抑圧

よお、思うところがあったので埋葬させてください。

ここ最近、SNSの利用者が増えたせいか現実世界との境界が曖昧になっている気がします。例えば、某俳優や某プロレスラーの自殺がセンセーションとなり、原因とされる誹謗中傷に対して批判的な声が多く挙げられています。

もちろん、特定の個に対しての誹謗中傷や罵詈雑言等、刑罰として規定されている通り認められる行為ではありません。

しかしながら、そういった要素を全て統制することは不可能であり、否、統制すべきではないとも考えてしまいます。

なんというか、批判的、攻撃的、排他的、陰鬱的、否定的、、、、要素を挙げればキリがありませんが、総括して負の要素を持つ発言が過剰に抑圧されている気がします。全体主義ではありませんが、言論を統制されている風潮があります。

人である以上、不平不満、鬱憤、加虐性を持ってしまうことは必然です。そのような抑圧される対象を趣味や友人との会話等によって正の方向に昇華することができればそれが理想的ではあります。

しかしながら、私も自身そうなのですが、友人や楽しめるような趣味もありません。そんな時、唯一残された手段が言葉として成仏させることなのです。ストレスを解消することもある種の才能や技術であり、個人差があるものであると感じています。

逃げ道がないことで、殺傷や暴行など身体に対して害のある行動に及んでしまうことが最も恐ろしいことです。精神的な傷を蔑ろにしている訳ではありませんが、即効性があり致命的なのはやはり前者です。

そもそも、負の要素に対しての取り締まり自体が抑圧を生み、その結果として漏れ出し、行き場のなくなった感情が誹謗中傷や自殺を生み出しているのではないでしょうか。私には負のスパイラルに見えてしまいます。

悪や負に対しての統制もまた正義を笠に着た攻撃に過ぎず、本質は誹謗中傷と変わりありません。○○警察と揶揄される人々が顕著ですね。

そこで必要なのは逃げ道なのです。例えば誹謗中傷の件に関しても、ごみのポイ捨て禁止とだけ書いてそこにゴミ箱がないような、そんな印象を受けます。

私もSNSで誹謗中傷や罵詈雑言を吐いてしまうことがあります。その時はできるだけ対象をぼかすようにしています。王様の耳はロバの耳ではありませんが、最悪届かなければよいのです。

積極的に負の発言を受容するわけではないですが、「現実世界の個人に還元せずにインターネット上のフィクショナルな人格や自我として捉える」一昔前のようなリテラシーを持っていただければ、呼吸しやすくなると感じています。

そこまで綺麗で平和である必要性はあるのでしょうか。





それでは、現実に戻ります。では、







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