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POSITIVE

毎朝、課題が与えられる。考えることだったり、行動することだったりする。その日のうちに、答えることができることも、できないことも、行動できることも、できないことも、そりゃ、いろいろある。

課題が与えられる、と言っても、誰か先生や先輩や上司が与えてくれるわけではない。ましてや、神様が与えてくれるなんてことはありゃしない。

朝起きると、なんとなく、ひっかかるものがあったり、ああ、あれ忘れてた、というように、心に想起するものがある。そんなものだ。

そんなものだが、最近、これは毎日の課題だ、と思うようになった。行動はまだ簡単だ。たとえば、庭の花に水をやったほうがいいかな、と思ったり、あの花の写真を撮りに行こう、と思ったり、というようなことだから、行動すればいい。それでも、できない日もある。いまのところ、勝率、いや、消化率は、60〜70%くらいじゃないかと思う。行動できなかったことは、また後日、同じ課題が与えられる。心残りになる、ということだ。

考えて答えを出す課題は、なかなか難しい。うんうんと考えて、結局、疲れて答えを出すまでに至らないまま眠ってしまうことの方が多い。課題と言っても、解決できていない人生の問題だ。心に引っ掛かったままになっていることについて、何度も何度も考える、ということだ。

さて、今朝の課題は、リーダーシップ、だと思った。

子どもの頃から、ひとりでなんでもできてしまう僕は、とにかくチームプレーが苦手だ。チームプレイの最中に、直感的に、こうすればいい、と思ってしまって、即行動してしまうので、チームの輪を乱す。また、なんでもできてしまう、という自信があるので、できないことがあると、途方に暮れてしまって、何もできなくなる。自分ひとりでやった方がいい、と思っているから、コミュニケーションをとることもしないし、その訓練をしないから、当然に苦手だ。

そんなことで、学校の部活動では、僕が独断先行して、みんながついてくる、というパターンが多かった。そして、うまくできないことがあったり、メンバーが辛い目に遭ったりすると、そういった問題に対して、対処できない、あるいは、対処する方法がわからない。自分がいちばんできる、と思っているから、誰にも相談もしないで放置する、ということになる。

そうして、次第に、リーダーシップをとることに自信を失い、いつしか、リーダーになることをやめてしまった。リーダーになることを求められても、固辞するようになった。

というのが、だいたい20歳頃までの話。

これが、後々に、いろいろな問題を引き起こしていたのだなあ、と今日、気づいた。

リーダーになることをやめてから、自分がやっていることは、自分がやりたいことではない、という、「ズレ」を、常に抱えて苦しむことになった。会社の仕事は特にそうだったし、簡単に軌道修正もできなくて、苦しみ抜いた挙句に、会社を辞めた。

おそらく、多くの人たちが、同じように苦しんでいるのだろうと思う。

そんなことを考えながら、じゃ、これからは、リーダーになるのか、リーダーシップを執るのか、と自問した。

えー、この歳になってリーダーかよ、と、自分で問うておきながら、悪態をつき、いや、歳とってからいい仕事している人も大勢いるんだし、大林宣彦監督だってそうだし、と思い、やる、やる、と自答した。

自答する前の僕の精神状態は、こんなだった。

なにもすることがない、仲間はひとりもいない、話し相手もいない、みんな、僕のところから去って行った、妻もいない、子供もいない。死ぬまでひとりで、食べて、寝て、そんなことだけをやっている。不安を抱えて毎日を過ごす。

そんな精神状態の中で、たったひとつだけ、その状況を打破できる可能性があることが、リーダーになる、ということなのだから、「肯定」するしかない。

いや、もうリーダーはしないと決めた、と固辞すれば、また同じ課題に、なんどもなんども向き合わなければならなくなるのだ。

肯定するしかないのだ。

トリニティ・ブラッドの教皇庁国務聖省特務分室の執行官のひとりトレスくんが「POSITIVE」と言う様子を思い出した。


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