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春のたべもの短歌会 ぽっぷこーんじぇるのもちもち選

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豊国広重「江戸自慢三十六興 向嶋堤ノ花并ニさくら餅」
NDLイメージバンク(https://rnavi.ndl.go.jp/imagebank/column/post-52.html)

〇古川詩織さんの歌〇

台所祖父母が並び作ってた牡丹餅お萩 愛されていた

古川詩織

「愛されていた」が心に響きます。「愛されていた」のは「牡丹餅お萩」であるとともに、そうして「祖父母」の和菓子を食べることができる主体自身を指し示すからです。結句の前の余白も効いています。風景から主体の感情への転換が見事でした。


〇三浦くもりさんの歌〇

   春なんて
好きな食べ物はいちごと言い切って座る本当はハムと甘えび
芽キャベツの生え方マジでやばいよね的な話はせずに頷く
春なんてみんな仮面を被ってる残したくない桜餅の葉

三浦くもり

「仮面を被っ」た主体の姿が一貫して表れている連作です。新しい友達ができたけれど、最初はおとなしい自分を演出する。「芽キャベツ」の生え方はやばいけど話題に出せるわけがないし、「桜餅の葉」は食べずに残してしまいます。

さて、桜餅の元祖は長命寺桜もちです。HPによると、「桜もちの由来は、当店の創業者山本新六が享保二年(1717年)に土手の桜の葉を樽の中に塩漬けにして試みに桜もちというものを考案し、向島の名跡・長命寺の門前にて売り始めました」ということです。元々は「山本屋」という名前で親しまれていました。三百年以上の歴史をもつ長命寺櫻もちは東京の墨田区にあり、隅田川に面しています。どなたかに味の感想を聞いてみたいところです。
江戸時代の川柳句集『排風柳多留』をみると、すでに「屋根舟へ岡から投げる桜餅」(112篇)、「長命とやらがよいねへ桜餅」(127篇)という句があります。十八世紀から広く親しまれていたようです。

桜餅で桜が使われるのは餅をくるむ葉っぱだけです。これは柏餅なども同じでしょう。餅は小麦粉のみで作られており、ピンク色のものはあとから着色しています。
そういえば、柏餅の柏の葉を食べませんが、桜餅の桜の葉は食べることがあります。昔はどうだったのでしょうか。

少し調べてみました。岡鬼太郎『世話狂言集』(1921)の「其姿団七縞」には「他人ひとものなぞにけねえやう、坊主ばうずにやア、桜餅さくらもちはつぱでもしやぶらしてけ」という台詞があります。また「日本及日本人」1924年4月号には「桜餅の葉を灰につッ込んでゐる」(柿園)という句が載っています。決定的なのは「曲水」1931年5月号の「捨てし葉の光放つや桜餅」(杏坡子)です。あれ、少なくとも明治以降、桜餅の葉は食べるものではなかった?

「お花見の定番、桜餅の「葉を食べる」人は約60%。しかし発祥の店のおすすめは逆だった?!」という記事があります。2018年の記事で、395名にアンケートをとったところ、桜餅の葉を食べる人は59%だったということです。
道明寺桜もちの山本さんは記事で「桜の葉の香りづけと、お餅が乾燥しないようにする意味合いがあります。今のように保存の技術がなかった300年前は、お餅が見えてしまうと乾燥してしまって、固くなっていたのでしょう」「桜餅は、葉の香りを楽しんでいただくお菓子です。葉によっては筋の固いものもありますので、お店ではすべて外して召し上がっていただくことをおすすめしております」ということです。なるほど、なるほど。

これでもか、というほど話が逸れてしまいました。実感としては、桜餅の葉は食べれるし、けっこう食べるけど、空気を読んで捨ててしまうものでしょう。長々と述べてたのも桜餅の葉を食べることを否定したかったわけではありません。ともかく、そうした主体の気持ちが三首目の歌には鮮明に表れています。

