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ポップインサイト創業記(71)〜リスタートの為の新体制を整える

今回は、大幅な縮小を完了した上での新たなるチャンレンジに向けて、新体制を整えていったというエピソードを紹介させて頂きます。

S君は新事業へシフトすることに

以前の記事で紹介した様に、ポップインサイトが危機的状況を迎えた際に、それを乗り越えるための方法として、ビジネス能力が高い4人のメンバーが各々役員報酬や給与を大幅に減らして半ば副業の様な形にしつつ外部で稼いでくるという体制を採っていました。(参考:(63)~大規模縮小の決断)今回は、その後この4人の副業体制のメンバーの内、私以外の3人がどの様な状況になっていたのかを紹介したいと思います。

まず1人目はS君です。彼は私が新しく作っていたクラウドソーシングの会社をメインで担当してくれるようになっていましたが、そこで彼は業績を大いに伸ばしていました。元々優秀な人でしたが流石と言える活躍でした。そこでS君はポップインサイトから離れて、新会社の方へ注力していく事になりました(現在もS君はその会社の社長をしています)。

木島さんはレイヤーを変えて共に新たなチャレンジへ

2人目は木島さんです。以前の記事で紹介した様に、木島さんは岡山の会社からの業務依頼を受けて、1年間東京〜岡山間を通いで働いていました。月曜の夜に夜行バスで岡山に行ってウィークデーの間ずっと働き続けて、金曜日の夜に夜行バスで東京に帰ってくる、という生活を1年間勤め上げたのです。その根性たるや、本当に賞賛に値すると思います。

元々、木島さんには営業担当をしてもらっていましたが、前職は採用系の企業でした。その背景から採用に興味があるということだったので、今回は採用担当として戻って来てもらう方向で話をしていました。

それにしても、1年間の岡山への通いの仕事を務め上げたのは本当に素晴らしい成果です。私の気持ちとしては、彼の驚異的な努力にできうる形で報いたいと考え、木島さんにはいち社員としてではなく、取締役として戻って来てもらう事にしました。レイヤーを変えて、新たなチャレンジを一緒に取り組んでもらう事にしたのです。

優秀な喜多君は引く手数多になっていた

最後は共同創業者の喜多君です。彼は唯一のエンジニアであり、共同創業者で同志と言える存在です。当然の様に、是非一緒に再びやって行きたいと思っていました。

喜多君は非常に優秀なエンジニアです。一般的にエンジニアは専門的な能力が高い反面、少し人とコミュニケーションをとる事が苦手な人が多い印象があります。しかし、喜多君はエンジニアとしての能力が高い上に、コミュニケーション能力にも秀でています。マイルドな雰囲気で、見た目もシュッとしてカッコ良く、営業などの能力もあって相当市場価値が高い人材でした。

そんな喜多君だったので、副業体制の間に多くの引き合いが来ていました。そちらの方が忙しくて収入も相当増えてしまっていて、以前の様にフルで戻って来てもらうのは難しい状況でした

新たなスタートへの新体制が定まる

そこで話し合った結果、喜多君には取締役を離れて外部パートナーのような感じになってもらう事になりました。

共同創業者だった喜多君はそれなりの株を持っていた訳ですが、私の方で最適な形で大半を買い取らせてもらいました。上場やM&Aによって価値が上がる事も予想されたので、一部はそのまま持っておいてもらいました。

この様に、それぞれのメンバーと各々にとって最善の形を話合い、全員が円満な形で新体制へ向けてのシフトをして行きました。今もこの3名には、感謝の思いでいっぱいです。

以上のような形で新体制への道筋が定まり、ポップインサイトはここから新たなチャレンジへと本格的にスタートしていったのです。

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