人生の選択について


愛するということ(エーリッヒフロム)を読み終わり、

いつものようにtwitterをパトロールして書きたくなったので書きなぐる。



コロナ禍の波乱の幕開けとなった研修もあと1週間で終わるのかな。最近は目的ありきの目標を考える癖がついてきた。

ここで目的と目標の違いについて触れておく。


目的は最終的に目指す姿である。

目標は目的を達成するために目指すべき指標である。


40歳でリタイアしたい。

そのために40歳までに1億円貯金するみたいな。


バカみたいなたとえだけど、多分あってるはず。

しらんけど。



 

今まではなんの疑いもなく自分が決めた目標に向かって頑張ることが正しいと思っていたが、

最近は目的に対して今の目標、取り組み方が適しているか考えるようになってきた。

そのような視点を与えられただけでも本当に東京に就職してきてよかった。


でも目的ありきの目標の視点を得ることができたことで、

果たして私の目的とはなんなのかということについて非常に考えさせられている。


私の今の目標は


今の会社で力をつけて活躍したい。

宅建の試験に合格したい。

FPも勉強して株で多少稼いだり資産形成をしたい。

ビジネスができる力をつけたい。

その上で静岡に帰り教員にもなりたい。

再びサッカーのある生活がしたい。


 

これが今の希望であり、目標である。

 

まず1つ目として、これらの目標を達成したいという思いの先にある

目的ってなんであるのだろう。

そして、その目的は健全であるのだろうか。

そこにどんな価値があるのか。

資本主義社会の中の市場価値を高めることが目的になっていないか。

 

 

2つ目

これらの未来に想いを馳せるととっても楽しみな気持ちでいっぱいになる。

そのためなら多少の苦しい、不自由な今を過ごすことに耐えることができる。

でもそれって今をおろそかにしていないか。

理想とする未来が果たしてくるのだろうか。

もっと今を楽しむことにコミットしてもいいのではないだろうか。

多分「愛するということ」にはこんなことも書いてあった気がする。



幸せになるにはまずは自分のいう幸せを定義つけること。

明確にイメージできるようにすること。

そうしなければその状態になるまでの道筋、目標を立てることができない。


そしてその状態になるための判断軸を1つ持つこと。

周りの人はいろんなことを言う。

でもそれによって自分の幸せはブレない。


時間とともに自分は変化する。

自分の変化には敏感になる。

目的を意識することで変化にも敏感になることができる。


今日の本を読んでtwitterパトロールして思ったことはそういうこと。







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