第10回京都本大賞受賞『ジュリーの世界』読者カードを読みながら
この本は、「河原町のジュリー」と呼ばれたホームレスの男の物語だ。1970年代後半から80年代にかけて京都の街で多くの人の目にとまり、今なお語られる伝説の人物。だが、彼は何をして伝説となったのか。どんなエピソードで有名になったのか。そんなものは何もない。彼について誰も何も知らないのだから。彼はそこにいた。歩いていた。空を見ていた。その姿を多くの人が目にした。それだけだ。
京都に住む多くの人が「見たことがある」という河原町のジュリーについて、増山実さんから最初にお話をうかがったのは数年前の神保町、洋食屋の「ランチョン」だった。大きな窓からは薄日が差し、北向きの古書店の軒が白々と見えていた。増山さんが話題を急に変え、河原町のジュリーについて話してくださったときのことが忘れられない。若き日に彼を何度も見たこと、姿が堂々としていたこと、忘れがたい目をしていたこと。「河原町のジュリーとあの時代のことを書いてみたい」とおっしゃった。増山さんの心の奥にいる人、そしてわたしたちの時代のこと――読ませていただきたいと思った。
河原町のジュリーが亡くなったのは、1984年の冬、2月5日。新聞記事になっている。訃報が記事になるほど京都では有名人だったという。「河原町のジュリー」が亡くなった前年の冬、年末の紅白歌合戦には本物(?)のジュリー(沢田研二さん)が11回目の出場を果たし、「晴れのち BLUE BOY」を軍服姿で歌っていた。「河原町のジュリー」は、この歌をどこかで聞いていただろうか。レコード店に貼られたポスターの沢田研二を見たことがあったのだろうか。長い髪、世間の視線を浴びながら超然としていた姿から、「河原町のジュリー」の呼び名がつけられたのだと想像するが、呼び名のもとになった人のことを、本人は知っていただろうか。
名をつけ、呼びたくなるということ。心のなかで人の名を呼ぶとき胸の奥に動くものがある。名を呼ぶとき、呼び呼ばれる響きのなかに立っている自分がいる。わたし自身の記憶が遠くから呼び出され流れこんでくる。
一人の人間がたしかに生きていたということ。おなじ時代に生きているということ。それだけで、なぜこんなに胸が震えるのだろう。台詞などほとんどないのに、なぜこんなに「人」を感じるのだろう。不思議の念に打たれながら、わたしはこの作品を読み返す。京都の生まれでもないし、「河原町のジュリー」のことは知らなかった。でも、やっぱり懐かしい。この独特の懐かしさは、作品を他人事ではなく自分のこととして感じているからなのかもしれない。読者カードにつづられた言葉はまるで自分の言葉のようだった。
この小説に柚木という女性が登場する。彼女は町なかの猫の写真を撮っていたことで、交番勤務の木戸(主人公)と縁ができるのだが、彼女はこんなことを思っている。
自分は誰かに向けてシャッターを押すとき、いつもその人の、「影」を撮っているような気がする。「影」とは必ずしもネガティブな意味を指すのではない。むしろ、人を人たらしめているもの。
人を人たらしめているもの――。それは何だろう。本を閉じ、また表紙の絵(装画は中村一般さん)を見る。河原町のジュリーが誰もいない街の中で朝日を見つめている。軒先に差し込む光がとても美しい。
第10回京都本大賞を受賞した本作、ジュリーを知っている世代だけでなく、あらゆる世代の人に読んでもらえたらと願う。どうぞお手にとってみてください。
編集担当:野村浩介
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?