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国語が苦手だった原因が、今にも通じている…?

新聞で大学入試のこと等かかれていてふと思い出した。

10年位前の話になるが、私は受験生の時、大学受験のセンター試験の国語が抜群に苦手であった。試行錯誤の末、模試の結果こそ安定してきたかと思いきや本番は勉強し始めの頃でも見たことないような壊滅的な点数を重ね、これ1科目で平均得点を随分と足引っ張ってくれたのはいい思い出である。泣

私は理系畑だが、幼少期の頃には漫画や小説を毎日書いているような人間だったので、文章に触れること自体は好きなのだ。しかし、読んでいくうちにすぐに自分の感想を話に持ち込み、そこから我に返る時間などを含めて、どうしても時間内に問題を解けなくなる…!

今思えば、読み方とか解釈とか、そういう勉強に必死になるよりは、試験だと割り切って取り組む方法を訓練した方が点数は上がったのではと思う。正攻法ばかりで考えてしまう、ついつい真面目な性格が顔を出したのだと思うことにする。(も、もしかして自分まだ乗り越えられていない…?いとかはゆし。)

言われてみれば、これまで国語の試験が得意な人を意識して観察してみたことがなかった。どういった人達だっただろうかと思い、安易な方法ながら、ネットで検索してみた。しかし、検索の仕方が下手なのか、上位には当たり前の事実を並べたページばかりがヒットする。漸く一つ思い当たる記事にぶつかった。

私は「人の話を聞きとること」が苦手に感じている。

聞くだけに集中する、というのは結構難しい技だと思っている。途中で少しでもそのことについて考えをめぐらしたら、その間相手の話は聞けず、その間に話の筋が少しずれていてもきづかないし、かといって考えなしにただ聞いても印象に残らず、長い話だと最初の方の話を忘れて失礼してしまう。話して良いとなると、永遠に質問攻めしてしまうので、相槌を適度にうち、小休憩の時間を作りながら、その瞬間で考えをまとめ、明らかに違う方向に話がいきそうな場合に、stopをかける、というのが理想なのだろう。集中力が持てばそれも可能だが、会話というのは突発的に発生するものなので、タイミングが悪いと、相手に心配をかけることになる。(調子が良い時と差が大きいので💦) このあたりは、まだ社会人慣れしていないということかもしれないが…いや、どうなんだろう。

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国語力のある人「人の話をちゃんと聞けます。」

「国語力のある人」という大雑把なくくりで語っているので、解釈に個人差はあると思うが、私の場合は、これは共通した現象ではないかと感じた。

ものを受け取る時には、まず、そのもの自体に敬意を払い、自分の考えや感想を持ち込まずに受け取ること。きちんと受け取ってから、感想を出すこと。                                                           ※もの:文章、人の声、人の動作、などの情報源。

恐らく、小学生でも習うような、この基本がこの年に至るまでできていなかったのだ。。。 

受け取る段階で自分の考えを入れても仕方ない。素直に話に集中して聞く練習を、今からでもコツコツ積み重ねることにする。

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苦手なことだらけと思っているけど、もしかしたらこれ一つで新しい世界が一気に広がるのかもしれないし…?











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