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下斗米伸夫『ソビエト連邦史』

概要

スターリン時代に外相を務めたモロトフを軸に据えつつ、ソ連の成立から崩壊までを描いた概説書。

要約

レーニンが無神論者であり、フルシチョフ時代に苛烈な宗教弾圧が行われたことから、ソ連と言えば無宗教のイメージが強い。ところが、ボリシェヴィキ革命で重要な役割を果たしたのは17世紀にロシア正教から分派した「古儀式派」と呼ばれる会派であった。農村に出現した「ソヴィエト」は古儀式派の集会としての性格があるし、多くの古儀式派出身の政治家がソ連政府の中枢を担った。ソ連期を通じて、「共産主義者のための宗教」を求めた「建神論」が無神論と対抗していた。

古儀式派は「聖なるルーシ」を信奉し「モスクワは第3のローマ」と考える復古主義者とも言える。正教会は伝統的にローマ・カトリックとは対立関係にあったが、17世紀にニーコン総主教が近代化を目指し、カトリックとの和解のための儀式改革を行ったため、古儀式派が分離した。西洋のカトリックとの宥和に反発した会派が20世紀の歴史を動かすことになる。

レーニンは無神論者であったが、ロシア正教の伝統的な方法で弔われた。スターリン時代には、独ソ戦の劣勢を打開するために「大祖国戦争」と言ってロシアナショナリズム(≒ロシア正教)の力を借りざるを得なかった。フルシチョフの時代には苛烈な宗教弾圧が行われたが、ブレジネフの時代には「脱イデオロギー化」が進み思想・文化・宗教の面で穏健な対応が選ばれた。

1980年代、ゴルバチョフが書記長に就任すると、リトアニアの民族運動を契機に各共和国がソ連から離脱。ロシア連邦を盟主とする独立国家共同体が成立し、冷戦後の世界を迎える。

補足論文

著者の下斗米先生は古儀式派研究に注力しており、クリミア併合に際してロシア・ウクライナ関係を宗教的支店から分析した論文も書いている。

下斗米伸夫「ウクライナをめぐるロシアの政治エリート(1992-2014)」ロシア・東欧研究第43号(2014年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jarees/2014/43/2014_21/_pdf/-char/ja

これによると、ロシアのナショナルアイデンティティは古儀式派に由来し、ロシア帝国は「正教の宗教帝国」であってロシア人の帝国ではないという。そして、西部ではカトリックの影響が強く、ドンバス地方を除いて古儀式派が普及しなかったウクライナとの宗教的対立が、今日(2014年)の対立の遠因である。ドンバス紛争の直接的原因は、無神論者のレーニンが古儀式派のドンバスをウクライナに組み入れたことにある。

コメント

2014年の時点ではクリミア半島はもちろんドンバス地方でも「親ロ派」の人々は多かっただろうし、この点はプーチンの「認識」の根拠として認めざるを得ない。一方で、クリミア紛争後の8年間でウクライナの民族的統一が達成されて国民国家が成立したことは、ちょっと古い文献を読む際に気をつけなければならない。結局のところ、プーチンの最大の誤算はこれに尽きる。

一方で、ロシア・ウクライナ関係は宗教的・文明的問題であり、冷戦後の数十年ではなく数百年単位での出来事である点は落とせないだろう。現在のロシアが社会主義を標榜していない以上冷戦的なイデオロギー対立ではありえない。むしろ、冷戦それ自体が千年来の「文明の衝突」の一部であるという見方が適切と思われる。近年の国際情勢を「民主主義vs権威主義」と評する向きもあるが、民主主義が西欧文明の産物なのだから結局は文明の衝突である。

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