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英語の日記をはじめた。

 英語の日記をはじめた。日常のたわいない身辺雑記を、インターネット上に書きはじめたのだ。きっかけは、先日舞台の仕事で訪れたモントリオール。そこで10年ぶりに英語を話し、「暮らしのことばとしての英語」が、よみがえって来たのだ。日本に暮らす今の、この感覚で、暮らしの言葉としての英語をつづってみたい。なんとなくそう思い、ぽつぽつと始めた。

 かつてモントリオールに住んでいたころ、わたしは英語と、ときどきフランス語で暮らしていた。学生時代は英語が苦手で、大学時代に至っては、毎回見事な赤点だった。東アジアの言語が専攻なのだから仕方ないと言い訳しながら、なんとか、のらりくらりと過ごしていた。

 状況がガラリと変わったのは、2005年だ。舞台の仕事で北米で頻繁にパフォーマンスするようになり、なんとか意思疎通せねばならない状況となった。幸い、舞台の概念は、全世界ほぼ共通だ。上手(かみて)、下手(しもて)、中(舞台の中央)、奥(舞台の一番奥)、ツラ(舞台の最前線)、照明をもっと上げて、下げて、音量はこれぐらいで…などという言葉を、まわりの踊り子がリハーサルする中、キョロキョロしながらメモしていった。耳から入ったので、今でも綴り方は得意ではない。

 仕事が次第に増えた。当時住んでいた浅草から、北米に通うのは中々しんどくなってきた。そこで、北米全体にも、ヨーロッパにもアクセスの良いカナダ・モントリオールに転居することにしたのだ。

 モントリオールには5年いた。引っ越してみて驚いたのだが、ここは完全にフランス語圏だ。そんなことも実感しないまま、勢いで転居してしまうのだから、若さってすごい。不思議なもので、フランス語が全くわからないと、英語が頼りになってくる。蜘蛛の糸のように細い細い、頼りないわたしの英語。でもそれが、生きていくよすがだったのだ。

 その街の地理についてざっくり言えば、サンロラン通りという目抜き通りの東側がフランス語圏。西側は英語圏だ。わたしは英語圏側に住んでいたが、仕事はもちろん、あらゆるところからやってくる。再び、舞台の袖でキョロキョロしながら、フランス語での舞台ことばを、拾っていく日々が始まった。

 友人は言った。「不思議だね。あなたの英語は、生まれつきの英語話者からすると、絶対に出てこない表現なんだけど、あなたのことばとして成立している。だから、ものすごく腑に落ちるし、むしろ、あたらしいことばとして新鮮。自分にしっくり来たことばを使うって、なんかいいね。」

 わたしは旅芸人の踊り子だったが、やがて英語のMCとなった。モントリオールはMCはバイリンガルが基本なので、ショーの幕開けには、たどたどしくても最低限のフランス語を話した。MCというのは面白い。会場の空気をお客様と一緒に作る仕事だ。(ちなみに、MCとは、Master of Ceremonyの略。)なんとも言えない、濃い空気の共有感を毎夜体感していたから、独特のことばが形成されていったのかもしれない。

 時は現代に戻る。8年前、病を得たわたしは、その時からもう踊ることはできなくなり、無期限活動停止となった。病状が寛解した2022年の秋、かつて舞台を共にしていた仲間たちとのショーを持って、日本では引退した。そして2024年4月、モントリオールでのバーレスクの祭典、Bagel Burlesque Expoでの審査員、および英語MCとして出演することになり、およそ10年ぶりに「英語の口」をひらいた。

 ことばが出たとき。

 10年という歳月は、一瞬で飛び去った。実感した。一度血肉になったものは、いつでもよみがえり、そしてあたらしく変容するのだ。舞台の上で感じる。自分のことばが、ひとつ、ここに還ってきた。

 アカデミックなことばではなく、洗練されているわけでもない。けれど、生きた証としてのことばが、もうひとつここにある。

 人生への関わり方が変わるとき、ことばは変わっていく。あたらしい人生に、変容する自分のことばを、もうひとつ連れて行こう。そう思って、書きはじめた。

 短い文章だが、読んでみていただけたらと思う。

※2024年9月8日追記 BlogをThreadsに移行のため、リンクを張り替えました。


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