天井ババア

1.はじまりは甥っ子の写真だった

 妹が子供を産んで約1年になる。30センチ定規くらいの大きさだった甥っ子はみるみるうちに成長し、今ではその2倍くらいの大きさになっている。昔イナダのヒレを落とそうとして指を切り落としかけたことがあるのだが、その時僕が血まみれの中で握っていたイナダより遥かに立派になった。

 母親から定期的に来る生存確認のlineとセットになって、甥っ子の可愛らしい写真が送られてくる。それを見るたびに、子供嫌いの僕でさえ「なんだか可愛いなぁ」と思うようになり、数年間抱いていた赤ん坊への嫌悪感がなくなりつつあるのを感じる。ちなみに、僕は赤ん坊そのものが嫌いなのではなく、あの泣き声が苦手なのだ。不安感を搔き立てられる。実家への帰省で毎度新幹線に乗るが、そのたびに同じ号車には乗りたくない属性というものがある。テンションの高いカップル、酒を飲んでいる人、そして最後が赤ん坊だ。全てはその音なのだ。キーキーとした音や巨大な音が頭に入るたびに吐きそうになる。しかしながら、不思議と甥っ子の泣いている姿は嫌にならない。ああ、この子も生きているんだなぁという感情になる。そうして、僕は母に「この子の泣いている写真はないのか?」というlineを送っていた。母はこういう時に面倒くさがりな人間で、画像ではなく「みてね」というアプリの招待リンクが送られてきた(しかも妹からだ。母親はまるで何らかのフィクサーのように、自らの手を動かすことはしない。)

 「みてね」は家族間で子供の写真を共有するためのアプリだ。我が家ではこれを甥っ子の誕生時から利用しているらしい。実のおじさんである僕は1年経ってその存在を知らされたのだ。やっと家族として迎え入れてもらったのだろうか。「みてね」には数千枚以上の写真や動画がアップロードされていた(正確な枚数はカウントしていない。ただ妹が定期的に数百枚単位でアップロードしているログは見つけたのでそう推察した。)

 そのアプリを開く時間は実に至福だ。コロナのせいで帰省できない僕にとって、それが唯一都会を忘れ、故郷と自分を繋ぐパイプのようなものになっている。愛らしい甥っ子の姿を見ていると、仕事でうけたストレスも緩和されていくような気がする。笑っている姿、テレビを見ながら踊る姿、口から水を垂れ流して家じゅうを歩き回る動画、天井を見つめて泣いている姿。そのどれもがキュートでラブリーなのだ。そう、彼の泣いている写真や動画が全て天井を見つめていることを除けば……

2.格安アパート

 僕の実家は代々墓石店を営んでいた。父親の代で18代になるらしい。江戸時代には付近を治めていた殿様お抱えの石屋だったらしい(余談だが石屋繋がりで父はフリーメイソンに勝手に親近感をおぼえている。)。そんな墓石屋は僕が3歳の時に倒産し、僕の家族は住み慣れた街や家のすべてを捨て、今の実家のある街へと逃げるように引っ越した。そうして住みだしたのが格安のアパートだった。明らかに水害に遭うだろうなという地名、3LDKながらもあまりにボロボロの見た目、追い炊き用の機械むき出しの風呂、なんか夜はとことん怖いトイレ、家の近くの野球場から時々飛んでくるファールボール爆撃。再生活にとっては十分だったが、今となってはあまり良い思い出のない住居である。

 父親はガムシャラになって働いた反動からか週に1度は金縛りになってうなされているし、金がない人間にありがちなくだらない夫婦喧嘩は起こるし、あまりに雰囲気が怖くて一人ではいられない部屋があったり。ありとあらゆる問題が起こった家だった。

 そんなアパートだが、不思議なことに住民はいっぱいだった。まあ安いからだろう。うちのお隣さんには若い夫婦が住んでいて、そこには3歳になる女の子もいた。その家族と仲が良かったため、お互いの家に定期的に遊びに行っていた。そこで聞いたのだ、天井ババアの話を。

3.天井ババア

 ここから先の話は母から聞いた伝聞になる。なんせその時の僕はまだ9歳だったから、1週間前の出来事すら憶えていない僕がそんな昔の話を細部まで憶えているわけがない。

 隣の女の子は3歳になっても夜泣きが酷かった。というよりも、このアパートに越してきてから夜泣きをするようになったらしい。最初は環境の変化に慣れていないだけかと思った夫婦であったが、ある時子供が天井ばかり見て泣いていることに気が付いたらしい。夫婦が子供にそれを聞くと、「天井にたまにおばあさんがいて怒ってる」と答えたらしい。それがどんなおばあさんかはわからない。今となってはその子と連絡を取る手段もない。ただ、僕もそのアパートの台所と居間隔てている摺りガラスに、べったりとへばりつく女を見たことがある。妹はトイレでいつも知らない人を見ると言っていた。石屋時代に仕事を頼んでいた霊媒師を呼んで見てもらうと、アパートの玄関が綺麗に鬼門の方向を向いており、そのせいで霊道が出来ていると言っていた。多くの死者が通り過ぎるうち、たまに引っかかってアパートに残る者がいたらしい。僕が怖い雰囲気だと感じていた部屋のタンスと押し入れの間にも男がひとりいたらしい。

 お祓いをしてすべては去ったが、我々もそこを去ることになった。生活に余裕が生まれたタイミングで、手狭になってきた家から出ようと両親が引っ越しを行ったのである。そうして、僕はあのアパートから離れることができた。引っ越した先で一人部屋をもらった僕であったが、あのアパートでの体験から一人で寝るのに慣れるまでだいぶ時間がかかった。一度金縛りにあったことがある。目が覚めると、僕はあのアパートに寝ていた。まあそれも夢だったのだが、なんだか魂の一部があそこに囚われているような気がする。甥っ子が天井を見て泣いている動画や写真を見るたびに、天井ババアの話が記憶に蘇る。

4.そのアパートの後日談

 東日本大震災を受けて僕の故郷はだいぶ変わってしまった。あの後僕は何度も引っ越すことになったし、家族の形も変わってしまった。一度気になってあのアパートを見に行ったことがある。ファールボールを飛ばしてきた野球場は震災で自宅を失った人が住むための仮設住宅群に変わっていた。付近の家はみんな綺麗になっていた。僕が住んでいたあのアパートだけが時代に取り残された遺物としてそこに残っていた。かつて父の車が停まっていた駐車場には品のない改造車が停まっていた。それでもあのアパートは満室だった。まだ天井ババアはいるのだろうか。それとも、震災で亡くなった多くの人々とともに天に去ってしまったのだろうか。まだいるとしたら幽霊的には大ベテランだろう。

 「人は忘れられることを嫌がる、たとえ死者になっても。思い出すことでその人は蘇る」。これは僕の父が言っていた言葉だ。墓石職人として、死者を思って長い時間を過ごしてきた人間の辿り着く世界なのだろう。天井ババアのことを僕が思い出すたびに、彼女はまた生き返るのかもしれない。もしかして、そうさせるために甥っ子のところに姿を見せているのかもしれない。天井ババアから死者との向き合い方を学び取ることができる。しかしながら、僕はそういう類の怖いものが苦手なのだ。それが実家にいると思うと追々故郷にも帰れない。この事態が終わり、僕が都会から逃げ出せるようになるその日までには成仏していてほしい。

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