【追記】
春たべ会に参加してくださっている桃井御酒さんが、このことについてさらに詳しく調べてくださいました。葉を食べちゃう人の話など、気になる方はぜひ読んでみてください。
桜餅を葉ごと食べること|桃井御酒|note

〇星和明さんの歌〇

好きだけど桜餅の葉捨てた日に
知った言葉は同調圧力

星和明

前の歌と似ているところがあります。桜餅の葉は独特の味わいがありますし、「好き」な気持ちもよく分かります。でも空気を読んで食べることができなかった。そんなときに「同調圧力」を知ったのです。主体は小学生か中学生で、それまでは家族で必ず桜餅の葉を食べていたのでしょう。ある意味では春らしく瑞々しく、そして個性がつぶされていくのをみるような悲しい歌です。


〇真ん中さんの歌〇

桜餅 葉がしょっぱくて俯いた 三行半から初めての春

真ん中

三行半みくだりはんは江戸時代の離縁状のことで、夫から妻に渡されます。桜餅の葉は塩漬けしてあるので「しょっぱ」いです。しかしその独特の味わいが、離縁を経験した主体に「初めての春」の訪れを感じさせます。春は始まりの時期でもあります。
こうして文章を書きながら、その葉の味わいも含めて「桜餅」だと考えている人が多いのではないだろうか、と思いました。

この歌は次の連作中の一首となっています。

   春のたべもの
髪を梳くきみが、櫛って筍に似てますね。って五分咲きの笑み
僕、いちご、通路、いちご、で奥にきみ。こっちが好き!って両手に摘んで。
桜餅 葉がしょっぱくて俯いた 三行半から初めての春

真ん中


〇睦月雪花さんの歌〇

桜もち食べ終えてまだ新しい職場の派閥に馴染めずにいる

睦月雪花

桜餅の葉を食べているわけではありませんが、主体は集団に馴染めずにいます。一人で桜餅を食べているのでしょう、桜餅が華やかなものであり、花見など大勢で食べることが多いたべものだと考えると、一層現実が重くのしかかってきます。「食べ終えて」も「馴染め」ないのです。
このような心情が三十一文字の共同体の中で表現されることで、読者は深く共感することができるようになります。短歌はひとりきりの心情を、みんなが知っている形で表現することでもあるのですから。


〇Natsume Kayouさんの歌〇

桜餅
道明寺とか
長命寺
名前の脇に
包まれた甘さ

Natsume Kayou

もう一つ、有名な桜餅に道明寺のものがあります。長命寺は円筒形ですが、道明寺はボール形です。道明寺の桜餅の方が有名でしょうか。両方とも寺の名前は固いですが、桜餅自体は甘く柔らかい。その違いをうまく表現しています。
こうした視点から、伝統的な桜餅のイメージから離れた歌が登場してきます。次の二つの歌になりますが、これらはやはり道明寺の桜餅をイメージしているのでしょうか。


〇あひる隊長さんの歌〇

さくらもち4つ食べればぷよぷよになって消えちゃうからゼロカロリー

あひる隊長

そういえば桜餅は一つしか食べないなあと思いました。四つ並べたこともないですね。そうか、消えるのか。葉っぱだけ残るんでしょうか。
しかし、主体は「4つ」も食べるんですね。ちょっと、いやけっこう多いんじゃないでしょうか。でも「ゼロカロリー」か、なるほど、じゃあ大丈夫か。
伝統的で風流な桜餅ではなく、現代的で楽しい桜餅の姿を詠んでいる点が素晴らしかったです。そして「4つ」から「ゼロカロリー」につなげる点も秀逸でした。すごく面白い歌です。

〇早坂つぐみさんの歌〇

手のひらに乗る桜もちに春風を見せてあげます嬉しそうです

早坂つぐみ

この歌にも伝統的な桜餅のイメージはありません。桜餅はひとつのモチとして、全身で春を楽しんでいます。
桜は風によって吹雪き、その絶頂の姿を見せます。加工された「桜もち」であっても「春風」は「嬉し」いものであるのもしれません。混じりたいのでしょうか、急にぴょんぴょんと跳ねて桜の方へ向かっていきそうです。


