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ポップインサイト創業記(62)〜2件の大きな失注が決め手となり体制を大きく変える事を決意

3年目の春から夏にかけて創業後初めての危機的状況を迎えた頃、一発逆転を狙って大型案件の提案をしました。今回はその際のエピソードを紹介します。

規模感を維持する為に大型案件を提案

危機的状況が続いていた8月、大きいコンサルタント案件を2件提案しました。

綺麗で大きいオフィスへ移転し、インターン生を急激に大量採用し、外部顧問サービスをスタートするなど、規模感を上げてしまったものの、当時のスポット受注メインのビジネスモデルだと到底、膨れ上がってしまっていた現在のコストを賄うのはかなり難しい状況でした。

自分達のビジネスモデルに合わない形で規模を拡大してしまったが故に招いたこの危機的状況を乗り越える為には、単価の高い大型案件を取っていくしかないという考えからたどり着いた結論でした。

もっとも、私はユーザーテストの「リサーチ」のサービスを拡めて行きたいという思いで会社を始めたのであって、前職で経験を重ねていたとは言え、「コンサルタント」のサービスはメインとして行いたいものではありませんでした。

しかし、背に腹は変えられないという状況と、前職で積み重ねた経験も踏まえての提案したら充分取れるであろうという見込みと、その時たまたま先方の方からコンサル案件の引き合いが来ていたという状況を踏まえて、8月に4〜500万規模の提案を2件したのです。

経験上どちらかは受注できるだろうと思った

どちらかが受注できたら、少なくとも8月は生き残れます。1本ずつコンサルの大型案件を受注して回して行くことも、メインのリサーチ事業の成長の為には止むを得ない事だと思っていました。

同時に、リサーチ業務の方は充分回るだろうと安心していました。コンサル案件は私しかできない要素も多いのでこちらは自分でやり、リサーチの方はインターン生を回すことで充分可能だと踏んでいました。

とにかくコンサル案件2件のどちらかを取ってなんとか再起を図りたい。時間を稼ぎつつ挽回していこうと思っていました。そして、自分なりに力を尽くして提案をしていたので、それまでの経験から言ってどちらかは受注できるだろうと想定していたのです。


天のお告げか!? 2件とも失注

ところが運なのか、はたまた天のお告げか差配なのか、提案案件は2つとも失敗してしまったのです。天が「やめておけ」と仰っていたのでしょうか、どちらかは取れるだろうと想定していた両案件とも失注してしまったのです。その結果、8月も200〜300万位の大赤字に終わってしまいました。

ここまで来てさすがに私も、「あ、これは色々考え直した方が良いかも知れないな」と思いました。しかし、まだこの時点では、当時の規模感を維持する前提でやっていける取り組みが残っていないかと探し続けていました。

どん底まで行ってふと我に返る

「まだコンサル案件も2件失敗しただけだから、全然まだ取りに行く選択肢もあり得るし、もっと大きくガンガン展開するという方向性が他にあるかもしれない」と。

せっかく無理やり規模感を上げようと、オフィス移転やインターンの大量採用や外部顧問サービスなど色々な取り組みをしたのです。何かこの規模感にあわせて頑張る方向性はないかと考えていました。

しかしその一方で、「そもそもなんでオフィス移転とか、インターン採用したりとか、外部顧問サービスを採用したりとかしたんだっけ?」とも思い始めていました。

「メインのリサーチサービスは、着実に実績も信頼も重ねることができている。しかし、このビジネスモデルはスポット中心で案件のストックもないし、単価も全然高くないので、急激な成長は見込めない。そこを無理やりコンサルタント案件で埋めるという事は不可能では無い。しかし、そもそもそれをしたかった訳ではない。

ポップインサイトとしては、ユーザーテストを広めるというメインミッションの通り、しっかりソリューションサービスが提供されていて、上手くワークしている事が好ましい状況であって、本来無理に成長していかなくてはいけない訳ではない。

何故それなのに無理をしてコンサルタント案件をメインにするという選択肢をとる必要があるのか。」

・・・この様に我に返ったのです。

妻の言葉で打開策にたどり着く

頭を冷やして振り返ってみれば、規模拡大の取り組みの数々は明らかに非合理的で、テンションだけの選択でした。

一旦規模を上げてしまったから、それに合わせる形で無理して頑張るという選択肢もあるかもしれないけど、それって別にそもそもやりたかった事ではないし、ビジネスモデルにも全く合っていません。

そこを無理やり頑張っても意味がないのではないかと。そうしたとしても、結局謎のコンサル会社みたいな感じになって終わってしまう。それは違うのではないかと。

そんな事を悩みながら、先の2件の失注のショックもあって、眠れない日を送っていました。あまりの苦しさに数日間自宅のソファーでうんうん過ごしていた時に、妻が私に言ったのです。「もう、オフィス止めたら?」と

・・・確かにその通りです。今のオフィスは無駄に高いし、別に無理して借りる必要なんてありません。本当に妻の言う通りだという事に気がつきました。

当時はまだ全面リモートワーク化はしていなかったものの、メンバーによっては、週1出勤で後はリモートワークでした。また、以前の記事(参照:(44)〜リモートワークの最初のきっかけは中国)で紹介した様に中国と日本のリモートワークも経験して、リモートワークで業務を進める事は充分可能であることも知っていました。

別起業での「リモート&全員副業」の経験

2011年頃から関わっていたセールスサポートという会社の経験も思い出します。この会社は、最も尊敬する嶺井さんとふっしーさんというエンジニアが立ち上げた会社で、関わっている5名全員が副業&リモートという体制でした。スモールビジネスではあるものの、5年ほど順調に業績を伸ばし、M&AでのEXITにも成功していました。

そういった事に考えを巡らせ続けた結果、高いオフィスを解約して全面リモートワーク化するという意思決定をしました。そしてこの後、会社の体制を猛烈に変えていく事になります。

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