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コロナ&オミクロン禍に結婚式を挙げた花嫁が思うこと

前回『コロナ&オミクロン禍で結婚式を諦めた花嫁の痛み』という記事を投稿しました。前回の記事では結婚式の中止を決断してから、考えを改めて開催を決めるまでの過程を記しています。

私は数日前に結婚式を挙げました。

今回は「実際に結婚式を挙げてどうだったか」という私自身の感想やゲストからの反応を綴っていきます。コロナ禍に結婚式を挙げることの是非については前回の記事で述べたため、割愛します。

これから結婚式を挙げる方や、当事者の考えを知りたい方の参考になれば幸いです。

出席した友人の話

私たちの結婚式は全部で30人という小規模なものでした。親族が15人だったので、友人は新郎新婦それぞれ8人程度。一生つながっていたい友人だけを招待しました。

招待する友人が少人数の場合、当日の会場内をみて「この少ないゲストのなかに選ばれるほど、自分は大切に思われている友人だったんだ」とわかってもらうことができます。それが結婚式で伝えたい気持ちのひとつでした。

そして、もうひとつ、どうしても伝えたかったのは「コロナ禍でしばらく会えていないけれど、これからもつながっていたい」ということでした。招待した友人のほとんどはコロナ禍で2年間会えていません。

席札の裏には、それぞれのゲストに向けたメッセージを書きましたが、しばらく会えていなかった友人には、「コロナ禍で会えていないけれど、落ち着いたら必ず遊ぼう、私はずっと友達でいたいと思っている」という内容を綴りました。今だからこそ伝えたいメッセージでした。

コロナ禍の結婚式なので、嫌々来ている人もいるのではないか?という不安もありましたが、結婚式で実際に友人たちの顔を見てすごくホッとしました。お祝いの気持ちも、嬉しい気持ちも、楽しい気持ちも、ぜんぶが本物でした。

結婚式の後、「コロナが終わったら絶対あそぼうね」と目を合わせて力強く言ってくれた友人。「この夫婦の間で写真を撮りたい!!!」と嬉しそうに真ん中に飛び込んできてくれた友人。感極まって泣いている友人。

欠席したいという意志は尊重するべきですが、出席したいと言ってくれた場合は「本当は来たくないのではないか」などと疑心暗鬼にならず、素直に喜んでいいんだなと思えました。こう思えたのは、本当に仲の良い友人だけを呼んだからだと思います。

出席した親戚の話

私がどうしても結婚式をしたかった理由は、両親に見せたいもの、伝えたいものがたくさんあったからです。

息子ではなく娘として生まれたからこそ、とびっきりの綺麗な姿を見せたかった。友人に囲まれる夫婦の姿を見せて、心強い味方がたくさんいることを伝えたかった。みんなの前で感謝の手紙を読んで、子育ての表彰式のようにしたかった。そうやって、両親が歩んできた夫婦としての道のり、親としての道のりを称えたかった。

結婚式はたった一日で、そのすべての願いを叶えてくれました。

お色直しの退場で母と手を繋いで退場するとき、泣く母の姿を見て、結婚式をやってよかったなと思いました。父と腕を組んで再入場できたのも一生の思い出です。泣いたり笑ったり、両親のいろんな表情をみれた一日でした。

コロナの感染者が出なかったことが確認できて初めて「結婚式をやってよかった」と言うべきでしょうが、両親の喜びようを見て「やってよかった」という気持ちで胸がいっぱいになりました。

いつも落ち着いているのにやたらとテンションが上がっている祖母、何度も話しかけにくる祖父、「花嫁かわいい」を連呼していたらしいJKの従妹。親戚みんなが楽しんでくれたようでした。

「コロナのリスクを踏まえても開催したい」と思う新郎新婦の気持ちと同じように、「コロナのリスクを踏まえても出席したい」と思う親戚の気持ちもまた存在するのだと私は思います。

親戚に結婚式の開催を反対されているプレ花嫁さんの場合は、そう単純にはいきませんね。お祝いされるはずだった結婚式なのに、コロナのせいで反対されてしまうことを思うと、胸が痛みます。

親戚がどのような考えを持っているのか、事前にリサーチすることをおすすめします。

結婚式後の夫婦の感想

結婚式が終わった後、夫が「中止した方がいいとか、いろいろ言ってごめんね。実際にやってみたら、結婚式はやった方が良いと思った。」と私にポツリと言ってきました。「君がやりたかったのはこれだったんだね」と言われて、「ああ、やっと伝わったんだ」と思いました。これは結婚式を実施したからこそ重なった感情です。

そして、結婚式の感想として夫婦で意見が一致したのは「ちゃんと生きようと思った」ということ。大切な人たちが同じ時間に同じ場所に集まる結婚式の光景。私たちの幸せを自分のことのように喜んでくれた人たちの顔を思い浮かべたら、「ちゃんと生きよう」と背筋が伸びた気分になりました。

どうしようもなくつらいことがあったとき、きっと私たちはこの日の光景を思い出して、支えてくれる人たちの存在を思い出して、乗り越えていくのだと思います。

他者にとっての「結婚式」はたった三文字でも、当事者にとっての「結婚式」は一生分の思いであり、今後の人生を支える「生きる糧」になるのだと心の底から思いました。

私は結婚式で見たあたたかい光景を一生忘れません。

おわりに

これからコロナの感染者が増えていけば、ますます結婚式の開催は難しくなるでしょう。「コロナを乗り越えるためには中止が必要」という主張は正しいと思います。

それでも、新郎新婦にはリスクがあっても開催したい思いが存在します。出席すると言ってくれるゲストには、リスクがあっても参加したい思いが存在します。

「結婚式はコロナが収まってからやるべきだ」という主張は真っ当ですが、妊娠でもしない限り、結婚式の日程は引っ張れて結婚してから2年ぐらいまででしょう。コロナ禍はもう2年続いています。

「結婚式の開催は正しいかどうか」だけでなく、リスクをゼロにはできないことを承知の上で、「リスクを最小限に抑えて開催する方法」もまた考えられるべきだと私は思います。

こぼれ話

結婚式といっても中身はいろいろで、それほど交流のない人も呼ぶような大規模な結婚式がある一方、大切な人だけを呼ぶ小規模な結婚式もあります。

Twitterで「コロナ禍なのに結婚式を中止しない花嫁は悪だ。自分のことしか考えていない。」といようなつぶやきを目にしますが、それほど仲良くもない人に呼ばれた大規模な結婚式の思い出をもつ人がつぶやいているのでは?と最近思います。

本当に大切な人だけを呼んで小規模な結婚式を挙げようとしている花嫁がそのつぶやきを見て、「大切な人に感謝を伝えたいだけなのに、なぜこんなにも冷たい言葉を浴びせられなければならないのか」と泣いている、そんな構図になっている気がします。

ネット上でコロナ禍における結婚式に対する意見を調べる際は、発信する人の思い浮かべている結婚式と、受け取る人の思い浮かべている結婚式が違うのかもしれない、ということを頭に入れた上で受け止めた方が良いと思います。

そもそも喜んで出席する人は「コロナ」というワードをわざわざ入れてつぶやきません。「結婚式 コロナ」で検索して出てくる意見が厳しい意見ばかりなのは当たり前です。ネット上の意見だけでなく身近な人の声も聞いた上で検討することをおすすめします。

ネット上には、コロナの感染拡大を抑えるための真っ当な主張に混じって、心を欠いた誹謗中傷も溢れています。幸せいっぱいなはずの花嫁さんが、心ない言葉で必要以上に傷つけられないことを願っています。必要なのは真っ当な主張であり、誹謗中傷ではありません。

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