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配られたカードがショボすぎるときにやること

ポーカーは面白い。配られるカードはたったの2枚。その少ない手札で激しいたたかいが繰り広げられる。

くわしいルールはなんかで調べて。とにかくたった2枚のカードで激しい頭脳戦と心理戦がおこなわれる。

これは社会で生きていくにも通ずるものがあると思っている。

たしかスヌーピーがこんなことをいっていた。

「配られたカードで勝負するしかないのさ」

さてはスヌーピー、きみもポーカーをやってるな?


ないものに目を向けるのではなく、あるものに目を向ける。あるものを上手に活用し自分を生かす。そんなような意味だと思っている。たぶん。浅いかな?

はて?自分に配られたカードはいったい何なのだろうか。

配られたカードがなんなのかを理解してないかぎり勝負することはできない。さらにいうなら、配られたカードでどんな役が作れるのか、どんなことができるのか、それがわからないと作戦の立てようがない。


そう考えると「配られたカードで勝負する」って案外難しいのではないだろうか。

今年の高校野球の日本代表もパワーをすてて小技とスピードで勝負した。結果は優勝。はじめて世界を獲った。2年前の女子バスケは身長では絶対に負けてしまうのでスリーポイントを磨いて銀メダル。

これらはまさに配られたカードを見事に生かした結果だろう。


さて、ここからが本題。自分に配られたカードとはいったいなんなのだろうか。

イケてるルックスも秀才な知能もない。語学も堪能でなければ日本語すらもあやしい。スポーツは人並みできる程度でヒカルものはない。もしすべてのスキルがそろっていたら、今ごろシリコンバレーのど真ん中で、高級スーツを身にまとってビル・ゲイツとお茶をしていることだろう。


でも、現実はこれといった武器はない。
配られたカードといえば、人並み以下の体力とカッスカスの頭だけだ。


自分でいってて虚しくなってくる。この手札でいったいどうやって勝負をすればいいのだろうか。諦めるしかないのだろうか。

いや、ある。どうしようもないゴミ手札しかもっていなくても、唯一勝負する方法が。

ハッタリだ。

ポーカー用語でブラフともいう。要は自分のカードを強いとみせかけて相手に勝負させないことだ。

これは日常でも使える。とにかく堂々としている。「こやつなんかやりそうやな」と思わせたら勝ちだ。堂々としているとなんか自信がつく。なんか良くなる。配られたカードが強くみえる。まずはそこから。


そして、そのあとのことはわからない。少しずつ考えていけばいい。以上。終わり。





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