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ブンコーに見学へ行った話


6年くらい前に、ブンコーに行った。
ブンコーは私が好きな小説家が通った「学校」だ。

私自身、別に小説家やライターになりたいと思っていたわけではないが、文章を書くことそれ自体には関心があったし、何より、どんな人がいるのか、見てみたくて、その見学会に行くことにしたのだ。
今思うと、働き始めて、初めて自由になる金と時間を得たのも大きいな。


ブンコーはK商店街を抜けた古いビルの中にあって、いかにも雰囲気がある感じだった。
近くにはかの文学賞の名のもととなった、N木三十五の記念館があったりしてね。

その辺一帯が、空襲を免れたというところで、昔の小説に出てくる「オーサカ」みたいで少し胸がときめいた。

私は小説家・田辺聖子が描く阪神間の舞台が好きだったし、もっと前だと、織田作之助の描き出す大阪という街の文様も好きだった。

その界隈は、そういう人たちが断片的に拾い上げた〈オーサカの時間〉を残している気がして、歩き回るだけでもちょっとウキウキしたりするものだ。



◆◆
その日はブンコーのオープンスクールの日で、新規入学者を募るため、学校説明会があった。

私含め、数人が講師から説明を受けることになった。人数で言うと10人もいなかったと思う。

参加者は、すでに詩を書いていて、なんらかの賞に入選した男性であるとか、国語教員の女性であるとか、怪しげな雰囲気の中年男性であるとか、色んな人がいた。

講師はまず私たちに自己紹介を促し、文章での何かしらの受賞歴の有無や、なぜブンコーに関心を持ったのかを問うた。

詩で入賞経験のある男性は言うまでもなく、スムーズな説明をした。
国語教員は「文学の力」のようなことを言っていた。

みんな普段から文章を書き慣れた人なのだろう。

私は取り急ぎ、かつて執筆した論文が民間団体の賞を受け、賞金くらいはもらった。と答えた。
しかしながらそれはもちろん、皆さんのような物語りや詩といった、芸術的創作物ではない。

「なぜブンコーに関心を持ったのか」と問われた際にはうっかり「こんなところに来る人は変なヤツが多そうだから」と答えてしまった。
周りが苦笑する。

救いは私の後に自己紹介をした中年男性の話が面白かったことで、彼はなんでも、会社を三つくらい作っては潰し、作っては潰しした挙句、今は日雇い労働の街にいると答えていた。

明日にもホームレスになるかもしれないと神妙に語る中年男性を、周りはしげしげ見ていた。

私は「この話を聞いただけでも今日ここにきた甲斐があるな」という気になった。
彼はどう考えても、学校見学なんかに来るより、すべきことがたくさんあるはずだ。


短い自己紹介のあとは、在校生の作品鑑賞があった。

取り上げられたのは70代の女性の作品で、電車内の人の観察文だった。誰が何をしているか、彼女は電車に乗るたび、興味深く周りを見ているという話だった。


正直、文章そのものは稚拙だった。
しかし、私も彼女と同様に、よく電車内の人間を観察するもんで、親近感を覚えた。

鑑賞の後は体験生による批評があったが、そこで出てくる意見はいずれも辛辣だった。
私はなんとなく、胃のあたりに不調を感じ始めた。

そのうちに順番が回ってきて、私もなんらかの批評をするようにと促されたのだが、正直なところ、他人の悪気のない文章についてアレコレいいたくないというか、まぁ文章のプロでもないし、技巧的なことはワカンネーしな、ってので、自分が出会った電車の中での変人を被せることにした。

自分も混み合った電車の中で御手洗団子を食う迷惑なヤツや、髭を剃り始めるヤツ、靴を脱がずに対面のボックス席に足を乗せるやつなど散々見てきたんで、「彼女と同様に電車の中の他の人間にツッコミはいれる」という旨を述べた。


一通り、皆の感想や批評がで後で、講師が解説する。

そこで、私たちは、彼女が古希を過ぎてから文章らしい文章を書き始めたこと、お世辞にも教育水準が高いとはいえない人、それでも70代から、思うところあって、こういった文章を綴る練習をし始めた人であることを知らされた。

しばしの間、沈黙が流れた。


◆◆
帰り道で私は考えた。
人は何のために表現活動をするのか。

もちろん、それをお金に変えて、生活をするための人も多いだろうし、私たちが普段触れているものは、そういうものが多いのだろう。

絵画だって音楽だって小説だって映画だって。

才能ある人が立派な作品にして、お金に変えて、それでまた良いものを作る。
これが一つの「出口」であることに間違いはない。

しかし、それとはまた別の軸で、似たようなことを、せざるを得ない、というのが人間なのかもしれない、と思った。

家族がいようが家族がいまいが、私たちは生まれた時から死ぬまで一人だ。

誰かがずっと私たちを見てくれているわけではないし、恋人や友人や家族が、私たちを全て理解して、記録してくれるわけでもないし。

100年後には何も無くなってるのだ、私たちはみんな、忘れ去られてしまう存在だ。

(あっ、一部の極悪人や権力者なんかは覚えられているな!ま、そういうのは置いといて。)

だからこそ、人は自分のことを自分が忘れたくなくて、何歳からでも、何か記録したりだとか、表現したりとか、するものなのかもなぁ、とぼんやり考えた。

商業的な価値ではなく、他でもない、自分が自分のことを覚えておいてあげる作業、というか。


◆◆
その後、私はブンコーに入ろうか入らまいか、割と真面目に考えたが、入学を見送った。

社会人2年目のその春、祖母が末期癌になり、それどころではなくなったからだ。

それにしても、祖母が亡くなった後に彼女の引き出しから、父親に貸し付けた金の細かな額のメモが大量に出てきたのは笑ってしまう。

これも記録だし、表現だよなぁ、と、なんだかおかしな気持ちになった。

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