くしょうかというのは考えるんだ。
――白い紙を白くする?
緒:ここに(カバーの上、題字の窓)に印刷されていない白が残っているんだけど。たとえば帯も同じようにスミ一色で文字を置いた時に、カバーの白と帯の白(地色)の、どちらが白く見えるだろうと考える。
――それを考えることは、何につながる?
緒:帯のキャッチコピーが頑張れば、強い一撃をあたえることもできるわけだよね。何せ後出しジャンケンみたいなものだから。本のタイトルよりも魅惑的な文を入れることもできる。カバー制作にかかわった者としてそんな邪魔な存在はないわけだ。タイトルが鎮座しているカバーと、後出しの帯は敵対関係にあるのに、装丁家は自作自演の芝居をしているわけだよ。
――ああ、なるほど。
緒:帯に入れる文字をスミにしたら、帯のほうがカバーより紙が白く見えるんだよ。できてみるとカバー(題字まわりの白地)のほうが、白くみえるようにした。それは最後の最後まで悩むわけ。どれだろう? 伝えるべきはどっちだろうって。
――帯のほうが軸になる場合もある?
緒:そんな場合もある。カバーは黙ってろ、と。この本のカバーは朝岡君の写真のおかげで壮大かつ白日夢の雰囲気に仕上がるから、異物は頑張ったところで歯が立たない。だから言葉が活きるための棲家は帯しかないわけだ。
――じゃあ、この段階では扉などのイメージもすでに浮かんでいる?
緒:あとは身体が反応するだけ。自分の仕事の痕跡を見ながら。帯をつくるときはカバーを見ているし、表紙をつくるときは見返しとかを意識したり。自分のなかでルールが決まっていて、今回はこっち優先でこっちは追い越してはいけないとか。
――自分の仕事の痕跡を見ながら……。ああ、そういうことか。さっき可能性を潰していく話をしてくれたとき、緒方さんは覚悟っていう言葉を使ったよね。いまの「痕跡」っていう言葉をきいて、なるほどと思った。それはもう物理的な「痕」として体に刻まれてしまっているから、動かないんだね。消せない。いつでも剥がせるシールを貼ったんじゃなくて、覚悟して刻んだんだね、その時。だから、あとはそれを受けていくだけだ、と。だからかな。緒方さんの本って、強度がある。美しいとか、そういうことよりもね。存在の強度のようなもの、それがどうやってもたらされたのか、いまの話を聞いて、ああ、そうかと思ったよ。

