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大人の自由、きつすぎ?

不自由の中の自由。あの頃の私たちには限られた自由の時間があった。

「宿題忘れました」と、やってもいないことを怒られたくなくて家に忘れたことにしていたあの時間。

「ゲームは2時間まで」の制約を破り、こっそり布団の中に潜ってDSを開いたあの時間。

「草むしりするぞ」と言われ、そのままおじいちゃんとみんなに内緒でアイスを食べたあの時間。

「塾に行ってくる」と言って終点まで足を伸ばし見たこともない景色を見に行ったあの時間。

「みさきちゃんちだよ」と反論したものの、実は恋人の家に泊まりに行っていたあの時間。


あまりにも不自由な私たちは、数々の自由を創り出した。少ない自由を精一杯楽しんだ。例外はあるかもしれないが、私はそうだった。キラキラ輝いていた。きっと。


仕事に振り回されるようになってからは、自分で決められない不自由はない。ずっと自由である。ずっと自由なことがこんなにも苦しい。

お金も沢山使える。あの頃買えなかったゲームのソフト、服や化粧品、家も。それなのにこんなにも切ない。息苦しい。

1000円札を握りしめてそれを全てUFOキャッチャーに溶かしてしまったあの頃の私が今の私を見たら笑うだろうか。10万円を握りしめて1000円のメダルゲームにすら足踏みしてしまう私を。

大人になるということがこういうことなのであれば、大人にはなれたのだろう。恋焦がれた自由な大人に。

仕事は自分で時間を決めて出来てしまう。忘れたら全て自己責任。

ゲームなんて何時間でもしたっていい。明るい部屋で堂々と。

草むしりなんてしなくてもいい。アイスはいつでも食べられる。

習い事に行かなくても誰にも怒られない。心配のメールが来るのみである。

恋人の家に出向くのも、言い訳なんて要らない。真夜中にだって行けてしまう。


自由すぎるなあ。あまりにも。こっそりヤンチャしていたあの頃の私、それがバレて結局怒られてしまうあの頃の私。それでもその限られた自由を今、喉から手が出るぐらい。いや、UFOキャッチャーに1万円使えてしまうくらい欲しているのだ。

DSを開いてもあの頃のワクワク感はない。心が踊らない。あの頃のポケモンが好きだった。今プレイしても独特な高揚感はない。音量を0にすることもない。

大人は自由で悲しいなあ。これが続くのなら、私が真に息をすることはない。この自由が欲しかったはずなのに。

仕事戻ります。

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