〇めりぃさんの歌〇

かたくなに長命寺を桜餅とは言わぬ君 包んでいたい

めりぃ

「長命寺は桜餅ではない!」という意見まで出てきました。確かにあの円筒形の餅は一般的ではなく、そう思われてしまうかもしれません。主体はそんな君をも「包んでいたい」。包むという言葉が似合うのは道明寺ではなく長命寺の桜餅でしょう。意固地な君をも愛するよ、という主体の愛が鮮やかな一首です。


〇久久カナさんの歌〇

たらの芽の天ぷらのやさしい苦みいつまできみを引きずればいい
絵に描いた桜餅(そんなんでいい)私は誰も置いていかない

久久カナ

三首連作中の二首を抜きました。
一首目からは、後に残る「たらの芽」の苦みから、「きみ」への思いを忘れることができない主体の姿が立ち現れてきます。
そして二首目です。「絵に描いた餅」、でまかせ、無謀、でも「そんなんでいい」。嘘のように春を背負って「私」は前に進んでいくし、関わった「誰も置いていかない」と決意する。
春ははじまりの季節です。桜餅のふっくらとした形が、ここでは意思の塊のようにして見えてきます。力強い歌です。

連作全体は次のようになっています。

   置いていかない
たらの芽の天ぷらのやさしい苦みいつまできみを引きずればいい
春は星 新たまねぎの肉じゃがはすこしひかりが強い気がする
絵に描いた桜餅(そんなんでいい)私は誰も置いていかない

久久カナ


〇橘亜季さんの歌〇

らららもちらららもちって言いながら両手にそっともらう花びら

橘亜季

主体は子どもでしょう。「らららもちらららもち」と言いながら歩いています。楽しげな歌です。
「そっともらう」が効果的です。主体は春の陽気に浮かれていながらも、桜餅を落とさないように丁寧に持って、「花びら」を「そっと」受けています。花びらが乗った瞬間は嬉しくなって、それでも飛び跳ねたりはせず、後ろにいる親の名前を叫ぶのでしょうか。

この歌は次の連作中の一首となっています。

   ピクニック
らららもちらららもちって言いながら両手にそっともらう花びら
白いのは何だか具合が悪そうとアスパラガスを見つめる瞳
食べたりもできるんだよって言ったからポケットいっぱいにつくしんぼ

橘亜季


〇畳川鷺々さんの歌〇

   もち、もち、もち
食べてみてさくらもちほど複雑な味でもないし今が旬だし
妄想ならなんとでも言えるよもぎもち緑のものはなんでも混ぜろ
きなこもち、略してきもち好きなんて気持ちをのどに詰まらせたまま

畳川鷺々

もち、もち、もち!この記事に最も合った連作です。桜餅は葉っぱまで食べると「複雑な味」になるでしょう。それはそれとして、一首目は何を食べているのでしょうか。仮に春の餅だとすると、鶯餅か蕨餅でしょうか。うーん、もちもちと悩みます。
「緑のものはなんでも混ぜろ」という力強い感情には春の気分がよく表れています。桜が散った晩春は緑に満ちています。「よもぎもち」に春の全てを混ぜ込んで食べてしまいたいのでしょう。主体の熱っぽい気持ちが楽しいです。
三首目も面白く楽しい歌です。大切な言葉ほどのどに詰まって言葉にできないものです。そうした気分が言葉遊びを交えながら表現されています。



そういえば、この記事で餅の危険性を書き忘れていました。消費者庁のデータによると、年間で100人前後の高齢者が餅による窒息で救急搬送されています。1月に集中していますが、4月、5月にも若干名存在します。桜餅の人もいるのではないでしょうか。みなさまもお気をつけて。


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