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緒:強度で思い出したけど、たぶん野村がいま言う強度とは違うんだけどいいかな?
――はい、どうぞ。
緒:むかし働いてた職場(出版社)でね、新刊の見本が上がる日ってあるよね、その日がくると、よく社長室から社内電話かかってきて、呼び出されるわけ。ああ、来たぞ、と。同僚から前もって聞いた話では、社長がきまって見本を床に叩きつけてるって言うんだよ。先代の頃だからむかし話だけど。
――見本を?
緒:そう、できたばかりの本。
――社長が叩きつけるの?
緒:うん。あー床じゃなくて壁だったかな? 壁の方がサイコっぽいから、やっぱり床ということにしておこう(笑)。でも怒って投げつけてるんじゃないよ。丈夫かどうか確認のためにね。
――ああ、そっちの強度ね。
緒:「残る本」をつくれって、製作部からもよく言われてたから。「残る本」っていう言葉はいろんな意味に受け止められるよね。作家や編集者にも同じ言葉を投げてたはず。でも、その言葉は受け取る立場によって、意味はそれぞれに違うんだなと思った。私が受け止めたのは、物質的に強いものこそが残る本だということだった。ご多分に漏れずカッコいいものを追求していた自分には衝撃的で、その時はじめて出版というぶ厚い壁とガチンコするのも悪くないなと思ったね。
――「物質的に強い本」をつくるのは、製本所の領域ではなく、装丁家の仕事?
緒:造本ひとつで本はヤワなものにもなるんだよ。ちょっと透かすために斤量落としましたとか。再生紙だけ使ってエコやってますとか。紙を洒落た感じにしましたとか。トレぺみたいな特殊な紙をつかってカバーにした時、傷がつくと白い線が残ったりするじゃない。あるいは蛍光色が日に焼け消えてなくなるとか。そういった、すぐにわからないことも含めてヤワな本ってあるでしょう。
――いろんな意味でね。書店の店頭でも、照明でマゼンタが抜けてしまった本とか、たまに見かけるよね。そういう「ヤワさ」も含めれば、本の「強さ」は確かに装丁の仕事にかかっている部分がある。
緒:弱い本をつくったと思う後悔も多い。仮フランス製本とか画策していると、どうしてハードカバーじゃないんだと閻魔さんが耳元で囁いてくる(笑)。
――閻魔さんね(笑)。そういう考え方、緒方さんにしみついてる?
緒:見栄えに重きを置いて決めて行くんじゃなく、しっかり出版を信じろ、ということかな。身を預けること。無理しないで本を作る、ということだね。書き手や原稿は次々に現れては消えていく。それでも本のことを考えるなら、変に歪めたり誇張しないで、そのままの形で真価が問われたほうが出版のためになる。
――造本装丁コンクールの審査員を十年近くやってましたね。
いつだったか、おしゃれな貼り函の本があったのね。貼り函なら、函に本がぴったり納っているのが通常だけど、その本はちょっとだけはみ出しているわけ。本のノド側が差し色みたいにね。どの審査員の評価も高かったんだけどね、僕だけは赦せなくてね。その日の帰りはかなり遅くなった(笑)。あっち側には行けない自分がいた。こう言うと一世代前の装丁家みたいだけど、函は何のためにあり、その出し入れの時の触感にどれだけの職人が苦労してきたかと思うとね。
――そう思うようになる前は、もっと格好よくつくりたいと思わなかった?
緒:もちろん思ったし、そうしてたよ。でもデザイン的に優っているだけじゃ何も起こらない。ダメな本をまあまあの本として見せるために自分がいるわけではないと決めているし。元々本は操作できるものじゃない。目の前にある本(『スピノザ よく生きるための哲学』)は、自分が装丁した本ではあるけれど、今ではこの本を持つそれぞれ人のものであり、それぞれの顔があると思う。『スピノザ よく生きるための哲学』は、自分で手を伸ばさないと読めない本だよ。

チリ


――本は背伸びをして読むものだってよく言いますよね?
緒:小学生の頃に町に貸本屋があってね、目がとどく下のほうにはコロコロコミック的な雑誌が並んでいるんだけど、すこし上の方には『デビルマン』とかあって、店主の目を盗んで背伸びして手にとると、かなりエロい。そこからさらに手を伸ばしていくと、東京の孤独な男女のまぐわいみたいなものが出てくる『関東平野』(注:上村一夫のコミック作品)なんかが置いてある。そうなると、もう別世界なわけ(笑)。棚の上の方にあった本は、いろんな意味でヤバい本だった。ヤバい本は上のほうにある。大きな書店もそうじゃないですか。ドフトエフスキー全集とか、そういうのはだいたい上にある。ほとんどの人は下のほうにある安全な本をつかまされる(笑)。
――なるほどねえ。
緒:読者は本当の意味で背伸びしなければ本に到達しないと思う。
――高いところにあるなら、棚ざしの本の背で探すわけだよね。
緒:本の背中にはすべての文字情報が入っている。面出しがどうとかいうけど、表じゃなく、背こそが本の顔だと思う。
――確かに本の定位置は、本棚に背を見せて並んでいる状態だよね。
緒:本の背でいうと、どの人にも本があるじゃない?
――ん? どういうこと?
緒:工事現場で誘導だけしているおじさんが、そこを通ると「ご迷惑をおかけしてます」とか言って突然頭を下げてくるでしょ。年配の人が若い通行人にずっと謝り続けている。見ず知らずの人にどうして謝るのかって気になる。ああいう人の立っている姿を眺めていると、本の背に見えてくるんだよ。ああ、この人にも本があるなあって。彼らは本を書いてないから、自分だけの原稿を濃厚な状態で内に保っている。まだ書かれていない本をね。それに比べたら作家の書いたものは、既に書いてしまっているぶん薄まっているはず(笑)だと。
――それ面白いなあ。
緒:あの人たちが書いたら、すごいことになるんだけど。書いたらやっぱり薄まるんだろうね。どこかで本をつくるっていうのは、そういう人との競争だと思っているんだよね。がむしゃらに本を書かない人たち、がむしゃらに本を読まない人たちとの。
――いつから、そんなこと思ってるの?
緒:さいしょから思ってますよ(笑)。あんまり愛想よくは作らない。だからおれはいつまでも装丁家になれないんだよなあ。本をつくっているだけだから。 
(2019年12月 ポプラ社8階の会議室で)

