あんたら一週間の断食なんてしたことないやろ!?
市川海老蔵さんのお子さんが断食したことが話題になっていた。みながそれぞれ意見を投稿しており、賛否両論さまざまな意見があった。
「一週間くらい食べなくても人間死なない」という意見もあった。あんたそれ、見たことあるん?やったことあるん?
見たこともやったこともないのに、さも経験者のように断定していた。ただ聞いただけのくせに知ったかぶっている。
たしかに人は一週間くらい食べなくても死なない。そう僕は断言できる。実際に一週間の断食をしたことがあるからだ。
中国では来客に食べきれない量の食事を提供するのが礼儀としてある。「ごちそうさま」は「吃飽了(満腹だ)」と言ったりもする。調子に乗って食べまくった結果、90kg近くになった。
日本に帰ったとき痩せなければと、一週間の断食をしてみた。部屋にはちょうど何もない。部屋にある口にできる物を全て捨てて、もしもの時のために食パンを用意した。ポカリもOKとした。
3日目までは余裕で過ごせる。
きつかったのは4日目。
ヒマ潰しに大量のDVDを借りてきて観ていたのだが、どの映画も必ず食事のシーンが出てくる。「僕がこんなに辛いのに美味しそうに食べやがって」と、勝手に断食して勝手にキレていた。勝手に断食しといて「なんでこんなことしてんだ」と、勝手に枕を濡らしていた。
5日目ともなると空腹にも慣れてくる。
DVDの食事シーンにもイラつかないし、もうイラつく元気もない。逆に食事シーンを待ち侘びるようになる。その食事を自分が食べていると想像するだけで、幸せな気分になれるのだ。現実逃避して空腹を忘れることができた。
一週間で約8kg減ったと記憶している。
一日約1kg。食べなきゃ痩せるに決まってる。
ダイエットなんて簡単だ。困難なのは食べたい!という「欲」を制すること。
だから坊さんの修行は、煩悩や欲を消滅させようとする。「欲」は人間の本能でもあるから消滅するのではなく、昇華させるのが仏の道だったりする。
断食中はオナラがよく出る。
お腹に溜まった空気が出るだけだから、臭いのない音だけは立派なオナラがよく出る。
「人は一週間何も食べなくても死なない」と知ったかぶってる人は、断食中にオナラが頻繁に出ることを知らないだろう。始めはイラついていたDVDの食事シーンが、後半はありがたく思えてくるなんて絶対に知りはしないだろう。
知ったからなんだって話なんだけど、モノを知るということはそういうことだ。微分積分を知って理解したから何だって話だ。どちらも知らなくとも日常生活に影響はない。基礎を学び、深さを知ることを勉強という。
モノに深さがあることを知らない人は、ネットで愛だの念だのと上っ面の言葉を並べてしまうことにもなりかねない。目に見える表面的なことだけで人を判断しかねない。己の小さな脳みその中が全てだと思い込んでしまうことにもなりかねない。
「愛」を知ったかぶる。
森羅万象を知ったかぶる。
ヒトを知ったかぶる。
モノに深さがあることを知らないもんだから、理解できないことがあれば「念のせいだ」と思い込む。「愛がない」と切り捨てる。そんな夫婦を知っている。
今の時代は知るだけなら簡単にできる。
だから巷には知ったかぶりがウヨウヨしており、終わりのないディスカッションをしている。しかし、「知ってる」と「経験がある」には雲泥の差がある。知っているだけの人は、経験がないからこれが分からない。だから話にならない。
無知の知。
ソクラテスは素敵なことを言う。
無知は別に恥ずかしいことじゃない。本当に恥ずかしいのは知ったかぶったり、自分が無知と知らないこと。
知らなければ聞けばいい。
ググって知ったかぶって悦に浸るなんて、そんな恥ずかしいことは辞めよう。間違っていたら間違いを認めて、後から正そう。間違いを指摘されることは恥ずかしいことじゃなく、むしろ喜ぶべきことだと考えよう。
プライドが高いと「知らない」とは言えないし、間違いも認められないし、指摘されたら侮辱と捉えてしまう。
諸悪の根源は「プライドの高さ」かもしれない。
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ポンズケースケの考察日記
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