年末年始の休みの間、街なかで働く人間の姿が本の背に見えるという話を、時どき思い出していた。緒方修一は本をいつも人間のなかにおいている。切り花のように、きれいなところだけを束ねて見せようとはしない。家に持って帰ってすぐに色あせるようなものではなく、もっと根のあるものと思っているだろう。新年の雑踏の中、ピンクのファーのついた黒い婦人用の手袋の片方が、道端に落ちていた。緒方修一ならこの手袋で何を装丁するのだろうかと、ふと想った。

本は宛名のない手紙のように世に出ていく。見送りの多い船出もあれば、誰も見ていない深夜の海に漕ぎ出すこともある。緒方修一のいう「ヤバい本」の最たるものは、まさにスピノザの『エチカ』だろう。破門され、地域社会から追い出されたスピノザが刻み残したメッセージだから。その本の船出は著者の生前には実現しなかった。だが、彼の友人がその原稿を本にして、17世紀の真夜中の海へ送り出した。航海はまだ続いている。

訊き手・編集担当 野村浩介

『スピノザ よく生きるための哲学』
好評発売中
フレデリック・ルノワール/田島葉子 訳
装丁・緒方修一 カバー写真・朝岡英輔
定価2500円(税別) 
ISBN978-4-591-16470-9

【著者】フレデリック・ルノワール(Frédéric Lenoir)
1962年マダガスカルに生まれる。スイスのフリブール大学で哲学を専攻し、雑誌編集者、社会科学高等研究院(EHESS)の客員研究員を経た後、長年にわたり『宗教の世界』誌(『ル・モンド』紙の隔月刊誌)の編集長、ならびに国営ラジオ放送局(France Culture)の文化・教養番組『天のルーツ(les Racines du Ciel)』の制作・司会を務めた。最近は「よく生き、共に生きる (Savoir Etre et Vivre Ensemble) ための教育基金」の共同設立者、ならびに「動物たちの幸せを守る会(Association Ensemble pour les Animaux ) の設立者として、その活動にも力を注いでいる。宗教、哲学をはじめ、社会学、歴史学、小説、脚本等、幅広い分野にわたり五十冊を超える本を出したベストセラー作家。世界各国で翻訳され、日本でもトランスビューより『仏教と西洋の出会い』(二〇一〇年)、『人類の宗教の歴史——9大潮流の誕生・本質・将来』(二〇一二年)、『哲学者キリスト』(二〇一二年)、柏書房より『ソクラテス・イエス・ブッダ』(二〇一一年)、『生きかたに迷った人への20章』(二〇一二年)、『お金があれば幸せになれるのか——幸せな人生を送りたい人への21章』(二〇一八年)、春秋社より『イエスはいかにして神となったか』(二〇一二年)、『神』(マリー・ドリュケールとの対談集、二〇一三年)ほか、十冊にのぼる訳書が出されている。
【訳者】田島葉子
1951年東京に生まれる。上智大学外国語学部フランス語学科卒業、同大学院仏文学専攻修士課程修了。75年より故ジャック・ベジノ神父の論文やエッセーの翻訳に携わる。99年より十数年間、東京外国語センターのフランス語講師を務める。翻訳書に『利瑪寳——天主の僕として生きたマテオ・リッチ−』(共訳、サンパウロ)、『モリス・カレーム詩集——お母さんにあげたい花がある』(清流出版)、『哲学者キリスト』(トランスビュー)、『神』(春秋社)、『お金があれば幸せになれるのか——幸せな人生を送りたい人への21章』(柏書房)など。


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